第13話 兵役と偏見と
「よかった。ちょうど練習相手が欲しかったんです」
にこっと笑い、うきうきした様子で歩くフェリシティは、先ほどと打って変わってとてもリラックスしている。
「AIだとなんだか、緊張感に欠ける気がして」
「しかし、自分なんかでヘザリーバーンさんの支援が務まるかな……」
「なんかって……そんなこと言わないでください。私だって大したことありませんよ」
シミュレーター室に先客はいない。
「他に誰もいないみたいだね」
「ですね」
だだっ広い空間に二人だけ、その状況に二人とも急に意識して緊張してしまう。
「すごい、やっぱり正規パイロット用のは違うなぁ」
最新の機械を見て子供のようにはしゃぐ
「最新のVer.6.0ですね」
「え、ヘザリーバーンさん知ってるの?」
「はい、私のいる研究所でもこれと同じものを使っているので。それを
「へぇ! グーのはシミュレーターまでカスタマイズされてるんだ――」
その言葉を口に出して
(っ⁉)
(しまった――)
一瞬にして二人の会話が止まり、空気が凍り付く。
goo【べたべたしたもの】
一般にSRNがドロドロべたべたしたものと勝手なイメージが広まり、さらにSRN――自己複製型ナノマシン――が暴走し、人類を滅ぼす可能性があるというグレイ・グー問題にかけて、
(いつも訓練生たちの間では、そう呼んでいたからつい口に出てしまった。身の周りに
「ごめんっ!」
「いえ、気にしないでください。私、別に気にしてませんから、顔を上げてください」
そのまま会話が途切れ、気まずい空気が流れる。
フェリシティは
(本当に気にしてないのにな)
「あの!」と、重い空気を
「えっと、その……霧笛さんのこと、ファーストネームで呼んでもいいですか?」
「え? ああ」
フェリシティはなんとか重い空気を変えようと精一杯がんばって話しかけてくれている。
(こっちが逆に気を使わせてしまった……やっぱりいい子なんだな)と、
「はい、もちろん」
「いいんですか、ありがとうございます」
「丁寧語や婉曲表現も使わなくていいですよ、同じ年だし」
「じゃあお互いに」
「あ、そうだね」
ハハハと笑いあう二人。
「それと、私のこともファーストネームで呼んでほしいな」
「えっ⁉」
「ヘザリーバーンって長いし、言いにくいでしょ」
「まあ、確かに……でも、しかし……」
(女の子をファーストネーム、つまりはイーハトーブ・コロニーでいう〝下の名前〟で呼ぶ、そんなこと小学生以来、いや保育園以来か)
「
訓練生たちのことを言っているのだろう。でもあれは男同士の話だし。同じ年の女の子を下の名前で呼ぶのなんて別次元の話だ。フェリシティという名前は、生まれ育ったイーハトーブ・コロニーになじみのない名前で、髪も明るい色ではあるけれども、その顔立ちに関していえば、目鼻立ちはそれほど高くなく丸みのある輪郭で、自分と同じ東アジア系の顔立ちを彷彿させる。性格も引っ込み思案で奥ゆかしく、謙遜しがちなところが、何となく他コロニー人とは思えず、気恥ずかしく抵抗を感じてしまう。
困った顔を向けるフェリシティに、
「フェリシティ……さん」顔を紅潮させながら何とか言ってはみたものの、やはり恥ずかしい。
「さん?」
「じゃあ……フェリシティ……」
「はい」とニコッと笑って嬉しそうに微笑むフェリシティ。
そんな
ファーストネームで呼び合うだけのことで、これほどのやりとりをするなんて、つい面白くなって笑ってしまう。しどろもどろになる彼を見ていたら、尚更おかしくなってフェリシティは声を出して笑う。
「フェリシティ……笑いすぎ」
「ごめんなさい、ふふふ」
「ヘザリー――じゃなかったフェリシティ……それじゃあ始めよっか」
「はい、
「え、そっちは君付け?」
「イーハトーブの男の子は〝君〟をつけて呼ばれたいって、書いてあったから……嫌かな?」
「いや、全然嫌じゃないよ。うん、いいよ!」
(書いてあったって、何に? ファッション誌とか、かな。女の子のそういうところはよくわからない。でもまあ、こちらは君付けで呼んでもらったほうがいいか。少し照れくさいけど女の子から下の名前に〝君〟をつけて呼ばれるって、何かいいな! うん、すごくいい!)
フェリシティも楽しそうにしている。
すっかりわだかまりも消え、打ち解けた二人はSWGのシミュレーターを使った訓練を始めることにした。
高性能で、この〝月〟スティクスの地形がリアルタイムでマッピングされている。普段使っているものよりも臨場感が格段に優れたシミュレーターに乗り込み気分が高揚する
前衛をフェリシティの〈アルフェッカ〉、その後方で
初めは二人だけの訓練で
(すごい真剣だな。教官が見ているわけでもないし、何の評価にも関係しないのに)
ただ二人だけのシミュレーター訓練でさえ全力でうち込むその姿に、フェリシティの真面目さがよく伝わってくる。
(しかし、それだけなのかな。それだけでじゃない、違う何かを感じる。なんだろう、切迫感のようなものを)
やはりSWGの操縦となると、あのおっとりした雰囲気は一切感じられない。
キレのある動き、無駄な動作が一切ない。相当な修練を積んできたことが、シミュレーター訓練をしているだけでもよくわかる。
――だからこそ分からない。
――なのに、どうして彼女はこんなにも一生懸命なのだろう。
現在、被徴兵者の兵役期間は60ヶ月まで延長されている。いつ終わるとも知れないこの、異種との戦争、兵役期間がさらに延長されることも
その間ずっと、
(この戦争が終わるか、あるいは死ぬまで、その運命から解放されることはないのかな。それじゃまるで死の宣告を受けたに等しい。事実、兵士の中で
自分から意欲的に取り組む者など、いはしないというのが通説だ。そういった理由から、志願して軍に入った一般のSWGパイロットの間では、
それに比べてフェリシティの印象は全く異なる。
少しでも成果を得ようとする真摯な姿勢にも見えるが、何かに駆り立てられているようで、どこか危うくも見える。まるで、流れる川の水を、その小さな手で必死に掬い上げようとしているかのよう。
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