第1話『黒現』




 ――それは、建物の屋内に設置されたテーブルの上だった。



 黒くみすぼらしい男が今日も一人、半日以上席を独占している。

 何をするでもなく、時間の全てをテーブルの上で突っ伏して過ごす。


 彼の名は『ゼント』、ここらでは名前を知らぬ者はいない優秀な「冒険者」である。


 いや――…と言った方が今は正しいかもしれない。



 建物は飲食店も兼ねているらしく、飲み物を一つだけ注文して、何時間も居座っていた。

 ここ半年は毎日のように繰り返している。


 店の管理人はその光景にいつも頭を抱えている。

 しかしながら、出て行け、とは言えるわけが無かった。


 彼の心情を思えばこそ………




 周囲のさざめく喧騒の中、様々な情報が飛び交う。



「……王国の第一王女が殺された………!!」


「……亜人の森で反乱が………!!」



 大きな知らせにも拘らず、一切反応を示さない者が一人。

 いや、耳には届いていたが、彼にとっては咀嚼するに値しない、どうでもいい内容だった。




 うつ伏せの彼の元に、一人の女性が近づいていく。


 女性は赤毛の短髪で、やや癖毛だが最低限の身なりは整えている。

 歩く姿だけ見ても艶めかしく、しかもそれに見合った豊満な体躯を持っている。

 通りすがる彼女を初めて見た者ならば、誰もが艶やかという言葉を残すであろう。


 


