第13話 兵役と偏見と

「よかった。ちょうど練習相手が欲しかったんです」

 にこっと笑い、うきうきした様子で歩くフェリシティは、先ほどと打って変わってとてもリラックスしている。


「AIだとなんだか、緊張感に欠ける気がして」


「しかし、自分なんかでヘザリーバーンさんの支援が務まるかな……」


「なんかって……そんなこと言わないでください。私だって大したことありませんよ」


 シミュレーター室に先客はいない。


「他に誰もいないみたいだね」


「ですね」


 だだっ広い空間に二人だけ、その状況に二人とも急に意識して緊張してしまう。櫂惺かいせいはその雰囲気に耐えられず目の前にあったSWGシミュレーターを覗いてみる。


「すごい、やっぱり正規パイロット用のは違うなぁ」


 最新の機械を見て子供のようにはしゃぐ櫂惺かいせいを見てフェリシティは目を細める。


「最新のVer.6.0ですね」


「え、ヘザリーバーンさん知ってるの?」


「はい、私のいる研究所でもこれと同じものを使っているので。それをCRESクレスパイロット用にカスタマイズしているんです」


「へぇ! のはシミュレーターまでカスタマイズされてるんだ――」

 その言葉を口に出して櫂惺かいせいは、はっと我に返る。


(っ⁉)

 櫂惺かいせいはつい、を口に出してしまい硬直する。 

(しまった――)


 一瞬にして二人の会話が止まり、空気が凍り付く。


 CRESクレス、つまりはSRN――自己複製型ナノマシン――を投与された人間を指す差別用語として広く使われている「グー」という言葉。


 goo【べたべたしたもの】


 一般にSRNがドロドロべたべたしたものと勝手なイメージが広まり、さらにSRN――自己複製型ナノマシン――が暴走し、人類を滅ぼす可能性があるというグレイ・グー問題にかけて、CRESクレスに対し侮蔑をこめて使われるようになっていた。

 

(いつも訓練生たちの間では、そう呼んでいたからつい口に出てしまった。身の周りにCRESクレスの人なんていなかったし、そっちの呼び方のほうが言いやすかったから、みんな使っていた。それに徴兵されたCRESクレスは消極的だという話を又聞きし、それをそのまま信じて差別的な意味を込めて使ったことも、無くはなかったが……少なくとも今はそんなつもりは無かった。つい、はしゃぎ過ぎて思わず口に出してしまった……)


「ごめんっ!」櫂惺かいせいは頭を下げ誠心誠意フェリシティに謝罪する。


「いえ、気にしないでください。私、別に気にしてませんから、顔を上げてください」


 そのまま会話が途切れ、気まずい空気が流れる。


 フェリシティは櫂惺かいせいの方を見ると、本当に申し訳なさそうにうなだれている。悪気があって言ったのではないことは分かっていたから、別に嫌な気分にならなかった。


(本当に気にしてないのにな)

「あの!」と、重い空気をはらうように、フェリシティが言葉を発する。

「えっと、その……霧笛さんのこと、ファーストネームで呼んでもいいですか?」


「え? ああ」


 フェリシティはなんとか重い空気を変えようと精一杯がんばって話しかけてくれている。


(こっちが逆に気を使わせてしまった……やっぱりいい子なんだな)と、櫂惺かいせいは思う。同時に、どうしてこんな子が戦争に行かなければならないのかと、今の世界の現実に強い憤りを感じはじめていた。


「はい、もちろん」櫂惺かいせいはフェリシティに向き直り笑顔で答える。


「いいんですか、ありがとうございます」


「丁寧語や婉曲表現も使わなくていいですよ、同じ年だし」


「じゃあお互いに」


「あ、そうだね」櫂惺かいせいもつい丁寧語になっていたのことに気づいて咄嗟とっさに直す。


 ハハハと笑いあう二人。


「それと、私のこともファーストネームで呼んでほしいな」


「えっ⁉」


「ヘザリーバーンって長いし、言いにくいでしょ」


「まあ、確かに……でも、しかし……」


(女の子をファーストネーム、つまりはイーハトーブ・コロニーでいう〝下の名前〟で呼ぶ、そんなこと小学生以来、いや保育園以来か)


H.E.R.I.Tヘリットの人の中にはヘザリーと略して呼ぶ人もいるけど、やっぱり親しい人にはファーストネームで呼んでもらいたいから。それにみんな、ファーストネームで呼び合っているの、羨ましくて」


 訓練生たちのことを言っているのだろう。でもあれは男同士の話だし。同じ年の女の子を下の名前で呼ぶのなんて別次元の話だ。フェリシティという名前は、生まれ育ったイーハトーブ・コロニーになじみのない名前で、髪も明るい色ではあるけれども、その顔立ちに関していえば、目鼻立ちはそれほど高くなく丸みのある輪郭で、自分と同じ東アジア系の顔立ちを彷彿させる。性格も引っ込み思案で奥ゆかしく、謙遜しがちなところが、何となく他コロニー人とは思えず、気恥ずかしく抵抗を感じてしまう。


