第1話 いまどき怪盗は流行らない

 時は大怪盗時代!


 ……なんて時代が本当にあったかどうかはさておき、ここパラ=ローグにはほんの数年くらい前まで、怪盗と呼ばれた悪党共がうじゃうじゃと居たもんだ。


 その中でも格別、格段の怪盗と言えば思い出す名はこいつしかいない。

 難攻不落の警備網を搔い潜り、どんなお宝をも必ず奪い去る天下の大泥棒トリックスター

 

 ——『怪盗ヴィクター』。


 号外号外。奴から予告状が届いた日には、街の連中は皆大騒ぎさ。

 

 街のあちらこちらでサイレンが鳴り響き、飛行船からは眩いばかりのスポットライトが降り注ぐ。やんややんやとお祭り騒ぎの街中を、目をギラギラと輝かせた警官隊が犬っころのように駆け回るんだ。次こそは奴の尻尾を掴むんだ、ってね。


 それでも奴の犯行は誰にも止められない。誰も奴を捕まえられない。なぜなら奴はただの怪盗じゃあないからだ。


 欺きの天才。盗みの職人。変装の名人。射撃の名手。侵入、逃走の名航海士……。

 奴が今までに呼ばれてきた通り名を挙げればキリがないが、奴を言い表すのにこれほど相応しい言葉は他にない。

 いいかい少年たち、よおく覚えておけよ。

 この世界に歓喜と狂乱の渦を巻き起こした伝説の怪盗、そいつは——。


 ——『怪盗ヴィクター』は史上最高の大泥棒で、史上最強の“魔術師”だ。


 

 * * *



 真っ白な霧が空を覆いつくしている。

 あれは雲だろうか。それともこの街のあちこちから漏れ出る蒸気の色か。もやもやと白く濁った大海原を、巨大モニターを積んだ飛行船がゴォゴォとプロペラを回しながら飛んでいる。モニターには次期首相候補の男の顔がデカデカと映し出されていて、「万歳、文明開化」的なことを語っている。

 なんてことない、選挙前のパフォーマンスだ。


 ……まあ、俺には関係のない話だ。

 と、ルーサーは灰色がかった曇天に向かって煙草の煙をふぅっと吹きかけた。

 

 ここは西都パラ=ローグ。

 その首都、ルドー。

 

 石畳が敷き詰められた大地の上に平然と高層のビルが屹立し、レンガ造りの家々が建ち並ぶ街並みを無数の配管が無遠慮に駆け巡る。かつては魔術大国の中枢都市として繁栄し、それがいつしか科学技術の発展と共に鉄と錆の臭いが強くなった、古臭くも真新しいツギハギだらけの街だ。


「——魔術師だって、嘘くせー!」


 昼なのにどこか薄暗い公園のベンチに腰掛け、ルーサーは昔話を終えたばかりの青年に顔を向けた。先ほどまで怪盗云々と饒舌に語っていたその青年は、自分より一回りも二回りも幼い少年たちに「うっそだー」と糾弾され、むっと顔をしかめる。


「嘘なんかじゃないさ。君たちのお父さんお母さんに聞いてみるといい。きっと喜んで彼の偉業を語って聞かせてくれるはずだよ。何重にもトラップが仕掛けられた金庫の中から旧帝モルドレットの婚約指輪を盗み出した話や、大昔の錬金術師アルケウスが遺した三トンの錬金釜を百人の警官が見張りにつく中盗み出した話とか。どれも『怪盗ヴィクター』が魔術師じゃなきゃ説明のつかない犯行ばかりさ」


 青年が得意気な顔をして語っていると、


「そんなの簡単じゃん」


 と、少年の一人がつまらなそうに答える。


「電子制御のトラップならハッキングするとか電磁パルスを発生させるとか方法はあるし、三トンある釜だって『パラドック社』のナノボットで分解して、後から復元すれば持ち出すことだってできるでしょ。そんなの全然魔法じゃないよ」


 青年は目をぱちくりとさせ、ぽかーんと口を開けていた。まるで彼の時間だけが止まってしまったかのようで、まさにハトが豆鉄砲を食ったような、といった顔で固まっている。頭に被せたハンチング帽がずり落ちてしまいそうだ。


「……いやいや、昔はそういう時代じゃなかったんだって。当時のセキュリティはもっと原始的かつ魔術的、機械だのハイテクだのが介入する余地は一つもなくて——」

「魔法とか怪盗とか、いつまでも子供みたいなこと言ってちゃ駄目だよおじさん」

「……んなっ、……おじ……」

「そうそう。今時そんなの流行らねーって」

「もういいだろ。こんな変な人放っておいてゲームの続きしようぜ」


 そして少年たちは青年のことなど視界の隅に追いやって、最初に見た時同様、顔を突き合わせて携帯ゲームで遊び始める。なんともいたたまれない光景だ。


「まったく失礼しちゃうなあ、誰がおじさんだよ。ボクはまだ二十歳はたちだよ? せめてお兄さんって呼んで欲しいものだね。……まあ、お兄さんでもないんだけどさ」


 青年は一人ぶつぶつと文句を垂れながら、ルーサーのところまでやって来る。

 

「大体ボクがおじさんなら、ルーサーさんなんかもうおじいちゃんだよね」

「……誰がおじいちゃんだよ」

 

 失敬な、とルーサーは口端で煙草をぷらぷらと弄びながら言葉を続ける。


「ガキにとっちゃ見知らぬ他人は大抵おじさんかおばさんに見えるもんだ。要するに、二十そこそこのお前も三十そこそこの俺も大差ない、子供の目には似たように映ってるってことだよ。悔しければもっと若向けの服を着るこったな」

「酷いなー。嫁入り前の娘をこんな中年と一緒にするだなんてさ」

「酷いのはどっちだよ」

「さあ。きっと政治が悪いんだ。大抵の物事はそれで説明がつく」


 そう言って悪戯っぽく笑うと、青年、もとい彼女はルーサーの隣に腰を下ろした。


 ミルコ・オハラ。それが彼女の名だ。


 子供たちが見間違えたように、ミルコは中性的な風貌をしている。

 赤茶色の頭にチェック柄のキャスケット帽を被せ、皺の寄ったシャツの上に茶色のベスト。下はベージュ色のショートパンツ。加えて少年然とした爽やかな顔立ちとその口調。パッと見ではその性別を誤認してしまっても仕方がないと言える。


 そんな彼女と知り合って十余年。流石に彼女の性別を間違えようもないが、だからといって彼女を異性として意識したことは一度もない。

 あくまでミルコは数少ない友人の一人であり、唯一無二の仕事仲間なのだ。


「それで、ミルコ。頼んでたはどうなった?」

「せっかちだなー、ルーサーさんは。——ほら。お手頃なのを幾つかピックアップしておいたよ。結構探すの苦労したんだからね?」

「いつも助かってるよ」


 ミルコから手渡された新聞紙を受け取るや否や、ルーサーは紙面をパラパラと捲っていく。記事の内容は市販の物と変わらない。だが一枚だけ、不動産のチラシで見かけるような家の写真や間取りが印字されたページがあった。

 そこに、ルーサーが求める情報はある。

 ……が。


「……駄目だな。いくら資産価値の高い物件でも、ネズミ一匹寄せ付けないようなお堅いうちじゃあな。もっと開放的で、バリアフリーじゃないと」

「今時セキュリティ皆無の物件なんてどこにもないよ。最近はどこの家も防犯意識が高いんだ。鍵穴を必要としないオートロック、警備会社が二十四時間体制で見張ってる監視カメラ、侵入者を検知するセンサーなんてのはどこも標準装備だよ」


 ミルコは肩を竦めて言う。

 