 服も、他の冒険者に比べれば露出度が高く、機能性よりもデザインを重視したものになっている。


 彼女の名は『サラ』、ゼントと同じく冒険者だ。

 彼よりも年上で、彼よりも長く冒険者として過ごしている所謂、先輩だった。



 彼ら冒険者が属する「冒険者協会」そこにはある制度が存在する。

 それは新規で協会に入った者への「実習教育」だ。


 先に属していた者が“指導者”となり、新規の者が“追随者”となる。

 指導者は協会の規則や、依頼達成のコツや要点を追随者に教育する。


 そして、ゼントとサラの関係は昔の事ではあるが、追随者と指導者の関係だった。

 ゼントの指導者だったサラは、今の有様のゼントを見て何も思わないわけは無い。



 サラはゼントにやさしい声で語り掛ける。


「――ねえ、ゼント。私達、魔獣討伐に行くんだけど、ゼントも来ないかしら?あなたが居れば百人力なんだけど………」



 それに対し男は突っ伏したまま力なく、ため息交じりに答えた。


「………今日は……いい……」


 それは建物内の喧騒の中、わずかに聞こえるかすれた声。

 “今日は”と彼は言うが、毎日話しかけたとしても、今の彼からは同じ回答を得られるだろう。



 サラは首を傾げ、右手を額に当てると彼に聞こえないように大きくため息をついた。

 その顔は、いかにも困ったと言った表情だ。

 しかし、声の調子には出さないように、再び彼にやさしく語り掛ける。


「そう………じゃあまた誘うわね。お仕事したくなったらいつでも言ってね。私のパーティーに入れてあげるから………」


「…ああ……」



 相変わらず彼の声には覇気がない。

 彼は言葉を返すのにも、力を使いたくないらしい。

 しかし、それでもサラの言葉にはしっかりと返事をするところを見るに、やはり恩を感じてはいるようだった。


 サラは彼の元から立ち去ろうとするが、

 すぐに軽快な足取りで戻ってきて、彼の顔のすぐそばまで自身の顔を近づけた。

 そして耳元で分かりやすく甘く囁く。


「それか――あなたのためならパーティーを抜けてもいいわ………」


 しかし彼女はすぐに――


「………なんてね……冗談よ」


 とだけ言って今度こそ去っていく。



 彼の心には冗談を聞くような余裕は全く存在しない。

 サラの冗談にも一切反応を示さなかった。



 建物の入り口で、軽く揉めるような会話があった。

 しかし、鶴の一声でその会話の場に居たであろう人は、全員が押し黙っていた。



 ゼントは考えていた。

 そしてぽつりと声に出した。



「……魔獣、ねぇ……」



 その単語は、最近までは存在しなかった。

 人間に害を成す生物の総称として、町に訪れた旅人によって齎された言葉だ。

 謎の四人組――全員が顔を隠している奇妙な一行だった。


 害を成す生物が何かしらの魔の力を持っているとか、扱えるとか言う話は一切ない。

 しかし、町の連中は何故かこの単語が気に入って、使うことを止めない。

 使っている彼ら曰く、なんかしっくりくるし、かっこいいから、らしい。


あさましい事だ、と彼は思う。

 精々、呼び名が変わっただけで、中身は何も変わらない猛獣や植物たち。

 しかし、魔獣という実が伴ってない単語のせいで、初めて聞いた人は、酷く怯えてしまう。


 それゆえ最近では、今まで以上に協会の討伐の依頼が増えている。

 だが総称の呼び方が無かったのも事実。

 まあ、言葉とは時代や文化によって変化するもの、いずれは皆も慣れるだろうと思っていた。




 さて、いつもなら、もうすぐ一人の女性が彼の元に来るはずだった。


 先程ゼントとサラを、それぞれ追随者と指導者と言った。

 ゼントの上の存在がサラであるように、彼には下の存在もあるわけで、


 そう。これから来る彼女はゼントが、当時指導者として教育した新規冒険者で所謂彼の後輩。

 今では、昔の彼ほどの実力ではないが、一人前の冒険者として日々を過ごしている。


 そして女性は、いつも通りの時間に来た。

 亜麻色の長い髪を持ち、服装は薄緑を基調とした、華やかではないが動きやすく機能性に優れた装い。

 服装は地味だが、その分長い髪には手入れが丁寧に施されており、三つ編みをアレンジしたような髪型だ。


 彼女は建物に入ると辺りを見渡さず、そして迷うことなく彼の元にたどり着いた。

 常日頃から、この一連の動作を繰り返し行っているようだった。



「――はいゼ、ゼント!これ、いつもの!」



 彼女はドンっ、と勢いよく何かを、彼のいるテーブルに乗せた。

 彼は先程の会話に懲りずに、気だるげに返す。


「……“ユーラ”か……俺が先輩なんだから、を付けろ……」



 その彼の一切顔を上げずに言葉を返す彼に、彼女は憤った。



「だったら私より上に立つ者として、それ相応の行いで示してください!」


 そう先輩に対して丁寧でない口調で言い放つ、

 勝気な性格の彼女の名は『ユーラ』

 見た目的にも実年齢的にも、彼女は女性ではなく少女と言った方が正しいかもしれない。


 彼女はその言葉を言い切った後に、はっとした表情になり、言葉遣いを直した。



「……ごめんなさい。少し言い過ぎました。……その……!」


「――何か俺に用か?」


 ユーラの謝罪に興味なさげに、彼は単刀直入に用件を聞いた。

 それだけ彼は、この会話を少しでも早く終わらせたかったのだ。



「あの!これから一人で、町のはずれにある教会の手伝いをしに行くんだけど!その、ゼントもどう!?」


「行かない」


 返答は、考える間もなく、即答だった。

 でもユーラは諦めない。


「そんなこと言って!……あそこは綺麗だから、その……気晴らしになると思ったの!それにお手伝いも私一人だけだと、ちょっと大変だから手伝ってほしい、かなーって……」



「……他の二人はどうした?」


 彼は多くは語らない。必要最低限の言葉のみで語る。


 彼が言うその二人というのは、ユーラのパーティーメンバーの事だった。

 協会の規則に依頼を受ける場合は二人以上という規則がある。

 ゼントをわざわざ誘わなくても、その二人のどちらかあるいは両方に頼めばいい事だ。



「朝からどっか行っちゃった……でもこれは依頼とかじゃなくて、個人的に無償で受けたものだから最悪一人でもいいんだけど、もう一人くらいはいた方がいいな……!でどう?」


「行かない」


 依頼でないなら尚更、彼にとって行く理由にはならない。



「うぅー!もういい!!じゃあ、用件はこれだけ!!」


 ユーラは度し難い怒りからか、腕を組み、頬を膨らませ、そっぽを向いた。

 傍から見れば口論でも何でもない、可愛らしい会話だった。


 そして、これ以上は無駄だと感じたユーラは、建物の出口に向かって歩いていく。


 しかし、最後にこれだけは言っておかないと気が済まなかった。


「あとそれ!ちゃんと残さず食べてね!!」


 ユーラは、彼女が持ってきた物を指差し彼に言い放った。


 しかし、彼は自嘲するようにユーラに言葉を返した。



「俺みたいな弱小冒険者に、こんなことする必要は無いぜ。いったい何のメリットがあるっていうんだ」


「弱小冒険者っていうのは私への当て付け?あとゼントはただ黙って受け入れてればいいの!」


「はいはい」



 先程とは打って変わってゼントの会話はだるそうではあるものの、いくらか口数が多い。

 彼女との会話は鬱陶しくはあるものの、それでも厚意は彼にとって少なからず嬉しいものであった。

 しかし、彼は喜びの感情をあまり表に出さない。




 ユーラが去った店の中で、今日も閉店時間まで居座り続ける。

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