第8話

Sは教師だった。もとは教育熱いっぱいの理想的な教師だったが、ある事件に巻き込まれ、うつ病を患い研究所を訪れていた。

彼は都会育ちの洗練された容姿をしていた。法医学教授を父に持ち、有名進学校を出て最高学府のT大を卒業、母校の教師となって充実した毎日を送っていた。

中高一貫のその学校の出身者には、政財界、学者、資産家など多くの有名人がいた。親子2代で籍を置く者も珍しくなかった。


「彼の様子はどうですか」

肩越しに声をかけられたSは振り返って

「決心は変わらないようです」

と背後にいた、小太りで頭髪の薄い男にはっきりとした口調でいった。

「だが、どうにかねぇ」

「校長先生、本人に、任せるべきです」

創立以来の秀才といわれていたある生徒が、T大進学を止めアメリカの大学を希望したことが問題となっていた。

生徒の父親は保守系政党の国会議員で俗にいう派閥の領袖だった。T大を出て官僚か、新聞社か、軽く武者修行でもして、その後は秘書として跡継ぎ教育の予定だったようだ。

一方で本人はそんな将来はまっぴらで、進路相談では企業家となって世界を変えたいと常々いっていた。

生徒の意志を尊重し、それを育む。ありきたりといえばそれまでだが、その伝統を踏襲してきたからこそ、各界のリーダーを輩出してきた。

世界水準からいって、日本の大学が語るも無残であることはT大出身のSが体感している。

今こそ世界へ。それが若さの特権だ。

Sは励ました。

「米国のH大はどうだろう」

医者の友人が何人かいて、当地へ留学、役職を得ているのもいた。彼らに頼めば生活の面倒はみてくれるだろう。

生徒はその気になり、恐る恐る父親に相談した。

案の定、父親は激怒した。専制君主張りに我が子の希望を踏みにじった。

彼の怒りは収まらなかった。それは学校にまで及んできた。なんのアポイントもなしに校長室を訪れ、洗脳だ、なんだと、学校への中傷を続けた。

校長もついには自分を守るために、あろうことかSの助言がそもそもの原因だと吹聴しはじめた。

「お隣の国とやんごとなき状況だというのに、日本を離れるなんてとんでもない、と、そう言うんだね」

Sは臆せず、はっきり反論した。

「生徒の意志を尊重するのが、創立以来の伝統なはずです。あの父親だって、我が校出身なのに、矛盾していますよ」

「まあ、それは…」

普段、朝会で甲高い声で教育論を語る校長が、Sに痛いところをつかれて、目を落とした。

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