「あとはなんだっけ。同居人NG。ペットNG。ロボットNG。人里離れたポツンと一軒家、できればちょっと高級感の漂う……?」

「それから、分かりやすい場所にヘソクリをたんまり隠してそうなお宅だ」

「注文が多いんだよ、ルーサーさんは。そんな美味しい話がそう簡単に転がってると思う? 仮にあったとしても、そんなのすでに買い手がついちゃってるよ」


 はあ、とため息を吐き、ミルコは両手を挙げお手上げのポーズをとる。

 

「そこをなんとかするのがお前の仕事だろ?」

「そこをなんとかするのがルーサーさんの仕事だと思うんだけどなあ、ボクは」


 ミルコは普段、公園のはす向かいにある小さな売店で店主をやっている。

 日用品から菓子や雑誌、新聞、煙草やビール等々、彼女の店には必要最低限の物が揃っている。家は売っていない。不動産屋ではないのだから当然と言えば当然だが、その代わりにミルコはどこの売店も取り扱っていない特別な商品を扱っている。

 ——ずばり、情報だ。


 ルーサーがこのくにで一番信頼している情報屋。それが、ミルコだった。


 そして、

 ルーサーが彼女に注文したのは住みやすい物件、ではなく、侵入しやすい物件。

 つまるところルーサーは、を探していたのだ。

 

 それも、二十年余りの泥棒人生の“最後”を飾るに相応しい晴れ舞台を、だ。

 

「ミルコ、お前には随分と世話になった。きっとあの世で親父さんも褒めてくれるだろうさ。お前は史上最高の情報屋だ、ってな。俺もそう思ってる。だから、俺の“最後”の仕事はお前から買いたいんだ。……だから本当はまだ他にあるんじゃないのか? 俺にまだ見せてない、店主おすすめの物件が」


 ミルコは優秀な情報屋だ。そしてルーサーの好みも熟知している。ルーサーはミルコの肩に手を乗せ、期待を込めた眼差しで彼女を見る。


「……ルーサーさん。本気で怪盗、辞める気なんだね」


 ミルコは少し悲しそうに目を伏せたあと、上目遣いにそう訊いた。


「どうしてさ? 世界はまだルーサーさんのことを、——『怪盗ヴィクター』が魅せてくれる奇跡を必要としてる。みんな彼の復活を待ち望んでいるんだよ?」

「嘘吐くなよ。さっきのガキ共の言葉を忘れたとは言わせねえぞ」

「あれは違うよ。本当はもっと興味を持ってくれる予定だったんだ。ボクの根回しが足りなかっただけだよ」

「根回しとか言うな。もっと惨めな気分になるだろ」


 結局はその程度ということだ。いいさ、分かっていた。きっと真にそれを待ち望んでいるのはミルコ自身なのだろうが、今の自分には彼女の期待に応えてやることはできない。ルーサーはそう思っていた。


「ここらが潮時だ。負けなしの大泥棒『怪盗ヴィクター』はもう死んだ。ここにいるのはすでにケチのついた、ただのコソ泥だけさ」

「まだチャンスはあるって」

「チャンスって……こっちは『ギルド』からも除名されかかってるんだぞ?」

「まあ、ね。でも……、それってそんなに問題?」

「当たり前だろ。『ギルド』がなければ怪盗なんてのはそこらのゴロツキと変わらない。怪盗が怪盗として成り立ってるのは、『ギルド』があるからだ。野良犬と飼い犬の違いというか、後ろ盾があるのとないのとでは全然違うんだよ」


 それに、とルーサーは言葉を続ける。


「『ギルド』から弾かれるってことはつまり、『ギルド』の敵になるってことだ。そうなれば怪盗と名乗ることはおろか、もう二度とこのくにでは仕事をできなくなる。怪盗にとっちゃこれ以上ないほどに致命的な問題だよ」


 ルーサーは非合法な仕事を生業なりわいとしているが、なにも一匹狼というわけではなかった。怪盗、泥棒、空き巣。呼び方はなんだっていいが、それらの汚れ仕事で死ぬまで食っていくつもりなら、避けて通れないのが特定コミュニティの一員となることだ。


