2,それからの夏

 なんだか釈然としない心持ちでヒアカは帰途についた。

 ずっと「ハズレ」について考えていた。ただただ「ハズレだった」という実感が重くのしかかるだけだった。

 ヒアカが見た空の端はハズレなのだ。

 残り少ない杏子を口に含んで、その甘さに慰められてなんとか歩く。

 軽くなったリュックとしょんぼりした顔をぶら下げて、ヒアカは村へ帰ってきた。


 母も叔父も友たちも、村のみなはヒアカが無事に帰ってきたことを喜んだ。その顔がしっかりしょんぼりしていることには気づいたが、ともかくまずは無事を喜んだ。

 ひとしきり喜んで、それから聞かずにいるわけにもいかず、聞くべきことを聞いた。

「空の端へたどり着いて見てこられたのか?」

 あまりにしょんぼりしているから、もしかしたら途中で断念して帰ってきたかもしれない、と思う。

 ヒアカの目が宙を彷徨う。素朴で実直な少年には、一生懸命、一ヶ月もかけて、歩いて、がんばって行った空の果てがハズレだった、とは恥ずかしくてちょっと言えそうにない。

 でもたどり着けなかったと思われるのも、つらい。

「……行って、空の端っこに着いて…………ちゃんと見てきたよ……」

 精一杯の見栄をはって少年は答える。

「ちゃんと見られて、だから、行って良かった。けど、やっぱり、自分で見なくちゃだから、詳しくは、言えない」

 ネタバレ回避に努めた。

 だいたいそんなもんだと分かっている大人たちは、行って見てこられたのだと安堵した。そして、やっぱりしょんぼりするものを見たのだなと納得した。

 同世代の友人たちはケチだと文句をつけたが、ヒアカのあまりにしょんぼりした顔を見て概ねすぐ黙った。


 ヒアカは以前と変わらない日常に戻った。

 畑は秋植えをする大事な時期である。鍬で畝を整えながら、ぼんやり考えた。

 たぶん、父親の見た空の端もハズレだっただろう。あるいは他の人も、みんなハズレだったのではないか。そうでなければ、きっと見たものを詳しく話さずにいなかっただろう。

 しかし、なにがハズレだったのか。ヒアカは更に考える。ハズレがあるなら、アタリもあるのか。

 ありそうだ、とヒアカは思った。

 世界の端っこは大地の裂け目によってたくさんに分かれている。他の分岐へ進んでいけば。世界のどこかにアタリの端もあるのではないか。

 少年は手を止めて、この考えについて吟味してみた。

 突飛な妄想とは、思われない。

 それならばアタリにはなにがあるのか。なにかあるのか。

 なにせ世界の果てのアタリである。すごい賞品とか。穴があって壁の向こうへ行ける、とか。

 ヒアカは、アタリを見つけてみたくなった。

 実際、何度も空の端を見に行くようになる人というのも稀にいる。つまりヒアカと同じアタリを探したくなってしまった人なのだ。

 大抵は、一度でがっかりし、気落ちし、虚しくなり、もう二度と関わりたくなくなるのだが。ときどき嵌まるこういう人は、まあなんていうか、賭博師の素質があるのかもしれない。

