第一話 後ろの女性

 ある平日。

いつもは週末に来る常連さんの片桐さんが一人で来店した。

 この方は、毎週末会社の同僚や、部下の方を連れて必ず来てくれる。

私がここで働きだした頃には、すでに常連さんだった。

 「いらっしゃいませ。いつものビールでよろしいですか?」

私がおしぼりを渡しながら聞くと、連れが来るのでそれまで待つとの事だった。

 五分ほどすると、スーツを着こなした美しい女性が店に入ってきた。

その方は、入り口で周りを見回し、片桐さんを見つけると、笑顔で席まで駆け寄っていった。

どうやら彼女がお連れの方のようだ。

 彼女が席に座ると、片桐さんが私に向かって手を挙げる。

私は、女性の分のおしぼりとお通しを持ち、片桐さんのもとへ行く。

「いらっしゃいませ。おしぼりどうぞ」

彼女におしぼりを手渡すと、にこやかに微笑み「ありがとう」と言って受け取る。

美人過ぎて眩しい。

「ビールとカシスオレンジよろしく」

片桐さんが彼女の分も注文する。

注文を伝票に書き込み、片桐さんのほうを見る。

すると、片桐さんの肩から、二本の腕が抱き着くように伸びている。

さっきは見えなかったのに……。

「あと、枝豆よろしくね」

片桐さんは、メニューを見ずに言った。

これが片桐さんのいつもの注文なのだ。

「かしこまりました」

そう言って、調理場に注文を通し、ビールとカシスオレンジを作る。

ドリンクを作り終わる頃、調理場の工藤さんが「よろしく」と枝豆を出してくれた。

伝票をチェックし、片桐さんのテーブルへ急ぐ。

「お待たせいたしました」

ドリンクと枝豆をテーブルに置いていると、片桐さんが嬉しそうに話しかけてきた。

「佐川ちゃん。彼女、綺麗でしょ?」

「はい。もう眩しいです」

私は目を覆うアクションをつけながら答える。

彼女は、照れくさそうに「やめて」と、両手で頬を包む。

「彼女さんですか?」

私が聞くと、片桐さんは待ってましたと言わんばかりに答えた。

「そう!やっと付き合ってもらえることになったんだよ」

片桐さんは終始にやけている。

彼女さんも満更でもなさそうだ。

 お相手は仕事の取引先の受付嬢の方らしく、半年かけて猛アピールしたんだとか。

先週からやっと付き合えることになり、今日は仕事帰りのデートなのだという。

「いいですね。では、その一杯目は私からのお祝いということで、サービスにさせて頂きますね」

私が言うと、片桐さんはどこか恥ずかしそうにお礼を言った。

 そんな会話を楽しみつつも、私は、片桐さんの肩から延びる腕が気になっていた。

先週末にはいなかった。

彼女さんが、店に来てから出てきたのだ。

腕しか見えず、顔が確認できないので、対処のしようがない。

とりあえずは、注意しつつも見守ることにした。



 片桐さん達が来店してから、二時間ほど経った頃。

同僚の亮太君が出勤してきた。

「え。片桐さんと一緒にいる美人さん誰?」

開口一番それ……。

「彼女さん。先週から付き合いだしたんだって」

私が言うと、彼は「羨ましい」と肩を落とした。

「俺も彼女ほしいな……」

亮太君がちらりとこちらを見る。

私はあえてスルーする。

 直接告白されたわけではないのだが、どうやら亮太君は私の事が好きらしい。

姉妹店の店長増田さんが、飲みの席で酔った勢いで話していたのを偶然聞いてしまったのだ。

面と向かって言われたわけではないので、私はあえて知らないふりをしているのだが、たまにこんな感じに態度に出してくることがある。

が、あえてスルーだ。

 その時、片桐さんのテーブルのベルが鳴る。

私は、亮太君をその場に残し、片桐さんのテーブルへ向かう。

 テーブルに着くと、ほろ酔いの片桐さんがレモンハイを注文した。

「二つね」と指で数を示すその肩から、女性の顔が覗いてる。

髪の短い、釣り目の女性だ。

どこかで見たことがあるような……思い出せない。

 注文を取り、パントリーに戻ると、亮太君がドリンクを作る準備をしていた。

「レモンハイ二つ」

私が言うと、亮太君は手際よくドリンクを作り、私に渡してくれる。

レモンハイを届けながら、もう一度、片桐さんの後ろの女性の顔をよく見る。

ダメだ。

思い出せない。

 私はパントリーに戻り、ゆっくり考える。

しかし、答えは出てこない。

料理を運び終わった亮太君が戻ってくる。

「ショートカットで、二重で釣り目のお客さんっていたっけ?」

私が聞くと、事情を察した亮太君が考え込む。

「あ。常連さんじゃない?毎週末来る人。名前は……入沢さんだっけ?」

そうだ。

いつも一人でカウンターに座ってるお客さんだ。

いつもは眼鏡をかけているからわからなかったのか。

「どこにいるの?」

「片桐さんに後ろから抱きついてる」

私の答えを聞くと、亮太君が唸る。

「何か心当たりあるの?」

私が聞くと、思い出しながら亮太君が話す。

「一か月くらい前かな?たまたま陽が休みの金曜に、珍しく片桐さん一人で来たんだよ。でその時、入沢さんもいて一人どうし仲良く二人で飲んでたんだよね。片桐さんのが先に帰ったんだけど、そのあと片桐さんのことめっちゃ聞かれたんだよね。何の話してたかまでは知らないけど、入沢さんかなり片桐さんのこと気に入ったらしくて、それからは毎回片桐さん来てるかって聞かれるよ」

それか。

たった一回飲んだだけで、生霊飛ばすほど好きになったってこと?

でも、それしか考えられないし……。

 二人で考えを巡らせていると、彼女さんがトイレに駆け込むのが見えた。

彼女さんの顔は、人形のように真っ白になっていた。

それと同時に、片桐さんのテーブルのベルが鳴る。

亮太君が向かい、一言二言話して帰ってくる。

「片桐さん会計。陽、水二杯持って行って」

そう言われ、私は片桐さんのテーブルにお水を二つ持っていく。

「彼女さん、大丈夫ですか?」

水を置きながら訪ねると、「大丈夫だよ」と言いながらも、片桐さんの顔は心配そうだ。

片桐さんの肩からは、相変わらず女性の顔が覗いている。

その顔は、彼女さんのいるトイレのほうを睨んでいた。

 亮太君が会計の伝票を持ってくる。

会計を済ませた頃、彼女さんがトイレから帰ってきた。

相変わらず、顔色はすこぶる悪い。

片桐さんは、彼女の荷物を持ち「また来るね」と言い残し、帰っていった。



 片桐さんの一件から数日後。

いつもの週末がやってきた。

金曜の七時、いつもの時間に片桐さんの会社の人たちがやってきた。

でも、片桐さんがいない。

 会社の人たちを席に通す。

おしぼりを配りながら、片桐さんのことを聞くと、どうやら彼女さんの体調がすぐれないらしい。

その看病のため、今日はまっすぐ帰ったようだ。

 会社の人たちの注文を取り、ドリンクを作っていると、例の入沢さんが来店した。

店長に促され、まっすぐカウンター席まで歩いてはいるが、あたりを見回している。

きっと片桐さんを探しているのだろう。

 私がドリンクを運んでいるうちに、亮太君が入沢さんの接客をする。

何か話しているようだ。

どんな会話をしているのか気にはなるが、さすが金曜日。

とても二人でゆっくり話している余裕はない。

気づけば入沢さんもいなくなっており、何も情報を得られないまま、閉店の時間となってしまった。

 閉店後、亮太君が帰ろうとしている私を呼び止める。

とりあえずご飯を食べに行くことになり、二四時間営業のお店に入る。

「あれ、やっぱり入沢さんだと思うよ」

亮太君が唐突に話し出す。

「今日も片桐さんのこと聞かれたんだけど、来ないみたいって話したらしつこく理由聞かれてさ。この前は彼女と来てましたよって言ったら、浮気された彼女みたいな怖い顔してたよ」