 怪盗による怪盗のための犯罪コミュニティ。すなわち——『ギルド』への加入だ。


『ギルド』に加入するメリットは色々あるが、特に魅力的な特典は三つ。

 

 一つ目は、世界各地にパイプを築く巨大な情報網を利用できるということ。

 二つ目は、いざという時に助けてくれる巨大な後ろ盾ができるということ。

 そして三つ目は、そんな巨大な犯罪組織を敵に回さなくて済む、ということだ。


『ギルド』というのは縄張り意識の強い共同体だ。味方につけるとこれ以上ないくらいに心強いが、逆に、敵に回すと非常に厄介なことになりかねない。もしも間違って縄張り内で勝手に盗みなんてやった日には、牢獄暮らしの方が遥かによかった、という目に遭うだろう。実際にそういう目に遭った奴は何人もいた。


 だから大抵の怪盗はなにか一仕事をおっ始める前に、盗みの技術を磨くよりも先に『ギルド』に加入する。ルーサーもその例に漏れず『ギルド』の一員となった。

 リスクは最小限に。それがこの業界で長生きするコツだ。


 しかしルーサーは数年前、ある失敗を犯した。ただの失敗ではない。『ギルド』の存続が危ぶまれるほどの、大失態だ。

 

 そして、その日が『怪盗ヴィクター』の命日となった。


「お前の時代は終わった。首長ドンにそう言われたよ。お前は怪盗の時代を終わらせた大戦犯、——『負け犬ルーザー』だってな」

「…………」

「実際その通りだ。今の俺はコソ泥としても三流。このままズルズルとこの仕事を続けていても逆転の目はない。だったらこれ以上ケチがつく前に足を洗った方がいい」


 ルーサーは、火の点いたままの煙草を拳の内に握り込んだ。ジュゥ、と火傷を負うことはない。次に手を開いた時にはもう、煙草の吸殻は手のひらから消えている。

 

 魔法か、手品か。きっとどちらも大した違いはない。どちらも科学が発達した今の時代には通用しない、ただのインチキだ。


「さっきのガキ共の言う通りだ。怪盗とか、魔法とか。そんな子供染みた幻想からはいい加減、卒業しないとな……」


 しかし、そんな奇跡を誰よりも待ち望んでいる少女がここに一人。


「まだ、終わってないよ」

「……は?」


「まだ終わってない。ルーサーさんにはまだ、できることが残ってるはずだよ?」

「できることって……、なんだよ?」

「そんなの簡単だよ。——盗んじゃえばいいんだよ!」


「……はあ?」

 

 ミルコは先ほど少年たち相手に語っていた時と同様に、活き活きとした口ぶりで、大仰に手を広げながら声を張り上げた。


「盗むんだよ、『ギルド』の連中も見直しちゃうくらいのお宝をさ。子供たちの記憶に焼き付くような怪盗を、成功させるんだよ。それで見返しちゃえばいいじゃない」

「無茶言うなよ。セキュリティのセの字を見るだけでブルっちまうようなコソ泥が、なにを盗めるって? だから俺は無茶を承知でお前に頼んだんじゃないか。アトラクションでも楽しむような感覚で盗みができるような、物件を探してくれって」


「セキュリティなし。難易度超イージー。人里離れたポツンと一軒家、財宝あり?」

「最後の思い出作りに丁度いい、嬉しいサプライズつき」


 ルーサーは別に宝など求めてはいなかった。老後の蓄えになる程度に小銭稼ぎができればそれでいい。ミルコにも事前にそう伝えてあった。リスクは最小限に、あとは身の丈にあった褒美があればそれでよかった。


 だが、


「あるよ、一つだけ」


 自虐的な笑みを浮かべるルーサーに対して、ミルコが浮かべた笑みは大胆不敵。


「……え、あるの? ……マジで?」

「そこをなんとかするのがボクの仕事だからね」


 ミルコは得意げに鼻を鳴らすと、ルーサーの鼻先に人差し指を立ててこう言った。


「どうせこれが最後なら、最後に一花咲かせようじゃないか。——ね、ヴィクター」

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