知らない親父〜没ネタ〜
すもく
第1話 知らない親父
クニマツタカオが倒れたのは12月15日のことだった。オフィスのパソコンの前でタカオは、今年の仕事の追い込みと新年に向けての準備などで、まさに師走を感じていた。その激務に疲弊しきっていたが月末には待ちに待ったボーナスも支給されるとあって、年甲斐もなく浮かれてもいた。タカオが倒れたのはそんな最中の出来事だった。急な頭痛にさいなまれ、目の前にいた同僚たちが白く滲んでいったと思えば急に真っ暗になったのを覚えている。
タカオが目を開くと、シミ一つない綺麗な白い天井が目に入った。
「ここは、どこだろうか。」
おもむろにつぶやいた第一声に、近くにいた看護師が気が付いた。
「クニマツさん。目が覚めたんですね。」
看護師はタカオに2,3個質問をした後、ようやくタカオの質問に答えた。
「ここは、東京中央病院です。あなたは職場で脳出血で倒れて、ずっと意識不明だったんですよ。」
「ずっと?今日は何日です?」
「今日は3月9日です。」
「3月9日?新年の?」
「ええ、大体3か月程眠ってらっしゃたんです。」
「3か月も?」
タカオは身体を起こそうとするが、うまく動かない。
「脳出血の後遺症で、あなたの身体は一時マヒ状態なんです。」
看護師の言葉にタカオは青ざめた。
「でも、リハビリと手術で何とか回復できそうではあると主治医が言ってます。しばらくは入院してもらっての介助生活にはなりますが…。」
まだ顔も見ていない主治医の言うことではあったが、タカオは少し落ち着きを取り戻し看護師に言った。
「私には妻と娘と息子がいるんです。会わせていただけませんか。」
「ご家族には今すぐ連絡させていただきます。」
1時間後、タカオの家族が面会にやってきた。妻は泣き、娘と息子は喜んだ。普段娘は喫茶店経営、息子も旅館で働いていており、家族全員の時間は久しぶりだったかもしれない。タカオは家族の愛を感じ、涙した。今まで仕事で忙しくしてきた身体を休ませるにはいい機会だったのかもしれないとさえ思った。
しかしその日を境に、家族は誰も見舞いに来なくなった。向こう2か月間家族は誰一人面会に来ることはなかった。
それから2か月が経った。その間ほったらかしにされたタカオの精神状態は荒れていた。ひとりきりではまだ何もできずリハビリとベッドに横になる以外何もできなかった。なぜ家族誰一人見舞いに来ないのか、状況を確認したくても携帯電話はうまく使えるほど手足のマヒは回復していなかった。もしかしたら、家族に見捨てられてしまったのかとさえ思った。最初は寂しさ、悲しみが渦巻いていた心は次第に家族への怒りに満ち溢れていた。
そんな時、息子が一人で見舞いにやってきた。5月13日のことだった。タカオは息子に目を合わせることなく重々しく口を開いた。
「なんで、見舞いに来ない?母さんとお姉ちゃんはどうした?お前ひとりで。」
「違うんだ親父。今、大変で…。」
「なに?二人に何かあったのか?」
「いや家族全員今のところ元気だよ。」
「じゃあなぜだ!」
タカオの恫喝に、息子は慌てながら理由を言った。しかしそれはタカオが納得いく理由ではなく、むしろその場しのぎの作り話のようだった。
「ふざけるな。さっきから嘘ばかり言って。そんな作り話をするくらいなら、もう来ないでいい!」
「親父…。」
「ふんっ。せいぜい仕事して、家に金を入れるんだな。」
息子は下を向きながらタカオに言った。
「そのことなんだけど、僕も姉貴も仕事なくなっちゃって…。」
「なに?仕事辞めたのか?」
「違うんだ。さっきも言ったけど…。」
「また、あの作り話か?もういい!二度とここには来るんじゃないぞ!」
聞く耳を持たないタカオに呆れて息子は帰って行った。
息子が帰ったあと、タカオは怒りが頂点に達していたが、このままでは自分の身体にも悪影響を及ぼすと考えた。
「看護師さん、少し外の風景が見たいのですが。」
「じゃあ少しベッドを高くしますね。」
看護師に頼み、ベッドの背中の高さを変えてもらい久々に外の景色を見た。外は入院する前タカオが通勤していた通りだった。次第に昂った気持ちは抑えられていった。看護師がいなくなった後も暫く外を見ていた。すると、一つの喫茶店が目に入った。
「あそこは、よく仕事前にコーヒーを買っていた場所じゃないか。今日は定休日のようだが、退院したらまた買いにいこう。」
外の景色を見たタカオの気持ちは大分落ち着きを取り戻していた。怒っていたとはいえ、来てくれた息子にあそこまで言ってしまったことを少し後悔もした。
「それにしても、父親に対し、あんな作り話をするなんて。我が息子も言い訳が下手すぎる。もう少しリアリティーある嘘はつけないのか…。新型コロナとかいうウイルスで、日本中の人が家から出れなくなったなんて…。」
タカオが倒れた、2019年12月15日から約5か月が経っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます