百合と書けと無言の圧力をかけられました
白長依留
第1話 抑えられない気持ち
放課後のチャイムが今日も気怠げに鳴る。毎日毎日、飽きもせずに同じ時間を知らせるのは、もし自分自身だったらと思うとごめんだ。
ぐでーっと、教室の机に体を横たえる。
高校一年生になってもう二ヶ月。衣替えも終わった季節。まだ暑くなり始めたばかりで、ガードが高い子が多い。
「学校指定のセーターなんてなくなってしまえ」
ぼそっと呟いた。
「赤坂さんは暑がりなの?」
突然名前を呼ばれ、心臓が痛いほど跳ねた。今の呟きをを聞いている人なんて誰も聞いてないと思っていた。暴れる鼓動を押さえ込もうとすると、逆に今度は肺が痛くなり、呼吸が荒くなる。
「ちょ、ちょっと赤坂さん!」
「だ、大丈夫。すぐ落ち着くから」
「そんなこといっても」
私に話しかけてきたのは、クラスの男子から上位の人気をほこる倉橋さんだった。今時の高校生としては珍しく、髪を脱色することなく、自然体で艶のある黒髪が特徴だ。その貴重な髪を、シュシュとひとまとめにして、ポニーテイルにしている。
本当に心配しているのか、机に顔を付けている私の顔をのぞき込むようにかがんできた。
正直、いまの状態でそれは辞めて欲しい。意志の強そうな大きな瞳に、ツンと形のよい鼻筋。小さな唇が眼の前に現れる。
倉橋さんが私の顔をのぞき込むほど、私の鼓動がドクンドクンと早く大きくなってしまう。
我慢が出来なくなり、目を逸らそうとしたが、そちらも逆効果だった。かがむ形の倉橋さんの胸元は、私の欲望を吸い込むように広がり、その中のものが何なのか想像力をかき立てさせる。倉橋さんもサマーセーターを着ていなかった。
これ以上は我慢出来ないと、顔を反対側に向けて、倉橋さんに聞こえないように静かに深呼吸をした。
「ねえ、私なにかしちゃった?」
倉橋さんの心配そうな声が聞こえるが、今は震える声しか出せそうになり。私は、左手を挙げて『大丈夫』との意味を込めてゆっくり振った。
「――そっか。ごめんね」
遠ざかる足音。倉橋さんは安心して帰って行ったのだろうか。様子を確認しようと、顔を元の位置に戻すと、教室を出る倉橋さんと目が合った気がした。
――その瞳は、少し濡れていたと、思う。
私は急いで教科書を鞄に放り込み、駆け足で教室を出た。まだ、教室に残っていたクラスメイトがびっくりして私を見る。だが、「また明日」と一言、誰にでもいうなく言葉にして教室を出た。
倉橋さんは……もう居ない。
廊下を走り、ぶつかってしまった名も知らぬ人に謝りながら、下駄箱まで辿り着いた。
いた。
先程、私を心配してくれた倉橋さんとは少し違う。少し悲しそうな雰囲気の彼女。校庭に降り注ぐ日差しの反射でつくられた影が、なおさら儚げな空気を醸し出していた。
「まって、倉橋さん」
指定靴を玄関のタイルに置こうとしていた動きが止まる。目を見開いて、顔を私に向けてきた。薄闇に染まり始めた玄関。その中でも輝きを失わない瞳。私が持っていない物を持っているようで嫉妬と羨望がないまぜになった気持ちが渦巻く。
「も、もう、大丈夫だから」
自分でも不自然と言える声掛けだった。もうちょっと気の利いたことが言えないのかと、恥ずかしくなった。それでも、「良かった」と微笑みを浮かべてくれた倉橋さんから目が離せなくなった。
倉橋さんも帰る道が同じだったらしく、自然とわたし達は一緒に帰ることとなった。そよ風が吹くと、倉橋さんのポニーテールがふわりと揺れ、優しい香りを私に運んでくる。
入学してからずっと思っていたけれど、倉橋さんは誰に対しても防御が緩いと思う。
こんな魅力的な少女が、無防備に近付いてくるのだ。男でも女でもドギマギしてしまうのは当然だと思う。それに第一私は――。
「ねえ、赤坂さん。私、ちょっとスーパーで買い物するんだけど、そこにクレープの屋台が出てるの、それでね……」
最後の言葉をあえて言わないのか、言えなかったのか。ちょっと可愛すぎやしませんかねと、心のなかで叫びながら、私はなんてことない体で言葉を引き継いだ。
「そだね、一緒に食べよっか。私、ちょうどお腹減っててさ」
一緒にクレープを食べるのがデートなら、その前に一緒にスーパーで買い物するのは、もう家族と言っても良いかもしれない。
徐々に体温が上がっていく気がする私をよそに、倉橋さんはマイペースに今日あった出来事を語っていく。
ああ、こういう雰囲気っていいなぁ。
買い物を終え、クレープ屋に設置された長椅子でクレープを食べる。私はスタンダードにチョコバナナ(お金がないので一番安い奴)。倉橋さんは、追加でトッピングましましのカラフルなイチゴ系のクレープだ。
久しぶりに食べたけど、やっぱりクレープは美味しい。なにより、手が触れる寸前まで近くに座った倉橋さんがいるのだ。マズイわけがない。いや、むしろ味が分からないまでなってくれても良かった。
「私ね、クレープ好きなんだ。妹が一人いるんだけどね、妹も同じ位クレープが好きなの」
家族のことを語る倉橋さんはどこか優しげで、穏やかな雰囲気を纏っていた。
「それでね、いつもこんな風に途中で交換するんだ」
照れ笑いを浮かべたまま、手に持ったクレープを私に向けてくる。いくら私がアッチの方面だとしても、段階というものを踏んでくれないと心臓に悪い。
ぐるぐると頭の中で欲望と理性が交差する。
もしかしたら、冗談なのかもしれない。冗談じゃないかも知れない。でも、私の気持ちが溢れてきて、気付いたら動いてしまった。
パクッ。
――あ。
よりにもよって、クレープの交換ではなく、直接食べると言うことしてしまった。私の中の何かが外れた気がして、一気に体が熱くなる。サマーセーターなんて着てなくてよかったと、どうでも良い考えばかり浮かんでくる。
ポカーンとした表情を浮かべた倉橋さんへ、どう弁明したらいいか考える。どうしよう、何も浮かばない。
「あはは、妹もそこまではもうしないかな。ちっちゃい頃はしてくれたけど」
温かい手が私の腕をとる。何事と! と思った時には遅かった。私が持っているクレープを半ば強引に引き寄せ、倉橋さんが直接食べたのだ。私の手から直接食べたのだ。
「定番はやっぱり外れないね」
嬉しそうに笑う倉橋さん。私は、あなたと一緒のクラスになれて、当たりでしたと訳の分からないことを考えていた。
期せず味の分からなくなったクレープを食べ終わり、スーパーで別れることなった。
また明日会えるのに、明日までの時間が長くてもどかしくて、このまま今の時間が続けばいいと思った。
「またね」
その言葉がどれだけ私にとって重いか。倉橋さんには分からないだろう。これからも、私がこの気持ちを打ち明けることはないと思う。だけど、どうしても夢を見てしまう。
抑えきれない気持ちを落ち着かせようと、今日の夜はどうしようかと考える自分が少し嫌になった。
百合と書けと無言の圧力をかけられました 白長依留 @debalgal
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます