第184話『我慢』

 



 少しすると、ジュリが部屋の入り口から鼻白みながらゆっくりと覗き込んできた。

 それもそのはず、何の脈絡もなく隣からいきなり愛の囁きが聞こえてきたら、何が起こっているのか見てみたくもなる。

 ただ一つ気がかりなのは、殺人現場でも見てしまったかのように顔が青ざめていることだ。



 ユーラとゼント。外部の視線など気にも留めず、二人だけの空間を片や謳歌し、片や不安を感じている。

 だが両者ともに表には出さないように気張っていた。ゼントに関しては相手の気持ちがつかみ取れないからであるが……

 それもそのはず、ユーラからはいくら待っても反応がない。そのまま凍り付いてしまったかのように、しかし伝わってくる体温は火傷しそうなほど熱い。



 そしてようやく、数舜という辛抱を得て体に表れ始めた。想像していたよりも微弱で儚い、震えという反応が。

 これはいけないと考え、左右から回しこんでいた腕を離そうとする。

 震えたユーラは嫌で嫌で仕方がなく、声にも出せないのだと勘違いした結果だ。


 正直、吐き気を覚えるくらいには自分の行動が不快で気持ち悪かった。

 そもそも自分にも異性に対しても自信があるような奴しかできない動作だ。

 卑下するだけの人生の男には二度とないような機会だが気分がいいものでもない。相手が嫌がっているなら尚更行う必要がないと思った。



「……ごめん、ユーラがそんなに嫌がるなら無理強いは――」

「――っ!! 駄目、やめないで!!!」


 でも少し動いた瞬間、離れゆく抱擁を察知したユーラ。彼女の喉から出る力強い一声が、部屋の隅に至るまで響き渡った。

 ゼントが目を丸くしている隙に、彼女は太い腕を両脇で挟み込んで動かせなくする。


 ユーラが足を延ばして座り、その後ろからゼントが外側を覆うように座っていた。

 傍から見れば惚気もいいところだが、実際そう思っているのは内側の人間だけ。

 そして、また小刻みに震えだしたかと思えば、小さく何かを呟き始める。



「……っといって……」


「――え、何だ?」


 思わず聞き返す。何かしらの要求でもはたまた拒絶でもいい。やっと向こうから声をかけてくれたのだから。

 一つだけ意外だったことと言えば、喉を酷使しがなり立てるような声を上げた事。



「もっと言って!! ユーラのこと愛してるって、早く!!」


 何を言い出すのかと思いきや愛を欲情の催促だった。

 突然の出来事、反射で比較的に淡白な言葉を掛ける。



「わ、分かったから。その、愛している、よ」


 突然人が変わったように捲し立てた。それはもう荒れ狂う波浪の勢いで。

 後ろに首だけ振り返り、鋭い視線がゼントを突き抜ける。もう太々しくも、か弱い姿も外面にはない。

 更に彼の言い方が気に入らなかったのか、怒鳴り散らすように荒げた。



「だれのことを!?名前と一緒に!!」


「……えーっと、ユーラを、愛しています!!」



「じゃあ頭もなでて!」


「はい……」



 あまりに豹変ぶりに気圧されて、オウム返しのように言葉を綴ることしかできない。

 仕方なく言われた通りに抱き着いた状態で手の先を頭にもっていく。腕の向きが体勢も相まってつらかったが。

 しかし本人はただ狂喜乱舞しているだけ。一度溢れ出した感情は留まることを知らず、絶え間なくいきり立ち外へ撒く。



 ゼントの直感は少なからず当たっていたようだ。やはりユーラは自身の気持ちを塞ぎこんでいた。

 いつからかは分からない。異変として表面に見えてきたのはジュリがやって来た後。

 そしてその理由までも分からないが、きっと自分のせいなのだろうと彼は思う。

 だから今くらいは多少の犠牲を伴ってでも、気持ちよく発散させてやるべきなのだ、と。



 ユーラはそれから否応なしに束縛する。どんなに尽くしても離す気はないようだ。

 まだ昼間だからいいものの、このままの勢いでいくと夕方になっても離れられない気がしたから。

 無論、ゼントとしてはずっとこうしていても良いのだが、流石に夜まで成されるがままというわけにはいかない。


 かといって満足してくれる様子もなければ、少しでも立ち上がろうとすれば刃物のような視線で意欲を引き切り裂かれる。

 ゼントは少し怖いと思ってしまった。記憶を失う以前のユーラにも感じたことがないにもかかわらず。

 でもそれは自分から離れてしまうかもという不安が頭の中にあったから。



「――ユーラ、その……」


「はなれないで、しばらくこのままで居て」


 しばらくとは言うが、もうかれこれ四半刻ほど経っている。

 頑張っても拘束が解かれる兆しすら起こせず、挙句には心配で近寄って来たジュリに目線で助けを求める始末。

 意図を察知してくれたのか、早速ユーラの前に出ては身振り手振りで離すように伝えてくれる。


 しかしずっと俯いて石造のように固まっているユーラの視界には入らない。

 仕方なく今度は体をゆすった。するとようやく、ゆっくりと面を上げて少しの笑みをくれる。

 だがすぐに顔を戻す。いつも一緒にいる彼女にも今は話しかけたくないらしい。




 自分から望んでしたことは確かなのだが、こんなに動けなくなった。これは墓穴を掘ったか。

 まだ疑問形に留まるもほとんど確信めいたものだ。約束の時間までには互いが納得する形で終わらせたい。

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