第98話『名前』

 



「――ゼント、ねえどうしたの?」



 懐かしい声と共に、ゼントは深い眠りから覚めた。

 しかし、現実の世界に起きたわけではない。

 体の感覚からここがどこなのか、なんとなく理解した。


 彼が上半身を持ち上げてみると、かなり粗末なベッドの上に居る。

 寝具と使えこそはするものの、布や骨組みの木はいつ壊れてもおかしくない。

 部屋を一通り見渡すと、自分が何処に居るのかはっきりと分かった。


 ――昔、冒険者を始めたての頃、住処にしていた場所だ。


 当時の稼ぎは底辺もいいところ、雨風凌げる宿に泊まれること自体が奇跡に近い。

 壁も床も汚れていて、まれに虫も湧いてくる。家具も寝台のみと、ほとんど寝る場所としてしか使ってなかった。

 割り当てられた部屋は建物の二階部分に位置するため、窓からの景色がそこそこ良かったのがせめてもの救いか。



 そして、そんな薄汚い部屋に凛とした一輪の花が存在していて、一点を訝しげに見つめていた。

 何者かは言うまでもなくゼントの婚約者だ。残酷なことに今は“元”が付くことになるわけなのだが。


 ふと窓の外の景色を見ようとするも白いもやが掛かっていて、遠くまで見通すことは叶わない。

 窓際には一つの鉢植えが置かれている。部屋の雰囲気とは全く調和しない、不自然な置物が。



「――ねえ、聞いてる?もしかして具合でも悪いの?」


 その光景の何もかもが懐かしかった。しかし今は思いふける時間は無いようだ。

 目の前の彼女の質問に答えなくてはならなかった。

 今なぜここに居て、どのような状況なのか知る由もない。仕方なく目の前の幻影に尋ねた。



「悪い悪い、記憶が飛んじゃった。俺は今まで何をしてたんだ?」


「もうっ!せっかく私が家まで来たのにいきなり寝るとか言い出して、本当にどうしちゃったのっ!?」


 その言い回しを聞いていつの日の記憶なのかを思い出す。

 おそらく、何回か仕事を共にして数か月が経ち、初めて恋人――ライラが家に訪れた時だ。

 正確には嫌がっていたのに押しかけて来た、というのが正しい。流石に、こんなに何も無くて汚い部屋を進んで見せたくは無かった。


 まだ、背中に大剣を帯びていない時期だ。

 深い茶色の髪を後ろで一房に束ねて、口を尖らせて身軽そうに語る。



「それにしても雰囲気とか一人称とか、なんか違くない?もしかして誰も見てないところだと、いつもそんな感じなの?」


「えっ?いや、そういうライラだって人前だと、急に俺に冷たくなるじゃないか」



「あ、あれは……外だとちょっと恥ずかしいから、……いいから分かってよ」


「その割には周囲にものすごく愛想が良く見えるんだが……」


 ライラは指の先をすり合わせ、顔を赤らめ風船のように膨らませながらながら答える。

 そう言えばと、昔はどこにでもいる少年のような口調だったことを失念していた。

 何も取り柄は無いが、彼は誰にでも優しい性格だった。だからこそ、悪意ある人間に騙されることもしばしば。


 口調を矯正するように言ったのは後のライラだ。

 慣れないまま素が出ることも多かったが、変化が完全に定着したのは彼女の死が決定的だった。


 あれから特にゼントは周りに横柄に振舞おうと努力するようになる。

 結果だけを言うのなら、地のやさしさが抜けきれず今のような性格に落ち着いたのだが。



「確かどんな俺の部屋を見に来たかっただけだろ?用事が済んだんなら、こんな汚い部屋に居ないで、一緒に外にでも――」


「よし、決めた!私これからここに住むね!」


 それは、かつて聞いたことあるセリフだった。過去と全く同じ言葉、最近もどこかで言われた気がする。

 その発言をさせまいと長々しゃべっていたのだが、隙間を縫うように言われてしまった。

 当時のゼントはとても驚いたが、今はひどく焦って居る。


 記憶通りならば、彼女は適当な理由を付けてそのままここに移り住んだ。

 そして、その後原因不明の病魔に侵されることになる。

 その間、ライラはずっと見ていられないほど辛そうだった。


 一か月近くも高熱と手足の痺れが続いて、医者に見せると部屋の土汚れが原因と言われた。

