インシュス

間宮

唾と蜜

 殺人、薬物、売春... ありとあらゆる非合法がグレーゾーンとされた区域、それが


             「不有ふゆう


だ。元々は少子高齢化により労働力を失った日本という国が財政破綻を免れるために無国籍の人間や、ビザのない様々な人種を人々を向かい入れるための小さな地域だった。そこに集まったのは政府の想像を絶する大量の外国人たち。自由の国の米国アメリカを超える移民規制の緩さを持ち合わせながら、名ばかりの肩書きであるが「先進国」である日本のような土地に、どこもかしこも需要を求めたんだ。勿論のこと、不有の区域はどんどん広がった。しかしいくら土地を拡大させようと、幾何級数的に伸びる出生率をカバーするのには、到底及ばなかった。最初こそ政府は、少子化の問題に希望が見えてきたと喜んでいた。

「日本の景気が本気を見せる!」なんてプロパガンダみじたスローガンがあたかも当たり前かのように町中に張り出されていたのは、誰もが覚えている羞恥の歴史だ。


それがまやかしであることに気づいたのは、景気の落ち込みがむしろ激しさを増してから、ずいぶん経った頃のことだ。


指数関数的な上昇を見せたのは「全国的な労働力」ではなく、「犯罪率」だったことに目を向けようとする政治家たちは誰もいなかったのだ。政府が不有への入国を禁じた時には、もう遅い。不有のおかげで日本の平均人口比率は発展途上国のそれと、ほぼ変わらなくなってしまったんだ。実際の有り様も、似たようなものだった。そして不有の人口密度が東京を超え、セカンド東京ズータウンと卑下されるようになってからそれほど経っていないある日の夜。二人の少年は路地裏から続く行きつけの寿に集まり、こんな話をしてたんだ。


... 「なあイーちゃん、僕ら、革命を起こさないか?」


男はおぼろげながら段々と輪郭をみせる天井の電球を見つめながらそう言った。


「俺もそれ言おうと思ってた。まさに今だよ。いやほんとにさ。これベスト周波数アワードって題名で曲かきたいな。俺が作曲とか全部するから、嬢くんが歌ってよ。入った金は...そうだなぁ5:5できっちりわけよう。公平だね。」


イーチェンの流暢な日本語は彼が在日二世だと忘れさせるほどに違和感がなかった。


すると嬢は天井に顔を向けながら、眼だけを、なにか言いたげにイーチェンに睨みつけさせていた。


しかしため息もつく前にカクテルのまんるい氷をくるくると回し始める。


「なあ、冗談だよ。6:4で嬢くんさ」


本気な目つきでそう切り出したイーチェンのその発言は、彼自身が不有金融のバックにつくマフィアとして生計を立てていることに起因する、金への異常な執着のせいなのか、それとも単純に酔っているだけのなのか、はたまたその両方か。嬢にはよくわからなかった。


「なあ、僕は本気だイーちゃん。君の目つきの感じはさ、どう考えたって左翼って感じだぜ。」

何を投げかけてもはぐらかす彼に、嬢は目を合わせる


「...なにそれ。目つきで人を判断できるほど大人じゃないだろ」

イーチェンは頬杖をついたまま、音を立ててカクテルを啜った。


「Well... seeing is believing」

自分に言い聞かせるように、嬢は告げる。

「...ん?」


イーチェンが彼の発言の真意をまだ理解していなかった頃、嬢はなにかを企んだようだった。日本の中心がまだ東京だった頃に、サラリーマンが満員電車に揺られながらも「ゼツタイに離さぬぞ」と胸にかかえていたような革のバッグを椅子の下から持ち出す。ゆっくりと、丁寧に、中身をイーチェンに微かに見えるように傾ける。嬢は正面向いたままだが、彼の繊細な無表情はその場に緊迫感を丁寧に演出していた、その空間に指先ひとつ挟めば、バチリと感電してしまうのではないかと疑ってしまうほどに。


イーチェンは体左半分でそれを感じ取り、顔はほとんど動かさず斜め下に視線をおろす。


すると、嬢も、待ち侘びたようにイーチェンの瞳にじーっと視線を動かす。全神経を視覚に集中させ、情報をその一点に絞り、他の全てを淡く淡く変化させる。脈がだんだんと早くなる。頭に血が昇っていることにさえ気づかない。

そして、ゾロゾロと、ゴロゴロと始まった。

いつしか、イーチェンの瞳孔が鮮明な黒に変化する。目全体から顔面に至るまで、その影響は及ぶ。五感でしっかり追わないと、視えない雰囲気がそこには演出されているのだ。


あぁこれこれ...僕はそんなイーチェンの本気の合図が、昔からの好物なんだ。仕事をする時も、セックスする時も...いつだってこれが合図なんだ。


「本気か?嬢くん。」

顔は正面に向けたまま、曇った瞳だけをこちらに向けてくる。

「ああ、さっきも言ったはずだ。それに...」


嬢は顔面をイーチェンに思いっきり近づけた。唇と耳が触れるか触れないかのプライベートの境界線ギリギリ。吐息はもはやそれを超えていた。


そして、こう吹きかけた。

「いつだって本気さ。イーチェン」

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