第3話 泥棒に遭ったら頬をつねる前にすねを蹴れ②

 パッと部屋に明かりが灯ったのと、その声が聞こえたのはほぼ同時のことだった。


「……あれ、お父さん……? 帰ってきたの……?」


 ルーサーが振り返ると、閉めておいたはずの地下室の扉が開いていた。そしてそこには、寝ぼけまなこを擦りながら直立する少女の姿があった。


 少女はアカシアの花のような、鮮やかな黄色のパジャマを着ていた。

 肩にかかったセミロングの髪は亜麻色で、背丈は百五十センチほど。まだまだ伸び盛りの子供といった風で、華奢きゃしゃではあるもののか弱いイメージは全くなく、むしろしなやかで快活な印象を受けた。それはきっと、猫のようにクリっとした彼女の丸い目がそう思わせるのだろう。

 

 確かにルーサーは今、家に住み着く飼い猫に見付かったような気分だった。

 犬のように吠えられる心配はないにせよ、隙を見せた瞬間にこちらに飛び掛かり、鋭い爪で顔を引っ掻かれてしまいそうな、そんな不思議な緊張感がある。


 少女は電灯のスイッチを押した格好のまま目をぱちくりと瞬かせ、地下室を物色する黒づくめの男を前に、しばしぽかーんと口を開いたまま硬直していた。

 これは果たして現実なのだろうか。

 はたまた夢の続きなのだろうか、と。


 少しの沈黙のあと、ややあって、少女はハッと目を覚ました。


「……あっ、お前……お父さんじゃないな! 誰だお前はっ!」


 翡翠色をした少女の瞳が、強い警戒の色に塗り替えられていくのが肌で分かった。


「お前、お父さんの工房でなにしてるんだよ! こんなにいっぱい散らかしてさ!」

「待て、落ち着け。ここが散らかってたのは元からだし、俺は怪しい奴じゃない」

「嘘つけ、どっからどう見てもドロボーじゃん! ……っ、お巡りさーーん!」

「だから待てって。違うんだ。俺は、あれだよ……サンタクロースだ」

「……サンタ?」


 少女はぴたりと動きを止め、ルーサーの恰好をまじまじと観察する。そして少女は、ズビシッ、と指を差して叫んだ。


「そんな変な帽子被ったサンタさんがいるかっ!」


 そりゃそうだ。目出し帽を被った黒づくめのサンタさんがどこにいよう。気持ちのいいツッコミに思わず吹き出しそうになるが、漫才をしている場合ではない。

 少女はすでに地下室を出て、上へと続く階段に足をかけていた。

 

「大変、起きてアン! ドロボー! ドロボーが出たっ! 早く警察に——」


 しかし、そのあとの言葉は続かなかった。

 

「——むぐっ」


 ルーサーは瞬時に少女の背後に迫り、彼女の口を手のひらで塞いでいた。

 そしてそのまま、少女を抱きかかえるような格好で押さえつける。

 

「悪いが、お仕事の間だけ少し眠っててもらうぞ」


 彼女が騒ぎ出す前にこうするべきだったが、ルーサー自身突然のことに驚いてしまったのだ。恐らく彼女はトイレにでも起きてきたのだろうが、まさかそれで犯行現場を見られてしまうとは想定外。

 こうなってしまったらあとは、力づくでも大人しくさせるしかない。


「んむむーっ!」


 が、少女も負けじと腕の中でジタバタと暴れている。この華奢な身体のどこにこれほどのパワーがあるのかと思うほどに力強く、うっかり階段から転げ落ちてしまわないよう踏ん張るだけでも一苦労だ。ルーサーは少女の背中に覆い被さるような体勢になり、か細い両腕ごと抱き込むように自分の腕を巻き付ける。

 

 すると不意に、ビクンと少女の身体が跳ねた。


「——っ——!」


 力が抜けたのか、先ほどまでの抵抗が嘘のようにへなへなと大人しくなる。理由は分からないがこれは好機。ルーサーは、少女を眠らせるための魔術を詠唱する。

 

 と同時、ルーサーの右足に強烈な痛みが走った。

 

「……ッ!」


 唐突に少女が足を蹴ってきたのだ。それもかかとで思い切り、それもすねを容赦なく。

 さらに拘束を緩めた隙に、少女は間髪入れずルーサーの左手に噛み付いた。


「——ッてえ!」


 なんてガキだ……! 堪らずルーサーは少女を解放し、背後に後退る。——後退ろうとして、階段から足を踏み外した。


 しまった、と思った時にはもう遅い。

 ルーサーは階段からガタゴトと無様に転げ落ち、その勢いのまま地下室に投げ出されてしまった。机の脚材に肩を打ち付け、床に散らばった本の角が尻に突き刺さり、頭の上にはフラスコが落ちてきた。

