第1話 飛来

 温室のようなガラス張りの壁に囲まれた空間の中に、南国の風情漂う街並みが広がる。


 温かく穏やかな風に吹かれ、色鮮やかな花々がやさしく揺れている。


 自然と、気分が開放的になるそんな景色を眺めながら、もうすぐ7歳の誕生日を迎える少女は心を躍らせていた。


 右手で父と手を繋ぎ、左手で母と手を繋いで、弾むような足取りで大好きな両親の間を歩く。毎日が楽しくてたまらない、そんな日々を送っていたある日の昼下がり。


 空に目がくらむほどの閃光が走る。日の光が弱弱しく見えてしまうほど強い光が、突然、空に現われたのだ。


 手をかざし空を見上げると、空気を震わせ肌に振動を感じるほどの轟音とともに巨大な火の玉が落ちてくる。


 空高く見えていたときはゆっくりと落ちているように見えた。しかし白い閃光を放つその火の玉の輪郭が、だんだん大きく、はっきり見えてくるにつれて、それがものすごい速さで落ち来ていることがわかる。


 大きな火の玉は、少女のいる街のはるか上空を通り過ぎて、山々をはさんだ遠く離れた都市に落ちた。


 天を衝く巨大な火柱が昇り、高温の衝撃波が凄まじい勢いで周囲に広がっていく。


 赤く発光する波紋が伝わると、地面は剥ぎ取られ、水も草木も一瞬にして蒸発し、そびえ立つ山々でさえ、まるで泡のように吹き消されていく。


 しばらくして強い揺れがこの街にも伝わる。


 さらに塵と岩石を伴った赤く光る巨大な波が、高速でこの街にも押し寄せてきた。


 高温の猛烈な嵐が街を突き抜けていく。厚い壁に囲まれた都市に守られ、住人たちは事なきを得る。


 しかし安心したのも束の間、隕石から空中で剥離した破片たちが、火の雨となってこの都市に振ってきたのだった。


 街中にサイレンが鳴り響くなか、火の雨が、都市を覆う天蓋を突き破り街に降り注ぐ。


 振動とともに、ドン、ドンと何かが落下する大きな音が方々ほうぼうから聞こえてくる。


 少女は抱えられる父の腕の隙間から手を伸ばし、母の袖を離さないよう強く握りしめる。


騒然となる街、至る所で火の手が上がりはじめ、人々が逃げ惑う姿が目に飛び込んでくる。


 そして、は現れた。


 灰色をした異形いぎょうの何かが街の中に、どこからともなく現われたのだった。


ボロ切れのようなものが裾から幾筋もの稲妻を走らせ、右に左にゆらゆらと、地面の上を漂っている。


 まるでその姿は亡霊のよう。


 しかし、その〝亡霊〟たちが近づくにつれ、それらが幽霊や妖精のような、不確でぼんやりとした存在などではないということを理解する。


 少女は迫りくるその異質な、灰色の大きな影に恐怖を抱かずにはいられなかった。


 通りの両脇に植えられたヤシの木と同じくらいの高さがあり、形は定まっていないものの、確かに実体のある巨大な影。


そんな得体の知れないものが大挙して押し寄せ、街を見境なく破壊し始める。


 人々の悲鳴が聞こえてくる。


 少女は恐ろしくなって、母と離れ離れにならないよう、袖を掴む手にいっそう力をこめる。


 母の姿だけを視界に捉え恐怖心を抑えていたとき、不意にパーッンとラップ音が聞こえたかと思うと、ぞわっと全身に嫌な感じが走り、突然、景色が回転する。


 父が地面に倒れたのだ。


 父は身を翻して少女をかばい、背中から倒れたため少女にケガは無かった。


 握りしめていた母の服の袖を衝撃で離してしまい、すぐに母の姿を目で追う。


 すると母もすぐ側で倒れこんでいた。手で頭を抑えてはいたが、特にケガなどはしていないようだった。


 抱きかかえられた父の腕の中、辺りを見渡すと、他の人たちも皆、同じく倒れ伏している。


「フェリシティ、無事か?」


 少女はそう尋ねられると視線を父に戻し、うなずく。父は少女を右腕でしっかり抱きかかえると、左手で母の手を取り再び逃げる。少女もまた振り落とされないよう父の首に両腕を回して、必死にしがみつく。


 断続的に聞こえてくるラップ音、そのたびに起こる耳鳴りと全身に伝わる違和感。何度かそのようなことが起こり、そのたびに父と母、周りの人たちが皆、動けなくなり震えながら苦しむ。


――なんで……みんな、苦しそうにしているの?


 悪寒が走りはするものの、周囲の人々が感じるような苦痛を感じることはなく、少女にはその様子がただただ不思議に見えていた。


 巨大な〝亡霊〟たちに襲われ、人々の絶叫がこだまする。


 逃げる人々の一団に必死について行く父と母。その集団に狙いを定め、1体の〝亡霊〟が追いかけて来た。


 小川に架かる橋に差し掛かったところで、父は咄嗟にその集団から離れ、母と少女を連れ橋桁はしげたの下へと逃げ込む。橋の両端はごつごつとした岩肌になっていて、あたりには大きな岩がいくつも転がっていていた。それらが3人の姿を隠し、追ってきていた1体の巨大な〝亡霊〟は、そのまま橋を渡っていった集団を追いかけて行く。


 と、雷の轟音とともに何かがはじき出される破裂音が響き渡る。そして逃げていた人々が向かっていた先から巨大な爆発が起こり、空気と地面を大きく揺らす。


 両親が勢いよく、ばっと覆いかぶさってくる。振動と爆風、さらに押し寄せてきた瓦礫や破片から少女を守ってくれた。


 橋と岩々に守られ、両親も無事でいることに少女はほっとする。


 3人はそのまま橋桁はしげたの下で隠れ、殺戮と破壊を続ける〝亡霊〟たちをやり過ごす。どのくらいの時間が経ったのか。少女は父にしがみ付き、母と手を繋ぎ、ずっと恐怖に絶えていた。ひたすら息を押し殺して、あの得体のしれない怪物に見つからないように。 


 どのくらいそうしていただろう。とても、とても長い時間に思えた。


 夕闇が訪れ静寂が戻ると、3人は恐る恐る橋の上へと上がる。


 一緒に逃げていた人々が向かった先にあった緑が生い茂る公園は、跡形もなく消えていた。代わりに、焼け焦げた巨大なクレーターがそこにはできていた。


 瞳に映るその光景をただ呆然と見つめる。まだ幼い少女にも、何が起こったのかはっきりと理解できた。


 恐怖の対象が自分たちを襲ってこないか辺りを見渡す。


 温室の中の都市に、もうもうと煙が立ち込めている。その煙があの〝亡霊〟たちに見えて目を伏せる。


「フェリシティ、大丈夫だよ。もう大丈夫。もういないよ」優しく語り掛ける父の言葉を聞いて少女はゆっくり目を開ける。


 父の言う通り、あれほど暴れまわっていた怪物たちは、まるで嵐が過ぎ去った後のように、忽然とその姿を消していた。


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