第179話『憐憫』

 



 ライラは今や安穏な胸の中、夕日の明朗に照らされて、いみじき道楽とばかりに眠っている。

 考えてみれば今日一日猛烈な動きをして疲れているのだろうと思った。

 しかし、寝るのは構わないが一人隅でしてほしい。眠るだけならどこでも変わらないのだから。


 ゼントは背中を掴んで退かそうとしたが、彼女の長い髪が手にしな垂れかかり鬱陶しい。

 仕方なく黒髪の掛かっていない腕を掴んだ時、その異様な細さに驚いた。



 上腕は……分厚い外套の上から触った限りでも、骨と皮だけのような感触を覚える。

 それは今まさに朽ちかけているようで、道端に転がっている石すら持てないだろう。

 どう考えても、身の丈もある大剣を振るっていた者の腕とは思えない。


 何度事細かに触ってみても勘違いではなさそうだ。しかも服も何の素材で出来ているのか、奇妙な触り心地がした。

 服の内側を確かめようと思ったが……例え無頓着そうでも乙女の柔肌を覗くのは流石に憚られる。


 ろくに食事を摂っていないのか、もしくは……

 まだ少女とも呼べる年齢なのに。



 一旦懸念は頭の片隅に置いて、本来の目的に動きを移す。

 しかしどういうわけかライラは動かせない。僅かに体が浮いたかと思えば力強く抱き寄せられる。

 一度強く握れば折れそうなほど細い腕とは言え、力が出せないというわけではないらしい。


 本当に分からないことだらけで、彼女に対しての様々な疑問が頭の中に、次から次へと横へむかって流れていく。

 逆に分かることと言えば、大体の年齢と性別、あとは名前くらい。目的もどこから来たのかも不明。

 神秘に満ち溢れた魅力的な女性? いや、奇怪で謎が多く悪い意味で興味が絶えないだけ。



 思えば、この年齢で今までどれほどの死線をくぐり抜けてきたのだろう。

 そもそも彼女の強さは才能という概念だけで、全て片付けられ纏められるだろうか。

 才能とはいえ持っているだけでは真価を発揮しない。心血ともに努力を注ぎ込んで初めて片鱗が現れる。


 こんな性格だから、きっと外の世界で孤独に戦い生き延びてきたはずだ。

 その知識や経験が体に全て詰まっている。己との差は人の一生かけても計り知れない。



 加えて言うなら、この歳でどうやったらこのような精神が宿るのだろうか。

 口数は多くなく理性的、しかし同時に子どもっぽくて純粋無垢でもある。


 それほど外で生き抜くことに明け暮れ、本来必要だった何かが欠落してしまった。

 もしかしたらこのライラは孤独に耐え兼ね、他者と繋がりを求めてきているのかもしれない。

 それで冒険者協会にやって来たが、人との関わり方が分からず苦労しながら今に至る、というあたりだろうか。



 もちろん、これらは全てゼントの憶測だ。合っている可能性も間違っている可能性もある。

 しかし彼は、ライラを自身の身体から引き剥がすことを諦めた。

 どうせ自分の腕力では無理だから、という理由もあるが一方的な同情の占める割合が大きい。


 何にせよ、幸せな人生を歩んできたとは思えない。ならば少しくらいは思惑通りになされてやろうではないかと。

 考えてみれば危険な依頼のほとんどをライラにやってもらった。もとを正せば自業自得だとしても、疲れたことには変わりない。


 起こさないようにそっと、でもずっと乗っかられているのでは呼吸が苦しいので、上手く横に均す。

 揺れる馬車、廃れた木板の床で並び、狭い中で蛹のように蹲る。どうせすることもない、掴まれていて動けないので眠ることにした。

 不本意ながらも添い寝という形だが、どこか心安らぐ時間であったことも確かだ。



 ◇◆◇◆




「――おい……おいっ!!」


 緊張の抜けた微睡の中で、頭の上から怒鳴りつけるような声が夢の中に入り込んでくる。

 折角気持ちよく寝ていたというのに、しかしこうも荒々しく呼び掛けられては目覚めるしかあるまい。

 ゼントは眉を顰めながら薄ら眼で徐に起きる。


 首を動かして周辺を探ると、御者の男が額に皺を寄せて険しく見下ろしていた。

 乗せてもらった馬車の御者だった男だ。もとい商人だというが、それにしては随分逞しい肉体を持っている。

 そんな無駄な考察はともかく、男はこちらの覚醒を見るや否や更に大きな声を上げる。



「お熱いのは構わねえが荷下ろしの邪魔だ、おめえらさっさと降りろ!」


 お熱い? 何の話だ? 寝起きでまだ頭が回らない。自分がどうなっているかも忘れていた。

 しかし、ふと幌の破れた隙間から辺りを見渡すと、既に町に入っていることが景色から分かる。


 馬車に揺られることしばらく、今はどれくらいの時が経ったのだろうか。

 辺りはもう日が沈んだ後だ。残光が青紫に町中を照らし、禍々しく逢魔が時と呼ぶに相応しく。同時に突き立った寒さがやってくる頃。

 玉兎銀蟾ぎょくとぎんせんでも見られればまだ癒えたものの、後にやってくるのは不安になるほどの暗闇と決まっている。



 ゼントはしまったと思い、咄嗟に飛び起きようとした。だが何かが彼の動きを阻害し床に押し付けられる。

 その何かとはわざわざ確認するまでもなく、ライラだ。抱き着くような形で未だに昏々と眠っていた。



「――おい、早く起きろ、もうとっくのとうに町に着いてるぞ」


「うーん……?」


 急かされて狼狽えながらライラに呼びかけた。だが大した反応はなく、体を激しく揺らすも僅かに声を漏らすだけで起き上がる様子はない。

 仕方なく彼女を引っ張りながら荷台から引きずりおろす。思っていたよりも体重はなかったことが幸いだ。


 一緒に魔術具を回収する。こっちは重くて手が千切れそうになった。

 そしてここまで運んでくれた男には苦笑いを向けながら、足早にその場を去る。

 ゼントも一日動き回って疲れていたが、人一人を抱きかかえながら全力を出し切って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る