第7話『支度』
――時間は少し巻き戻り……
それはゼントが少女を連れて、協会から出て行ってしまったすぐ後の事、
昨日と全く同じ時間に、協会の建物に入って来る亜麻色の長髪を持つ少女が居た。
彼女は今日も手作りの軽食を持って、ゼントに手渡そうとしている。
約束しているわけではないが、もはや日課になっていた。
そして――
――建物に入った瞬間、彼女は異変にすぐに気が付いた。
……いつもの場所に彼が居ないのだ。
少女、ユーラに悪寒が走った。
まるで、かけがえのない日常が壊れてしまったかのように、
ユーラはいつも彼が居た場所に急いで近づいた。
テーブルの上には彼がいつも飲んでいる物が、まだ半分だけ残っていた。
彼は今の今まで、ここに居たはずだ。
しかし周囲を見渡しても、彼の気配はどこにもない。
ちょうどそこに、多肉中背の店主がテーブル上を片付けに来た。
迷わず、彼女は髭を蓄えた店主に聞いた。
「あの!ここに居た彼……ゼントはどこに行ったんですか!?」
一部始終を見ていた店主は答える。
「ああ、いつも来てる嬢ちゃんか……彼なら、新しく協会に入ってきた女の子と一緒に外に出て行ったよ。多分、実習教育だと思うがね」
店主は、カイロスが強引に彼に押し付けたことを知っていたが、あえて少女には伝えなかった。
カイロスに批判が行くのを避けるためだ。
しかし、その事が少女の心を曇らせた。
ユーラは安堵の思いを抱いていた。
何か事件に巻き込まれたわけではないのだと。
だが、同時に心の内で轟いていた。
ここ半年、何もしなかった彼が突然、実習教育を引き受けるだなんて……
彼は確かに時間を持て余してはいるが、それは本来、上位ランクである彼のすることではない。
ユーラか、彼女以下のランクの冒険者が須らく行うべきだ。
自ら名乗り出ないでも限り、彼のような存在が実習教育なんてするはずもない。
つまりは、何か彼の心を動かした要因があるはずだ。
もしや、店主が言っていた女の子とやらが関係しているのでは?
何か言いくるめられたか?弱みを握られたか?どちらにせよ人生に落胆していた彼が動くとは到底思えない。
最初にそのような考えが浮かんでくる時点で、ユーラは既にいつもの彼女ではなかったのかもしれない。
思考は、徐々にだが着実に悪い方向へ進んでいく。
彼女は邪推を続けた。
まさかとは思うが、その女の子を一目見ただけで見惚れてしまったのか?
でなければ、彼が自ら動いただなんて考えにくい。
でなければ、私の誘いを断ったのに、今日に限って受け入れただなんて、しかも私以外の女から……
そんなこと、あるわけがない。あっていいはずがない。
……それは、明らかに
――その瞬間、ユーラの心と感情は、底の見えない真っ黒なものへと染まっていく。
仮に、女の子が彼の好みの見た目をしていたとしても、一目惚れなんて愚の骨頂。
つまり、彼は外見だけでしか判断出来ていないのだ。
見た目で人を選ぶのは間違っている。
彼が今必要なのは、心の底から彼のことを想って、そして献身的に傍でずっと支えてくれる人物。
例えば、そう、――
分かっている。
今の私はあの人のように、彼に相応しくは無い。
彼の心はまだ掌握出来ていない。
これは自分の落ち度だ。
ゆっくりと時間さえかければと思って、日々を浪費していた……自分の……
でも、だからこそ、“道を間違えた彼を私が導いてあげなくては…”
……彼はもう誰にもわたさない…………
ユーラはそれ以上考えることを止めた。
もうすこし落ち着いていれば、他の可能性を模索できたというのに。
不安がどんどん大きくなるばかりで、冷静ではいられなかったのだ。
「おい、嬢ちゃん。大丈夫か?」
彼女は目を見開いている。
眼球は常に揺れ動き、瞳孔は焦点を合わせない。
その様子に不審感を持った店主は、ユーラに声をかける。
「はい……大丈夫、です……教えて…くださり、ありがとう…ございます」
まるでからくり人形のように、片言でお礼を言う。
その瞳は輝きを失い、狂走にまみれている。
「具合が悪いなら、誰かに……あっ」
次の瞬間、少女は出口に向かって走り出していた。
――手に持っていた物を滑り落として……
◇◆◇◆
――時刻は現在へ至る。
その日の夜、ゼントは住処である崩れた家に居た。
結局、昨日の少女は見つからなかった。
土の上に足跡が残っているかもしれないと思い、出会った路地裏の周辺を特に重点的に探した。
だが、奇妙なことに昨日路地裏に居た、俺と男二人の足跡しか残っていなかったのだ。
近くの宿屋に聞き込みして回ったが、それらしき人物の手掛かりは得られなかった。
彼女に会いたいがために、俺の脳内で作り出した幻だったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
取り乱した姿を見られた恥ずかしさから、すぐにその場から離れてしまったことが悔やまれる。
まだ手掛かりはある。
昨日あの場に居たのは俺だけではない。
奴らに話を聞けば良いんだ。
それはそうと、明日は早い。
夜明け前には起きなければ集合に間に合わないので、早くやるべきことを済ませたいところだ。
ゼントは部屋の隅に立てかけられている一本の剣を取り出した。
久方ぶりに握る鞘に収まったそれは、ずっしりと重く手に馴染まない。
そして柄を握る手に、思いっきり力を込めて鞘から剣を引き抜こうとした。しかし、
半年も手入れされずに放置されていたからであろう。
剣身はさびて、鞘からはびくともせず、その身を拝むことすらできない。
「……まあ、多少握りやすい棍棒としてなら使えるかな」
せめて、引き抜けたのなら金属部分を磨いて剣として使えただろう。
しかしこれでは手入れする事すらできない。
ゼントは部屋の片隅に置かれた物をちらと見た。
そこにあるのは、長さが彼の背丈以上もある大きな剣。
大男が持ったとしても、ややそぐわない大きさと言えるほどだ。
薄い
長い間触れられてないのか、埃をかぶっている。
にも拘らず、剣には錆や刃こぼれが一つもない。
明らかこの世界において、時代錯誤のオーパーツだった。
「……寝るか」
薄暗い部屋の中でゼントは呟く。
「あ、そういえばユーラから食事貰うの、忘れてたな……」
大剣には一切触れず、硬いベッドの上で浅い眠りに就くのだった。
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