亮太君はその顔を思い出して身震いする。

「今日改めて顔見たけど、ショートカットだし、二重で釣り目だったしね」

うんうんと頷きながら話す亮太君。

 あの女性が入沢さんだとして、私はどうしたらいいんどろうか。

除霊できるわけでもなく、いきなり本当のことを告げても、変な子だと思われて終わるだろう。

何とか助けてあげることはできないだろうか。

 しかし、案外早く助ける機会はやってきた。

二週間後の週末、片桐さんが珍しい時間に一人でやってきたのだ。

 開店早々来店した片桐さんは、カウンターに座り、ため息をついた。

最後に来店した時より、なんだか疲れているような気がする。

「どうしたんですか?」

おしぼりを渡しながら聞くと、彼女の体調が思わしくないということだった。

 あの日以来、よくはなっているものの、全快とはいかず、つねに具合が悪いんだそうだ。

病院にも行っているが、なかなか良くならないらしい。

それは間違いなく入沢さんのせいだろう。

 私がどう伝えたらいいものか、考えあぐねていると、私の後ろから亮太君が声をかけた。

「いっそ神頼みとかどうっすか?」

その言葉に、片桐さんは怪訝そうな顔をした。

「いや、宗教とかじゃないですよ?病院行ってだめなら、試しにお祓い行ってみてもいいんじゃないかとは思いますよ」

冗談めかして言った亮太君の顔を、片桐さんが見つめる。

そして一つため息をつく。

「そうだな。駄目元でやってみるのもいいかもな」

そう言って少しだけ笑った片桐さんは、最初の一杯を飲み終わると、すぐに帰ってしまった。

「俺、ナイスアシストじゃない?」

片桐さんが帰ると、褒めて欲しそうな顔をして亮太君が近づいてくる。

耳としっぽが見えそうだ。

「はいはい。ありがとう」

私が軽くあしらうと、彼はしゅんとしてパントリーの奥へ消えていった。

 その後は、いつもの週末らしく忙しくなった。

片桐さんの会社の人も、入沢さんもいつも通り来店した。

入沢さんは相変わらず片桐さんのことをしつこく聞いてくる。

私は敢えて今日来たことは伏せた。

これ以上、片桐さんに火の粉が降りかからないように。



 それから数週間後。

平日の開店時間と共に、片桐さんと彼女さんがやってきた。

彼女さんは少し痩せたようだが、顔色も良く、変わらず美人だ。

片桐さんも前のような元気を取り戻していた。

 いらっしゃいませと声をかけると、片桐さんが亮太君を呼んだ。

亮太君がパントリーから出てくると、片桐さんが抱き着いた。

事態を飲み込めず、おろおろしていると片桐さんが言った。

「君のおかげで彼女の体調が良くなったんだよ。本当に感謝している。ありがとう」

そう言って、再び亮太君に抱き着く。

困っている亮太君を見て、彼女さんが片桐さんを制止する。

片桐さんは「悪い悪い」と言いながら、頭をかいた。

 片桐さんたちを席へ案内し、いつものドリンクを運ぶと、片桐さんが事の成り行きを話してくれた。

 あの後、ほかの病院にも行ってみたが、彼女さんの病状は良くならず、二人で話して駄目元で本当にお払いに行ったらしい。

最初は、彼女さんだけのはずだったのだが、お払いの人に彼女さんより、片桐さんをお祓いすべきと言われ、二人ともお祓いしたようだ。

すると、次の日から少しずつ彼女さんの体調がよくなっていったのだそう。

 確かに、今は片桐さんの後ろには何もいない。

しっかりお払いの効果が出たようだ。

 しかし、いつも通り毎週末お店に来ると、また入沢さんに会ってしまう。

同じことの繰り返しになってしまうのでは……。

私はそれが不安だった。

 だが、私のその不安は当たらなかった。

 その週の金曜日。

いつもの時間に来た入沢さんは、とてもやつれていた。

先週とはまるで別人のようだった。

 おしぼりを出し、注文を取りに行くと、彼女はいつものおすすめメニューではなく、唐揚げとライスだけを注文した。

注文された商品を届けに行くと、彼女が言った。

「最近急に体調が悪くなってね。入院することになったのよ。だから、入院する前に、ここにきて好きなもの食べておきたかったの……」

確かに彼女の顔は、お世辞にも健康とは言えない顔色で、今にでも倒れてしまいそうだった。

飲み物もいつもの焼酎ではなく、ウーロン茶を注文していた。

 かわいそうな気はしたが、これが報いなのだろう。

本人の意思ではなくとも、誰かを妬み、苦しめた。

それは変えようのない事実だ。

きっと片桐さんたちがお祓いを受けたことで、本人に呪いが返ってきたのだろう。

 その後、入沢さんがこのお店に姿を現すことは二度と無く、片桐さんたちは、一年後に結婚した。




『人を呪わば穴二つ』

まさにことわざ通りの出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る