 困った顔を向けるフェリシティに、櫂惺かいせいは勇気を思い切ってファーストネームすなわち下の名前で呼んでみる。


「フェリシティ……さん」顔を紅潮させながら何とか言ってはみたものの、やはり恥ずかしい。


「さん?」


「じゃあ……フェリシティ……」


「はい」とニコッと笑って嬉しそうに微笑むフェリシティ。


 そんな櫂惺かいせいを見ていて、フェリシティは日本の文化を色濃く残すイーハトーブ・コロニー出身の男の子にとって、女の子をファーストネームで呼ぶことが、そんなにも難しいことなのだとよく理解することができた。


 ファーストネームで呼び合うだけのことで、これほどのやりとりをするなんて、つい面白くなって笑ってしまう。しどろもどろになる彼を見ていたら、尚更おかしくなってフェリシティは声を出して笑う。


「フェリシティ……笑いすぎ」


「ごめんなさい、ふふふ」


 櫂惺かいせいは赤面しているの悟られないようにシミュレーターの方へ顔を向ける。


「ヘザリー――じゃなかったフェリシティ……それじゃあ始めよっか」


「はい、櫂惺かいせい君」


「え、そっちは付け?」


「イーハトーブの男の子は〝君〟をつけて呼ばれたいって、書いてあったから……嫌かな?」


「いや、全然嫌じゃないよ。うん、いいよ!」


(書いてあったって、何に? ファッション誌とか、かな。女の子のそういうところはよくわからない。でもまあ、こちらは君付けで呼んでもらったほうがいいか。少し照れくさいけど女の子から下の名前に〝君〟をつけて呼ばれるって、何かいいな! うん、すごくいい!)


 フェリシティも楽しそうにしている。

 

 すっかりわだかまりも消え、打ち解けた二人はSWGのシミュレーターを使った訓練を始めることにした。


 高性能で、この〝月〟スティクスの地形がリアルタイムでマッピングされている。普段使っているものよりも臨場感が格段に優れたシミュレーターに乗り込み気分が高揚する櫂惺かいせい


 前衛をフェリシティの〈アルフェッカ〉、その後方で櫂惺かいせいの〈ドラグーン〉が支援につく。


 初めは二人だけの訓練で櫂惺かいせいは気持ちが浮ついていたが、フェリシティの真剣さに、それはすぐに消し飛んだ。


(すごい真剣だな。教官が見ているわけでもないし、何の評価にも関係しないのに)


 ただ二人だけのシミュレーター訓練でさえ全力でうち込むその姿に、フェリシティの真面目さがよく伝わってくる。


(しかし、それだけなのかな。それだけでじゃない、違うを感じる。なんだろう、切迫感のようなものを)


 やはりSWGの操縦となると、あのおっとりした雰囲気は一切感じられない。


 キレのある動き、無駄な動作が一切ない。相当な修練を積んできたことが、シミュレーター訓練をしているだけでもよくわかる。


――だからこそ分からない。


 CRESクレスは、18歳になり高校を卒業すれば、徴兵されることが決まっている。そして最前線へと送られる。


――なのに、どうして彼女はこんなにも一生懸命なのだろう。


 CRESクレスと呼ばれる人間は、身体中を巡るナノマシンによって悪影響を及ぼす細菌やウィルス、病巣がすぐに取り除かれ、患部も立ちどころに修復される。体調不良などもまずありえない。優秀且つ常に万全の状態であるがゆえに、兵士としての有用性が極めて高い。


 現在、被徴兵者の兵役期間は60ヶ月まで延長されている。いつ終わるとも知れないこの、異種との戦争、兵役期間がさらに延長されることもいなめない。

 その間ずっと、CRESクレスは前線で戦い続けなければならない。


(この戦争が終わるか、あるいは死ぬまで、その運命から解放されることはないのかな。それじゃまるで死の宣告を受けたに等しい。事実、兵士の中でCRESクレスのSWGパイロットの損耗率が最も高いと聞くし……)


 CRESクレスのパイロット訓練生は皆、大抵絶望して訓練中あまりやる気を示さないと教官の一人が言ってたことがる。無理やりやらされているかのような投げやりな態度で、叱咤したり、強い口調で発破をかけないと動かないのだと、そういう話をよく聞かされていた。


 自分から意欲的に取り組む者など、いはしないというのが通説だ。そういった理由から、志願して軍に入った一般のSWGパイロットの間では、CRESクレスパイロットを〝グー〟と、侮蔑をこめて呼ぶことがあった。


 それに比べてフェリシティの印象は全く異なる。


 少しでも成果を得ようとする真摯な姿勢にも見えるが、何かに駆り立てられているようで、どこか危うくも見える。まるで、流れる川の水を、その小さな手で必死に掬い上げようとしているかのよう。


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