第8話 CRES――定期検査義務対象者――

 フェリシティ・ヘザリーバーンはCRESクレスのために特別に製造されたSWG〈アルフェッカ〉の胴体に収まり、円筒の壁に囲まれたニューランズの空を飛行していた。


「……まだちょっと体がだるいかも。検査の時に飲んだ薬がまだ効いてるのかな」


 フェリシティは、さきほど定期検査を受けたばかりで、少し倦怠感を感じていた。

 


 CRESクレス、つまりSRN――自己複製型ナノマシン――を投与された人間は、特定の医療機関で精密な検査を定期的に受けることを、法律で義務付けられていた。


 CRESクレス:Compulsory Routine Examination Subjects定期検査義務対象者。


 体内のSRNが、突然変異を起こしていないかを確認するため、CRESクレスは強制的に検査を受けなければならなかった。 


 CRESクレスが、そのパイロット専用に開発された特殊なSWGに乗ると、常人の能力をはるかに超える。体内のナノマシンが活性化され、神経細胞に介在し跳躍伝導を飛躍的に高め、反射速度及び運動能力が極限まで高められる。さらに、神経伝達物質がコントロールされ、緊張することも、恐怖心を抱くこともなく、戦闘中であっても常に冷静な行動がとれる。


 CRES《クレス》パイロットのための特別仕様のSWGには、搭乗者と同じSRNが機体全身に組み込まれている。そのため全高14mにもなる巨体を0.01秒のタイムラグなく自身の身体を動かすように扱うことができた。


 アスリートの着用品や使用する道具のように、そのポテンシャルを余すことなく引き出すため、搭乗者に合わせたフルオーダーの機体。 


 SWG実験機〈アルフェッカ〉は、フェリシティ専用の機体となっていた。



『機体の限界が知りたい。フェリシティ、機体の性能を限界まで引き出してくれ』と、研究所の責任者であるマイヤー局長から通信が入る。


「いきなりそんなこと言われても……」

 と、フェリシティは小声でつぶやく。


『うぇっ⁉ ちょっと局長、整備斑のことも考えてくださいよっ!』

 局長の通信を介して、遠くからメカニックの多田倉進九郎ただくらしんくろうの声が聞こえてきた。


『メカニックロボがリペアするわけで、君がするわけじゃないんだから別にいいんじゃない』

 システムエンジニアチーム・リーダーのサンベック・アルチャの声も聞こえる。


『修理箇所と問題個所のレポートを提出しなきゃならねえの。無人機が止まった時に対応できるように、人間のメカニックも全部把握しておかなきゃならねぇし。全部AI任せにできないから大変なの、こっちは! しかも今度は全身だぜ。腕の関節だけでもこの前、半日かかったのによ……』


『ふ~ん、大変だね~。でもそれは君の処理能力にも問題があるんじゃない?』


『コンピューターだけいじってりゃいいだけの奴にわかるかっ! それとも何か、仕事の速いサンベックさんが手伝ってくれるのか?』


『……やだよ、僕やらないよ。自分の仕事終わったらすぐ帰るからね』


『つれないこと言うなよ~、チームじゃないかよぉ~。システムだけでいいからさ、なっなっ!』


『やだよ、やんないよ』


『やべぇ、全身なんてことになったら2日は帰れねぇ……』


『ご愁傷様』


 そんな会話のやり取りを意に介さず、マイヤー局長が無慈悲な命令を下す。


『データを取るためだ。壊れるまでやってくれ。これは命令だ』


『いいいいいいいっやあああああああぁぁぁぁぁーーーーーーー…………』


 多田倉さんの断末魔が無線から響いてくる。通信回線からオペレータールームのグダグダなやりとりが駄々漏れてきて、フェリシティは苦笑くしょうする。これが連盟政府大統領直属の秘密機関の人たちだなんて、とても思えない。


(みんな相変わらず。でも機体を壊れるまでって言ったって、どうすれば……?)


 ただでさえSWGというものは、故障が起こりにくい精巧な機械。さらに信頼性を高めるため頑丈に作られた軍用のもの。おまけに選りすぐりの熟練技術者達が情熱を注ぎ込んで作り上げた渾身のSWG。整備も常に隅々まで行き届いている。一体どうやったら、そんなものを動かすだけで壊せるというのだろう。至難の業に思えて困り果ててしまう。


(うーん、困ったな……)


 どうしたら良いかもわからず、しばらく困惑しながら、ぎこちなく機体を動かしていると、また通信が入る。


『とりあえずダンスでもしてみたら』

 と、チームドクターのジェーン・デイヴィスが優しい口調で呼びかけてきた。


 またメラー局長の通信回線から。音の距離感から局長の隣にいるのだろう。


 ジェーンの声が聞こえて来てからすぐに、SWGコックピット内スクリーンの一角にダンス動画がBGMとともに流される。


「フェリーク」と呼ばれるダンス競技の動画。制限のない宇宙空間をフィギュアスケーターのように滑りながら、自由自在に舞う踊り子が映っている。そんなフェリーク競技選手が様々なダンスを取り入れてダイナミックに、かつ自由に、自分を表現している。 


