双子はポケットに入らない ~落ちぶれた元怪盗は人生逆転を賭けて魔術師の卵×2を拾う~

達間涼

1章 ~怪盗、双子に遭う~

第0話 フラメールの双子

 その男は錬金術師だった。

 

 ニコラ・フラメール。

 男の人生は決して順風満帆じゅんぷうまんぱんとは言えなかったが、かと言って暗澹あんたんたる人生だったかと言えば、そんなことはない。むしろ他人の目から見れば幸福そのものとさえ言えたかもしれない。

 

稀代の錬金術師ジ・アルケミスト』——それがニコラ・フラメールという一人の魔術師、一つの才能に捧げられた称号だった。

 

 錬金術師と称された彼に作れないモノなど存在しなかった。無から有を生み出し、一つの物体を全く別の物体に再構成し、この世に存在し得ぬ物質を具現する。その魔術は見る人の目には神の御業のように映り、誰もが彼のもたらす奇跡を頼った。


 堅物で職人気質かたぎな男はそれをあまり快くは思わなかったが、神の真似事をするのは金になった。だから男は時折その願いを叶えてやり、それ以外の時は自身の研究に没頭した。


 近寄りがたく変わり者、だが天才である。

 それが男に対する周囲の評価だった。


 そんな男もやがて一人の女性と巡り合う。青春時代を丸々魔術に捧げてきたような冴えない男が、彼女のような慎ましくも華やかな女性を妻に持てたことも幸運の一つだったのだろう。彼女との出逢いは、男が捨て去った青春を再びやり直しているような幸福を彼にもたらした。さらに男と妻との間には、天使のように愛らしい女の子が生まれた。双子だった。双子たちはあっという間に大きくなり、十歳になった頃にはその顔立ちに妻の面影がはっきりと見えるようになった。


 姉にはメアリと、その妹にはアンと名付けた。名付けたのは妻のペルラだ。


「ねー、お母さん。どうすればあたしもお母さんみたいにおっぱい大きくなる?」

「そうねえ、一説によれば他人ひとにいっぱい揉んでもらうと大きくなるらしいわ。私のおっぱいもニコラにいっぱい揉んでもらったからこんなにも大きく育ったのよ」

「えっ、そうなの! うわー、お父さんやらしーんだー! エロエロだー」

「最近メアリがませたことを言うようになったのはやはり君の仕業か、ペルラ。変なことを子供たちに吹き込むのはやめてくれ」

「変なことじゃないわ。子供の好奇心に応えるのは親の役目ですもの。ねー」

「ねー」


 メアリは元気いっぱいの女の子だ。好奇心旺盛で、親の言うことをなんでもすぐに吸収し、親がすることをなんでも真似したがる。特にペルラの影響を色濃く受けていて、日に日に彼女に似てきている。悪戯を思いついた時の表情などはまさにそれだ。あと数年もすれば、周りの大人を無邪気に振り回すおてんば娘に育つに違いない。

 

「……お父さん……私のぬいぐるみさん、おケガしちゃった……」

「それは大変だ。アンにはまた、お父さんが新しいぬいぐるみを作ってあげよう」

「……イヤ。この子がいい……この子じゃなきゃヤだ……」

「もう駄目じゃない、ニコラ。ぬいぐるみさんだって生きてるんだから」

「そうは言ってもな。これは私の魔術で作った——」

「ほうらアン、お母さんにもお友達を見せてくれる? ああ、大丈夫。これくらいのお怪我ならお母さんがすぐに直してあげるわ」

「……ほんと……?」

「ええ、アンのお友達はお母さんが必ず元気にしてあげる。約束よ」

「……っ……お母さんだいすき! ……お父さんきらい……」

「…………」


 アンは少々内気な女の子だった。感受性豊かな子で、純真無垢という言葉がよく似合う。甘えん坊で泣き虫な彼女が将来どう育ってくれるのか予想もつかないが、それ故に大切に見守ってやらなければ、とペルラともよく話していた。


「私は幸せ者ね。こんな可愛い可愛い天使を二人も授かれるだなんて」

「そうだな」

「あなたと出逢えてよかったわ、ニコラ。楽しい毎日をありがとう」

「ああ、私も感謝してるよ。君に逢えて本当によかった」


 双子たちにとってペルラは仲のいい姉のような存在で、偉大な母親だった。

 それは男にとっても変わらない。ペルラは生涯のパートナーであり、男にとっての全てであり、自分の心臓にも等しい存在だった。

 だから彼女が病に倒れた時、男は自分の身が引き裂かれるような痛みを味わった。


「……ねえ、お父さん。お母さんおケガしちゃったの? お父さん、治してあげられる……? このままじゃお母さん、かわいそうだよ……」

「ああ、大丈夫だ。お父さんが必ずお母さんの病気を治してやろう」

「……約束?」

「ああ、約束だ」


「ねえ、見てよお母さん。あたし一人でも洋服縫えるようになったんだよ。で、これはお母さん用。大きなおっぱいでも窮屈じゃないようにしようと思ったんだけど、これだとちょっとブカブカすぎるかなあ」

