第194話『猥雑』

 



 ユーラから掛けられた言葉、それがゼントには新鮮に感じた。

 説得というものは本来、自身の欲する方向へ誘導するための意見を述べたりするものだ。

 なのに、出されるであろう結論を先に示す例など初めて見た。あるいは気遣って気持ちを代弁してくれたのかもしれない。



 もう一度ジュリの姿を目に移す。そして抗うことすらも諦め、全てを受け入れようとする姿勢を確認した。

 まるで自暴自棄になっている少し前の自分を見ている気分になる。最低限のものしか口にせず、殺すなら殺せと天に向かって無責任に祈った日々を。




「――はあぁーーー」


 だらしなく魂が抜けるのではち心配になるほどの大きなため息を再び吐き、頭皮を引きちぎりそうなほど掻きむしる。

 同時にすぐ横の石壁にもたれ掛け、そのまま滑り落ち床に力なく寝そべった。

 そこにユーラが不安な顔で見下ろしては、謝罪の言葉をつらつらと述べる。



「そもそもジュリをここに招きいれたのはユーラの身勝手だし……どうなっても何も言えない……まさかこんなことになるなんて……」


「……ユーラ、とりあえず俺は頭を使いすぎた。疲れたからもう休みたい……それにこれは今日中に決めなくても、いつでも決められることだ」


 ゼントはやって来た言葉を交わし、何でもないように目元を隠す。

 意思が確立できない弱い自分に瞳が潤んでしまっていたから。


 中途の結論は保留、それが唯一出せた結論だ。しかし不幸なことにジュリが襲ったという事実確認は取れず、彼はほとんどサラの言を呑み込んでいた。

 何かがおかしいという違和感は当然ゼントにもある。筋がかみ合っていないような気持ち悪さが。


 しかし正体を探ろうとすれば余計に頭を使うだけで、何かが分かるわけでもなく無駄足に終わった。

 どれだけ可能性を模索しても結局は憶測の域を出ず。だから彼は現状、思考の歩みを止めてしまっている。

 理を超えた現象など見なかったことにした方が無垢に生きられた。現実からは乖離していくばかりだとしても。



 結論を急がずに休むという選択は、短絡的な決定をしないという意味で極めて質実だった。

 現実では何一つ解決に進まない逃避だとしても、今は頭を冷やすべきなのだ。


 視界が横になった世界の中、ゼントは虚ろ気な目でジュリを朧げに見つめた。

 今尚俯く彼女は先程とは一転、微動だにせず座りつくしている。

 それがどうにも反省しているように彼の目には移った。


 いっそカイロス辺りに相談してみて……いや、それは根本的な解決にはならない。

 こんな時に一番信頼できるのはサラだったというのに、彼女が悩みの種を蒔いた張本人だなんて。

 なんにせよ、亜人の処遇について相談したとしても公平な返答は期待できなかった。



 思えば彼の人生はずっとかなりの確率で二者択一を迫られる。妥協も第三の道も許されない、どちらかが不幸せにならねばならない選択を。

 最近で言えばユーラを引き取るとき、またジュリを受け入れるかどうか、そしてサラと一緒に旅に出るか。

 今まさに目の前であったとしても、二つだけの選択肢しか残されていない。


 これらは最たる例を挙げただけで細かいものはいくらでも。半年前の事故もそうだ。

 考えうる中で尽力し、最善と思えるものを掴み取って今日まで来た。だが過去を全てひっくり返してひとつずつ正解だったかどうか、今になって顧みたくもなる。

 あるいは正しい答えなんてなかったのかもしれない。正しいと決めつけて心の平穏を得ようとしていた可能性だってあった。





 ――長くて短いような時の中を過ごす。


 時間が思考にこびり付いているようにも、刹那の合間に過去のものになってしまった感覚もあった。

 似たような感覚をゼントは知っている。半年前から数日前まで、ずっとこの状態だったから。



 ふと気が付いた時には昼過ぎになっていた。眠っていたのか起きていたのか、それすらも覚えていない。

 薄ら眼で横に目を遣るとユーラが横になってお昼寝をしている。全身を絡みつかせるような形で。

 次いでジュリの様子を確認しようと正面を見ると、いよいよ彼の意識ははっきりしてきた。


 その彼女が作り出す光景は異様だ。壁にもたれ掛け、死体のように口を開けていて、瞳は半分だけ碧が見える。

 絶命しているわけではない。しかしずっと口を開けていたのか、尖った歯の奥から乾いた口内が見える。

 自業自得か、あるいは己がそれほどまでに追いつめてしまっていたのか。ゼントにはそれが分からない。



 しかし、しかしながら、彼はこうも思った。彼女は美しいと。

 自ら死を選んだかのような者が中途半端な午後の日差しに照らされて、何か生命に対する明媚を見いだせた。

 思えばジュリの毛並みは透き通るように透明で、陽光に照らされては初めてわかる、翳した様な赤が入っている。


 だからどうしたというわけでもないが。だがゼントはこうしなくてはならないと感じた。

 彼の取った行動は何でもない。ただただ彼女の体を抱き寄せただけだ。それはまるで昨日ユーラにしてあげたみたいに。

 一つ今までとの違いがあるとすれば、優しく微かではなく強引に、そして思うがままに体を撫でまわしたことくらい。


 ジュリは驚く。しかし弱った心の動きは体表に大して現れることなく、強く目と耳が一瞬僅かに動いただけ。

 その様子を見て、すかさずゼントは耳元で囁く。野卑で飾り気もない、つまらない内容を。



「――俺は、どうやっても許すことができない、恨んですらいる。だからお前をもう好きなようにする。何をされても文句なんか言うなよ」


 そう言われたジュリの心境はどれほどのものだったであろう。

 好きな人に憎悪するほど恨まれ、しかしその身は求められ、嫌々だとしても助けられた。


 彼のサラへの想いがどれほどのものかは分かっている。だからこそ余計に……

 複雑極まりなく、故に彼女は一頻りに乾いた眼で泣いていた。地面を濡らすほどに泣いていた。

 しかし流れた瞬間に乾いていく。まるで全てが無意味だと嘲笑うかのように。



 ある者が言っていた。これはゼントを傷つけた罰だと。

 想い人に恨まれるのは、死よりも残酷な罰か。

 または何も知らずに仇敵と罵られ無残に殺されることが。


 だがゼントもゼントで、自身に向かって最低な奴だと罵りたかった。

 ある意味自分の欲望の為に自分の行動を正当化したのだから。

 彼は限りある時の中で際限なく撫でていた。触り方は猥雑でも乱暴というわけではない。

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