「おい、ヒアカ、どうした?」

 隣の畑で茄子の刈り込みをしていた叔父は、突っ立って動かなくなった甥に気がついた。

 空の端を見に行ってからひとまわり逞しくなったように見える甥だが、一方であのときの消沈からなかなか回復しない。心配していた。

「……もう一度、別の端っこを見に行きたいかも」

 想定外すぎる返答に、叔父は言葉を失った。

 理由を問えば、甥は「どうなってるか気になる」などと言う。

「いや、でも……同じ、じゃないのか?」

 そっと聞くと、甥は首を横に振る。違うらしい。詳しいことは話してくれないので、叔父にはさっぱり分からないが。

 空の端はどうなっているのか。なにがあるのか。ちょっと気になり出してしまった叔父は、頭を振って変な気を追い出した。

「そりゃ行きたいのなら行っていいってのがルールだが」

 叔父がいろいろ思案しても、少年を止められるほどの理由はない。

 ヒアカが言った。

「もちろん、畑もあるし、準備もあるし。寒くなるから、春を待つよ」

 ますます引き留める口実がない。


 凍てつく日が続く冬の間、ヒアカは懸命に畑の世話をして、準備に必要な費用を貯めた。

 ついでに仕事の合間をぬって村を歩き、過去に世界の果てを見に行った人を探した。

 だいたい誰もが最初は口をつぐんだが、ヒアカがこの間見に行ったことを明かし、例のアレだったか尋ねると、間違いなくみな深く頷いた。

 もれなくみんなハズレだったらしい。

 それからヒアカは、みながどこの端へ行ったのか、できるだけ詳しく話してもらった。

 ハズレの目撃情報はあっちこっちに散らばっていた。しかし、なにせ昔の話で記憶がおぼろげだったり、あまり道を気にしていなかったりと、はっきりしないことも多い。

 道程を地図にできる人もなく、結局は自分で見に行って確かめるしかないというのがヒアカの結論だった。


 春になって土がぬかるむ頃、ヒアカは二度目の出発をした。

 一度目と同じ方角へ、川を追って歩きだす。

 今回は、下手くそながら地図っぽいものも描いてみる。

 幾日も森を進み、また川が大地の裂け目へ流れ落ちるところまで来た。

 ここだ。一度目はこのまま裂け目を左、真西の方角へ行った。

 今度は裂け目の右へ行ってみよう。

 大きな裂け目に分かたれて、ヒアカは新しい道を歩く。注意深く目に映るものを地図へ書き込んでみたりしながらの道行きは、以前より少し遅かった。でも一度目よりも一層楽しい旅になった。

 ヒアカも少し旅慣れたのかもしれない。

 また裂け目に出くわすと、必ず裂け目の左側を選んで進むことにした。

 数を間違えないように分岐路は丁寧に書き込む。距離も縮尺も測る術はなく、地図がどのぐらいちゃんと描けているのか、ヒアカには分からない。ヒアカ自身が見て、来た道が判別できれば今のところは及第点、と信じる。

 一ヶ月を少し過ぎ、地図の紙が何枚にもなったとき、ヒアカは再び空の端の前に立った。

 一度目とよく似た細い道の先に、一度目と同じ空の端がふわりふわり揺らいでいる。

 そっと近づいたヒアカは、空を突ついてほわんほわんする感触を楽しんだ。

 それから足下の端をつまんで、よいしょっと持ち上げる。

 白い壁が姿を現し、みぞおちの高さまで上げると大きな黒い文字が見えた。

 ハズレ。

 予想して、覚悟はしてきた。それでも万が一を期待せずにいられなかったヒアカは落胆し、空を離す。空はふわりと、何事もなかったように元に戻った。

 落ち込んでいる暇はない。

 ヒアカは来た道を戻り、最後の岐路を右へ進む。

 食料の持つ限り、こうやってしらみ潰しに確認して回る計画だった。

 次の空の端へ行って少しめくって見る。ハズレ。また戻って隣の空の端へ行ってめくってハズレ。

 ひたすら歩けるだけ歩いて、回れるだけ回った。

 結果は全部ハズレだった。

 帰り分ぎりぎりの食料しか残っていない。しかもかなり切り詰めて質素な量で我慢している。体力的にもぎりぎりだった。

 ヒアカは大人しく村への道を戻った。


 朝夕が冷えるようになる頃、やつれたヒアカが盛大にしょんぼりした顔で村へ帰って来た。

 素朴で実直な大人たちは、心配しつつもそっとしておくことにした。そして、空の端を見に行きたいと言う子供がまた少し減った。

 ただ、ヒアカ自身は、別に諦めるつもりはない。

 寒い間はせっせと畑で働き、村の雑用で稼ぐ。暖かくなると大きな荷物を背負ってしらみ潰しの旅に出る。そういう生活を始めた。


 何度も何度も何度も。決して諦めず、手を抜かず、ひとつひとつ空の端を確認して歩く旅。

 森での火の扱いにも長け、草木の見極めもしっかりし、地図の書き方もいっぱしになった。

 そんなヒアカの行動を村人たちは奇異の目で見なかったわけではない。けれども村のルールに反してはいなかったし、ヒアカが途中見つけた珍しい植物や資源を持ち帰り、それが村人の益にもなったから、次第にみな慣れていった。

 五年、十年、何十年と続くうち、いつしかヒアカは冒険家、などと呼ばれるようにもなった。

 人生のほとんどを村の外で過ごし、多くを見て来たヒアカは、間違いなくこの世界を一番よく知る男だった。

 ある時には日の出を向かえる空の端を見た。太陽は空の幕の向こう側でじりじりと熱く輝く何かだった。熱すぎたから、近づいて空を捲って見ることは叶わなかった。

 逆に月はとても冷たく凍てつくなにかだった。月が通った後は空に霜がついているのをヒアカは見た。


 けれど、まだ空のアタリの端は、見つかっていない。

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