第188話『安寧』

 



 ――日輪が西の地平へ沈み、同時に後光の輝きが闇に消えた。

 人の気配のしない古朴な門、隠れるように穏やかな二人の人影、しかし間には決起が宿る。



「――ゼント、いま、なんて言ったの??」


「……俺は、サラと一緒に新しい世界には行けない。そしてここで旅の無事を祈ることしかできない。これが覆ることのない結論だ」


 ゼントはもう一度絶望を突き付けなければならなくなった。ゆっくりと一字一句を噛みしめ、自身でも改めて理解しながら、ここでお別れだと言い放つ。

 考えてみればもう一度会えただけでも奇跡に近いことだ。これ以上の望みは身の丈にも合わない。


 同時に、サラの顔が悲痛に歪んだかと思えばすぐに目を細め、全てを達観したかのように遠くを見つめていた。

 視線はゼントの頭をかすめ、その空虚の表情が心をささやかに揺さぶる。しかしそれすらも今は無意味。



 彼は考えるそう至った説明をあらゆる理由をかき集めて伝える。

 全ては何気なく言い訳がましくも思えてしまうものばかり。



「俺が一緒にいてあげられなかったら、ユーラはもちろんなんだけど。ライラが、あいつが一人ぼっちになっちゃうから。本人がどう思っていようと、孤独にしてしまうのは胸が痛む。決してサラのことを大事に思っていないわけじゃない。旅先でも親しい人間の一人や二人……」


「絶対できないわよ……できたとしても上辺だけで、本当に心を許せるのは今も昔もあなただけ。それ以外の人間なんて、絶対に……」


 サラは今にも泣き崩れそうだった。でも上の者としての威厳が邪魔をしているのか、それすらもできず、暗闇の中でゆっくりと朽ちていくかのよう。

 しかし悲しみに暮れているというよりは、全てを諦め受け答えが虚ろになっている。




「そうか……でもごめん、いくら考えてもやっぱりできないよ。何度でもいうけどサラが大事じゃないってわけじゃなくて、こればかりはどうしようもない。それに自分で決めた事だから……」


「そう……なのね……」


 逆上されるよりも、泣きつかれるよりも。その人生を今すぐにでも捨て去ってしまいたそうな表情を見るのが何よりもつらい。

 そしてサラを恋人か何かと勘違いしたのだろうか。つい頬の輪郭に手を伸ばしそうになる。僅かな鼓動でも感じ取りたくて。


 フードの隙間から見える彼女の瞳は痙攣していて、暗い海を当てもなく彷徨う漂流者のよう。

 自分と別れた後、自暴自棄になって死んでしまうのではないかと感じてしまった。恋人を失った時の自分のように。

 いや、これは自惚れか。サラはそこまで弱い人間じゃない。




 やがて周囲の余光も枯れ果てて町からの喧噪も静まって来た時、時間を費やして落ち着いたのか。

 後ろに回した腕を離し代わりに肩を持ち、ゼントの目を見て冷静な声で語り掛ける。



「……分かったわよ、あなたの意見は尊重する。でもその代わり、二つだけお願いしたいことがあるの」


「うん、俺にできることなら何でも」


 親しいとはいえ、もう会う保証もない人間相手にどんな願いをするのだろうか。

 例えば町にいる誰かにお別れの言葉を伝えてほしい、とかか。そんな朗らかなことを考えていると予想外の言葉が返って来た。



「あのライラって娘を幸せにしてあげて――」


「――は、えっ?」




「……私の必死の頼みをそうまでして断り、町に残ることに拘るのだったら、それくらいの覚悟は見せてほしいわ」


 仰天するゼントを無視して、サラは冷静に説明を加える。

 そんな言葉が出てきたのは先程、町に残る理由のライラの名を挙げたのが原因か。

 ここにきてからずっと頭が回らず、呼吸をするのも忘れてわなわなと答えるのが精々。



「で、でも俺には、ずっと心に決めている人が……」


 また言い訳がましい言葉が口から咄嗟に出てくる。

 実際彼の心にはぽっかりと穴が開いていることは事実。生きる糧にもなりうる、大事な場所が欠落してしまっている。

 その穴を誰かに埋めてほしかったのかもしれない。ここ一か月で少しずつ治り始めたものの、大部分はまだ損傷したまま。



「――ゼントはまだ恋人のことを愛しているの?」


「それは……もちろん――」

「――嘘ね」


 呼吸を落ち着かせる前に、食い気味に畳みかけてくる。

 あの優しかったサラが豹変したように彼は見えた。



「なんでそんなこと言うんだよ……!!」


「すぐ即答できていないし。今だって、否定しただけでものすごく動揺しているじゃない」


 動揺している。動揺している……その言葉がゼントの脳内を揺らす。まるで自覚がなかったから。

 自分が恋人のことが好きではない? そんなはずはないだ。だって……

 やはり傍に居ないと、好きな人への気持ちをずっと保つことは難しいとでもいうのか。いや、そんなことは……



「それに私がここに来られたのはあの娘のおかげなのよ。幸せなんて大それたものまではできずとも、少しくらい良くしてあげてもいいんじゃない?」


 話しを聞いて、ゼントは自身の失念に気が付いた。仲介してくれた存在を頭に浮かべる。そういえば彼女はどこにいるのだ?

 辺りを見渡しても姿は見えない。再会に配慮してくれているのだろうか。



「ま、まあ、何度も助けられているのは本当だし、何かしらは考えておくよ。それよりも、もう一つのお願いを聞かせてくれ」


 言葉を飾って取り繕っておく。ゼントもサラも妙に話をすり替えていた気がする。互いに気まずいので話題は次に。



「じゃあこれはできればでいいんだけど、お願いしてもいい?」


「……尽力はする」


 一呼吸おいて、ゼントは短くそう告げる。また突飛な内容では身構えていた意味がなくなるから。

 そしてその斜め上の予想は的中し、思ってもみない音が聞こえてきた。




「――私の、魔術具を持っていた白い獣人を殺してほしいの」

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