「……ふふ、そうね。私にはちょっと大きいかな……でも、お母さんが元気になったら……メアリが作ってくれた服を着て、一緒にお買い物に行きましょう……?」

「うん……っ、約束だよ?」

「ええ、約束よ」


 だが、その約束が果たされることはなかった。それから数日経ったある日、彼女は息を引き取った。彼女はその最期の時まで、家族の前では微笑み続けた。最期まで彼女は病魔に抗い続けた。だから彼女は決して病気に負けたわけではないのだと、娘たちはペルラの葬儀の時にそう言っていた。

 だから、男も負けるわけにはいかないとそう誓った。自分が諦めない限り、彼女は決して負けることはない、と。


 死は克服できる。

 男は妻の死を目の当たりにして、その死から救ってやれなかった無念から、強くそう思うようになっていった。


 私に作れないモノはない。

 それがたとえ、この世の理に背くようなモノだとしても。神が作ったこの世の不条理に抗うことができるのは、錬金術師と呼ばれる私だけなのだ。


 妻の死から三年ほどの月日が流れたある朝、男は十余年過ごした邸宅をあとにすることを決意した。長らく工房として使ってきた地下室の鍵を閉め、リビングへと上がる。そこには十四歳になった娘たちの姿があった。


「あれ、お父さんこんな時間から出掛けるの? それなら帰りにお砂糖と牛乳買ってきて欲しいな。メアちゃん、おやつにフレンチトースト出さないと文句言うから」

「なにさアン、人を悪者みたいに。糖分は心の栄養なんだよ? 栄養が足りないと心が満たされなくなって元気が出なくなるんだから。おやつは糖分、つまりおやつは心のベストフレンズ! 分かったらおつかい頼んだよ、お父さん」


 娘たちは今日も賑やかだ。まるでペルラが二つに分かれて、自分同士で喜劇を演じているような錯覚すら覚える。だが、彼女はここにはいない。


「すまないが、私は当分家には帰らない。だからおつかいは二人で行ってくれ」

「……今のってもしかして、『糖分』と『当分』をかけたギャグ……?」

「やだ、お父さん! おじさん臭い!」

「……いや、今からお父さん結構大事な話するから。もう少し神妙な顔で頼む」


 娘たちは「なんだなんだ?」という顔で、自然と男の近くに寄ってくる。


「メアリ、アン。お前たちには“これ”を託したいんだ」


 男は娘たちの正面に屈みこむと、両手にそれぞれある物を取り出した。右の手にはまん丸な宝玉オーブ、左の手には紡錘形ぼうすいけいのペンダントが乗っている。どちらもその形こそ違ったが、どちらも宝石のように透明感のある輝きを放っていて、神秘的な真紅の色をしていた。

 娘たちはその魅惑的な輝きを前にして、爛々と目を輝かせている。

 

「……わぁ、綺麗……」

「すっごい、なにこれ! もしかしてあたしたちの誕生日プレゼント?」

「でも、メアちゃん。私の誕生日ってもう終わってるよ?」

「じゃあ、違うか……まあ、プレゼントなんていつもらっても嬉しいもんだけどね」 


 メアリは「じゃあ、遠慮なく」と言って、宝玉の方に手を伸ばす。が、その寸前のところで男はその手をひっこめた。メアリがむっと口を尖らせるのを見て男は苦笑する。そして男は、手のひらに乗ったその指して言った。


「これは、——“賢者の石”だ。プレゼントではないが、お前たちにはこの石を大切に持っていて欲しいんだ。私が帰って来るまでの間、これを守り通して欲しい」


「……どういうこと? 私たちに託すって一体……」

「そうだよ、いきなりそんなこと言われたってわけわかんないよ。大体あたしたち、その石がなんなのかもよくわかってないのに」

「これはお前たちにしか頼めないことなんだ。大切な家族である、お前たちにしか」


 家族。

 その言葉を前に娘たちの表情が変わった。


「だから約束してくれ。私と、ペルラに誓って、必ずこの石を守り通すと」


「お父さんと、お母さんに……」

「……わかったよ。よくわかんないけど、お父さんが本気だってのはわかった」

「メアちゃん……」

「よく考えたら、お父さんがあたしたちに頼みごとするなんて初めてのことじゃん? だからこれはきっと大事なことなんだよ。だからあたしは……やるよ」

「……そっか。うん、わかった。メアちゃんがやるなら私もやるよ」


「ありがとう。メアリ、アン。きっと天国でお母さんも見守ってくれている。だからあとは、頼んだ」 


 それから男は、娘たちと一言二言の会話を交わしたあと、娘たちに背を向けて玄関へと向かった。それでもほんの少し名残惜しくなって、最後に一度だけ振り向いた。


 娘たちの瞳には強い決意の色と、弱々しく揺れる不安の色が宿っていた。翡翠色の、男と同じ色の瞳だ。そして二人の間に彼女の面影を見た。亜麻色の髪をした彼女が、二人の間に立っているような気がした。男が見た幻想がどんな表情をしていたのかは、男自身にも思い出すことはできなかった。だが、彼女はきっと——。


 男は娘たちの姿を目に焼き付け、家を出た。

 

 それから約一ヵ月後、男は消息を絶った。

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