第15話 機嫌を直す方法

 まだ森の端から顔を覗かせたばかりの第一陽の陽ざしが柔らかに湖面を撫でつける。

 夜明けの清涼な空気に包まれて、アメノは服を脱いで湖水に浮かんでいた。顔だけをだして無言で空を見つめている。


 同じく裸体をさらし、身体に水をかけているフィリノが恐る恐る問いかける。

 「……あのぅ、アメノ様。生きてます?」

 「当然」


 身体洗浄と言えば、カプセルの中で無数の機械腕マニピュレータに身体中をまさぐられる体験しかないアメノにとってこういう風に大きな水の塊で自由に浮いているのは新鮮であった。

 

 AIは身体洗浄装置を稼働させましょうと駄々をこねているが、エネルギーも十分にない中ではこういうのもいいだろう。


 湖の水は澄んではいるが、細菌はそれなりに繁殖しているため、フネでの消毒は必要だが、それでも水浴びの解放感は……なんと言えばいいのか分からないがとにかく良いのだ。



 「とりあえずその、アメノ様もノゾキはもう勘弁してくださいねぇ」

 「もうしない」


 フィリノがちょっとスネたような口ぶりで抗議してきた。どうも昨日と雰囲気が違う。全体的につやつやと血色がよさそうになっている。これはきっと肉を食べたおかげだろう。油分が多いし。


 なんか夫婦で手足を絡ませていた謎の儀式は興味深かったが、せっかく撮影してもAIが消去するのでどうしようもない。他の文化行動を調査しよう。


 ほっとしたようにフィリノが胸をなでおろす。その手元には明らかに大きすぎる脂肪の塊が二つ、張りのある肌に包まれている。

 

 アメノは水中から立ち上がり、自分のすっきりと引き締まった胸を見た。うん、実に効率的。


 「……フィリノは胸部に脂肪が多すぎるのでは?」

 「あーー、そのーー。すみません」

 

 フィリノが謝ってくるが、明らかに何か憐れみのこもった目で私の胸を見ているようだ。いや、どうみても機能性を欠いているのはそちらの胸部だと思うのだが。この私の機能的な身体バランスが分からないのだろうか。

 

 「その、数年前までは小さかったんですけど、ダンナが揉むと喜ぶもんで育っちゃって」

 何故か自慢げに言うフィリノ。


 「揉むと喜ぶのか???」

 「男はみんな喜びますよーー。一発で元気ビンビンに! そうだねぇ、アメノ様も騎士様に揉ませて差し上げたらどうです?」

 「なるほど、今度喜ばせるときにそうしよう」


 いいことを聞いた。正直謎の原始習俗だが、それでウィルが喜んで肉を持ってくるなら考慮の余地はあるだろう。なにせウィルはすぐに怒るから。


 納得している私を見て、フィリノが吹き出す。

 

 「あはは、アメノ様ったら面白いーー」

 「解せぬ」

 

 なぜか背中を叩いてくるフィリノをアメノは不思議そうに見つめていた。



 ◆ ◇ ◆


 「さけ、さけ、酒でー、人間まわるぅ♪

  酒が回って人生まわるぅ♪

  一杯飲んでおじいが死んだ♪

  二杯飲んでおっとぉ壊れた♪」

  

 ゴルジが聞くに堪えない下卑た内容の歌を歌いながら、手に持った器に塩と香草を入れてかき混ぜている。


 そして、出来た液体を鹿の肉塊に塗り付けていく。漬け汁を十分に染みこませると、即席の燻製カマドに肉を掛けた。


 「酒が川なら出てこねぇ♪

  酒が雲なら飛び上がらぁ♪」


 本当にアホな歌だ。農村ではこんな歌ばかり流行る。ウィルは呆れながら燻製づくりに精を出すゴルジに話しかけた。


 「ゴルジのオッサン……なんか機嫌がいいなぁ」

 「え、そうですかね? ははは俺ぁ普段どおりですがねぇ」


 とはいうが、ゴルジは溜まったものを全部出したかのようなとてもスッキリした顔をしている。こっちは一晩何故か変に興奮して寝付けなかったのに、気楽なオッサンである。


 興奮したのは昨晩寝る前に、日課のロングソード素振りを500本したせいで、それ以外の理由はないが。ない。


 脳裏にご飯を食べているアメノの顔が一瞬浮かぶ。

 

 違う。


 目をつぶって心の中で騎士の誓いを唱える。


 我は騎士、我は剣、我は盾。人を護るのが使命!


 目を開けて、まだアメノの顔が見える。

 ダメだ、気合を入れなおさねば。


 「カーーッッ!!!!」

 「ひぃっ?!」

 

 アメノがびっくりして尻もちをついた。

  

 えっ。





 ◆ ◇ ◆



 アメノは憤慨していた。


 私はゴルジがついに燻製を作り始めていたので見に来ただけなのに、ウィルはなんか目をつぶってブツブツ言っていたかと思うと、いきなり大声をあげて威嚇してきたのだ。


 おかげで、ころころと草の上にころがってしまった。もちろん傷はない。共鳴繊維シンセサイズファイバーが私を守っている。


 それはさておき、いつもよくわからない理由で怒り出すウィルではあるが、今回はさらに意味不明である。さすがに抗議しなければ。


 「いきなり大声で威嚇するなど不当。私はウィル殿とは良好な関係を築いていたつもり」

 「すんません」


 うなだれるウィル。

 地面に跪いて、地面をじっと見つめている。


 とても元気が無さそうだ。

 

 これは困る。


 ウィルの精神状態が悪いと、肉や鉱石の採集にも差し支えるだろう。

 どうやって元気づければいいか。


 ……ふむ、こちらの文化に合わせて見るのもいいか。



 「ウィル殿」

 「はい、すみません」

 「……元気ない? 胸を揉むか?」


 「うあああああああ?!」

 ウィルは何故か一瞬で元気になると、飛び上がって森の方に走って行ってしまった。


 「ふむ、とても効果的」

 「………」


 そしてその横では、ゴルジがあんぐりと口を空けて固まっていた。



 

 ◆ ◇ ◆


 

 そして、肉にいい感じに熱が通るぐらいの時間がたち、ウィルとアメノの前で、ゴルジとフィリノが地面に平伏して頭を下げて居た。

 

 「本当にすみません! ウチのフィリノがとんだ無作法を!?」

 「だ、だって、冗談だと思って……」


 森から帰ってきたウィルはまるで悟りを開いたかのような平静な顔で告げる。


 「いいんだ。誰も気にしていないよ。でも、気を付けてくれ、アメノさんはこう見えて、研究生活が長かったせいで、全く常識が無いんだ。冗談は一切通じないと思ってほしい」


 「へい、肝に銘じます」

 「あたしも、すみませんでした」


 アメノが不思議そうに首をかしげる。


 「……なぜ謝る? ちゃんとウィル殿は元気になったぞ?」

 「あれは元気じゃないの! 恥ずかしくて逃げたの!!」

 「何が恥ずかしい?」

 「異性に身体を触らせるとか、触るように言うのはとても恥ずかしいんです!!」


 「しかし、昨晩二人は」

 「しーーーーーっ!」「しーーーーーっ!」

 アメノがゴルジ夫婦に顔をやると、二人して一斉に黙るように頼み込む。


 「……もしや、また宗教禁忌か。神様もダメというやつか」

 「もうそれでいいから納得して!!!」


 「わかった、みんなの禁忌を侵して本当に申し訳ない」


 アメノがぺこりと頭を下げた。


 この少女は何かと常識もないし、とんでもないことしかしないが、実に素直なのである。それは認めないといけないな……


 森から帰ってきてとてもスッキリしたウィルはまるで風のない日の湖面のような透き通った静かな心でアメノを許していた。


 

 「ところで、別の話がある。良い?」

 もちろんですとも!


 「報告。このあたりに人間がいる。生きている」


 というとアメノは手元の魔術箱を操作して、地面に地図の幻影を映し出した。

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