 等身大サイズで、身体に直接装着するタイプのSWG。布地のような柔らかな質感。ぱっと見、機械にはとても見えない。ドレスのようなSWGを身にまとい、宇宙空間を華麗に舞う美しい競技選手。  


「局長はいつも言葉が足りないんです。もっと具体的な指示を出しましょう」


「わかった」

 マイヤーはジェーンの指摘に無表情で答える。


 フェリシティはジェーンからの助け船にホッとするのもつかの間、映し出されたダンス動画はかなり難易度の高いもので困惑する。


(助かったけど、これ、すごく難しそう。できるかな……まあ、とりあえず!)

「了解です、映像のダンスを実行します」

 ふうっと、大きく息を吸ってから見よう見まねでダンスを始める。


 そうしてしばらくの間、研究所の上空で、新しい実験機のテストが行われていくことになった。



   ***



 フェリシティは学校が終わるとすぐに、スペースコロニー間シャトルに乗りニューランズ・コロニー内にあるこのH.E.R.I.Tヘリットの研究所に来ることが日課となっていた。ここ最近はこの〈アルフェッカ〉に乗って、毎日こんな実験とも遊びと知れないことばかり続けていた。


(毎日こんなこと、してていいのかな? 機体のデータを取るため、とはいっても……)


「さてと、今日はどんな曲が来るかな」と毎日楽しみにしているダンスの時間。と、通信が入る。


『ヘザリー、多田倉だ』


 開発主任の多田倉から、不意に、記録に残らない秘密回線を使った通信が入る。


「はい、なんですか?」


『うむ、今日、局長はいない。だから無理はするな、無理は、しなくて、いいんだぞ。お前の好きなイーハトーブの抹茶アイス、買っておいたからな。

 今日のはなんと! プレミアムだっ! 玉露入りっ! 生クリーム20%増しっ!   

 原料はすべてイーハトーブ産のやつ‼ 

 だから無理しなくて、いいからな、なっ‼』


(うぅ、抹茶アイス食べたい……しかもプレミアム。でも、多田倉さんには悪いけど……局長の命令だし、大事なデータが取れてないって言うし。自分の限界にも挑戦してみたい。今日こそは、このSWGをボコボコに壊してみせる! 多田倉さん、ごめんなさいっ!)


 フェリシティは、多田倉の悲鳴が聞こえてくる通信の音量を下げ、BGMの音量を上げる。そうしていつものように、コックピット内に映し出されたダンス動画を見ながら、機体を駆使して舞い始める。


(この時間が一番好き)


 SWGに乗って自由にのびのびと動くことが出来る。空を飛ぶことができるから自分の体以上ともいえる。


 本当に楽しい充実した時間。


 嫌なことも、この時だけは忘れられる。学校にいる時みたいに周りの目を気にして縮こまってなくていい。


 自由に自分を表現できているような、ありのままの自分でいられるような、そんな気持ちになれる。


〈アルフェッカ〉を自在に操りコロニーの空を舞っていると、フェリシティは、眼下に一つの人影を見つける。


「また来てる」


 研究施設が建ち並ぶこの区域を取り囲んでいる丘に、人が座っているのを、最近よく見かける。


 上下カーキ色の服装にブーツを履いている。


「軍人さん?」


 搭乗するSWGのカメラで拡大してよく見ると、やはりいつもの人物。自分と同じくらいの年齢の男の子。軍人にしては若い気がする。


 円筒えんとう型スペースコロニーであるこのニューランズ・コロニーの内側で、研究施設群のちょど反対側に一つの学校がある。


「連盟軍工科学校」たしかそんな名前だったと思う。


 軍用SWGの一般パイロットを養成するための学校。自分と同じくらいの年齢の男の子たちが在籍していると聞く。


 空を飛んでいると、このニューランズの地上で、訓練している光景をよく見かける。


「そこの人かな?」


 見上げてこちらを見ている。


(今日も踊っているところをずっと見られていたのかな……恥ずかしい……)


 だけどSWGだから、素顔を見られているわけではないから別にいいか、と開き直って再びダンスを続ける。


(SWGに乗っている時は人に見られていても不思議と気にならないかも)


 その人は微笑んでいる。その表情から喜んでくれているように見える。


 それなら嬉しい。いつも辛そうな顔をしていたから。


 ずっと俯いてばかりで、何だか大きな悩み事抱えている様子。


(下手なダンスだけど、少しでも気が紛れてくれてたらいいな)


「向こうの学校も大変なのかな……大変に決まってるよね」


――あのくらいの年齢で、軍に志願して入るのってどんな気持ちなのかな。戦争が続くこんな状況でどうして軍の学校になんて、入ったのかな。


 フェリシティは、丘の上に座っているその少年のことが、ずっと気になっていた。


「徴兵義務もない人が、なぜ?」


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