 あまりの痛みに涙が滲んでくるが、泣き叫ばなかっただけでも奇跡だ。


「……ッこの、クソガキ……! やってくれるじゃねえか……」


 自分でも情けなくなるような三下の台詞だったが、全身がズキズキと痛んで言葉を選んでいるような余裕はない。それにこのまま少女に逃げられでもしたら最悪だ。

 ルーサーは痛む身体に鞭を打って、膝をついてなんとか起き上がる。


 が、少女はルーサーの予想に反してまだ逃げてはいなかった。

 

 それどころか、何故か地下室へと戻って来るではないか。


「……くも、……ったな」


 少女は顔を真っ赤にして、肩をわなわなと震わせながら、階段を一歩二歩と降りて来る。彼女は誰の目にも明らかなほどに、怒っていた。今目の前にいるのが恐ろしい犯罪者であることも忘れるほどに、内から湧き上がる怒りに震えていた。

 そして亜麻色の髪の少女は、こう叫んだ。


「——よくもあたしのおっぱい触ったなッ! このおっぱいドロボー!」


「…………はぁ?」


 あまりにも予想外な少女の訴えに、ルーサーの思考は一瞬フリーズしてしまった。


「さっきあたしに抱き着いたとき、どさくさに紛れて触ったでしょ! くそぅ、ただのドロボーだと思って油断した。まさかあたし目当ての変態だったなんて……!」


 とんだ言いがかりだ。

 ルーサーは手のひらにその感触を思い起こそうとしたが、温かくも柔らかい子供体温を感じた覚えしかなく、そもそもそんな小さなアクシデントがこの場面でそこまで重要なことなのだろうかと、ふと冷静になる。こっちは泥棒だぞ、と。


生憎あいにくとお前が言ってることには覚えがないし、それが本当なら謝ってやってもいいとは思うが、そんなことを言うためにわざわざ戻って来るのは流石に間抜けが過ぎるんじゃないか?」


「そんなこと? そんなことを言うためにわざわざ戻って来たと思ってるの? あたしは今めーーっちゃくちゃ、怒ってるんだ」


 少女の瞳には強い自信がみなぎっていて、とても目の前の小悪党を恐れているようには見えなかった。むしろ今恐れを抱いているのはルーサーの方だった。

 ……なんだこのガキは。どうにも嫌な予感がする。


「まあ待て。話せば分かる」

「待つかっ! お前みたいな悪い奴は、このメアちゃんが直々に成敗してやる!」


 少女が手を振り払ったのと同時、バチッ、とその指先で電流が弾けた。


「……っ!」


 目の錯覚か? それとも静電気が走っただけか? ……いや、違う。

 今もなお彼女の周囲には、はっきりと目に見えるほどの電流がバチバチと音を鳴らして散っている。ゴロゴロという雷鳴の音すら聞こえてくるような、稲妻が。


「こいつは、まさか……!」


 間違いない。今自分が目の当たりにしているそれは“魔力”だ。

 少女の内なる求めに参上し、幼い器に力を授けんと寄り集まった魔力の奔流。

 そしてこの少女は、その剥き出しの力を手懐けるだけのすべを持っていた。


峻険しゅんけんなる隼よ。天に頂く雷鳴を呼び覚まし、大地を穿つくさびとなれ!」


 少女が言葉を紡ぐと共に、彼女を取り巻く稲妻が増大していく。

 その稲妻は正面にかざした両手を中心に収束し、みどりの稲光がとぐろを巻く。

 地下室がビリビリと震え、電灯がチカチカと明滅する。

 その中で少女は、ただ真っ直ぐにこちらを睨みつけている。標的を見定めている。

 もはや疑うまでもない。こいつは……、この少女は——。


「——魔術師か!」


 その直後、轟音と共にそれが来た。


「——ゲイル・ラ=ボル・ケインッ!」


 少女の手のひらから放たれたそれは、まさに“雷”そのもの。

 一本の柱から無数の茨が咲き乱れたような、鋭くも膨大な雷の束が、ルーサーという名の不埒者ふらちものを噛み殺さんと真正面から来る。そして、


 世界から全ての音が掻き消え、見える景色の全てが白く焼き付いた。

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