 乾燥した土が空気中に舞って、無意識のうちに吸い込んだのだとか。


 ならば、解決策はいたって単純。ライラをここへ住まわせなければいいのだ。

 だが彼女の悪癖は一筋縄ではいかない。



「ちょっと待って、ライラはお金はあるんだから別のところに住まないか?」


「節約しなくちゃいけないって言ったのはゼントのほうでしょ?」


 ゼントの悪癖があまりよく考えず行動を起こす事ならば、ライラの悪癖は一度決めたことを周囲の意見も聞かず、一人突っ走ることだ。

 こうなったら、もはやゼントだろうが手を付けられなくなってしまう。


 例えどんなに遠回りでも、どんな困難が待ち構えていようと、彼女は生まれ持った才能で全てひっくり返せる。それが出来てしまうのだ。

 病気には勝てないのか、と思うかもしれないが、現に彼女は医者に死ぬだろうと予見されたこの病気から、見事に復活を果たしている。



「分かった、だったら俺が今からここを掃除するから、外で待っていてくれ」


「一緒に住むんだから気を使わなくていいよ。私も一緒手伝うから」


 ゼントが策を講じようとしても全て無に帰す。

 理由を直接言った方が良いのかもしれないが、できる限り変な言動は慎みたい。


 彼女が早速部屋をくまなく見渡し始めると、あるものが目に入ったようだ。

 部屋にはベッドとその上に私物が少々、そして置物が一つしかないのだから気になるのは仕方ない。



「ゼント、これなに?」


「そ、それは……」


 それは一見すると一つの小さな置物、もとい鉢植え、もとい観葉植物だった。

 この世界では珍しいかもしれないが、物としてはよく見かけるような植物が植わっている。

 ライラが、何の警戒もなく傍に寄っていく。そして、顔を鉢に近づけた瞬間、短く悲鳴を上げた。



「きゃあっ!!ゼント!これに気持ち悪い虫みたいなのが付いてるよ!!」


「いや、それは俺が飼って育てている生き物だよ」



「でも見た目がものすごく気持ち悪いよ。早くこれごと捨ててよ!!」


「こいつはまだ一人で生きられないんだ。外に捨てたら可哀想だろ。それに食べ物とか与えてみると案外かわいかったりするし……」



「そんなのいやっ!こんなの見たことないし毒とか持ってて危ないんじゃないの!?」


 ライラは半泣き状態で、訴えかけるように強く見つめてくる。




 ゼントもそれを当たり前のように語っているが、夢の中で一つ思い出したことがある。

 あれは幼き雨の日、道端で人間に石をぶつけられている白い物体のことを。

 粘状の塊になっていて生き物かどうかも怪しいものだった。しかし逃れるように地面を這って移動し続けている。


 確かに小動物のように愛くるしい見た目をしているわけでもなければ、危険な存在である可能性もあった。

 だが何もできない弱々しい存在、何となく能力がない自分の境遇と重なる辛さが頭に入って来る。


 そして絶えず動き回ろうとしていたそれは、やがて隅で息絶えた様に止まって固まった。

 近づいて両手で掬い上げてみると金属のように冷たかった。まだ死んではいないらしく、助けを求めるように腕全体を覆う。

 一般人であれば食べられるのかと思って恐れ戦くだろうが、


 ――なぜか彼は棒立ちで無意識のうちに笑っていた。



 憐れに思って助けて家に持ち帰った日から、その謎の生物は彼の日常の一部となった。

 光を好み、でも物陰に隠れる習性から、窓際に背の高い植物を置くとそこに住み着く。

 家に持ち帰ってから食べられそうなものを与えると、肉でも雑草でも何でも吸い込むように体に取り込んだ。

 

 手を近づけると、纏わりつくように体を伸ばしてきてなついているようだった。

 そのうち話し相手がほとんどいないゼントは、その未知の存在に呼び名を付けて毎日のように語り掛けるようになる。

 今考えればこの一連の行動は頭のおかしい人に見えるが、彼自身も日々に小さな救いを求めていたのかもしれない。





 ――確か、あの時の生物に付けた名前は…………

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