あふれるほどのプレゼント

(あれっ?)

 岩風呂から上がって五歩も歩かないうち、追いかけてきた吹雪に捕まって。

 そのまま連れ込まれた脱衣所サニタリーで、六花は微かな違和感に内心首を傾けた。

(ここって、さっきもこんな風だった……?)

 けれど、それを表に出すようなことはしない。


 それが、六花なりの処世術というものだった。


 少しくらい違和感を覚えても素知らぬ振りをして、世話焼きな吹雪が甲斐甲斐しく被せてきたタオルで濡れ髪を拭う。

「ドライヤーないの?」

「こっちは電気が通ってない」

「まじで……」

 六花は用意した覚えのない着替えに袖を通すと、わざわざ持ち込んだ覚えもないのに洗面台の傍に揃っていた化粧品をあちこち塗り込んで、もう一度吹雪にとっ捕まるまで大人しくしていた。


 自分の足で歩いてやって来たわけではない場所からは、帰りも吹雪にと、なんとなし考えて。臆面もなく触れてくる男の腕に、遠慮なく手足の力を抜いてくてっ、と体を預けてしまう。

 吹雪は体つきこそ細身だが、非力というわけではなく。見かけよりもずっと力があって、六花のことをうっかり落としてしまったことなど一度もなかった。




「そういえば――」

 大事な宝物でも捧げ持つよう、両手を使って横抱きにされ、運ばれているうち。

 体を揺らす穏やかな震動のせいか、うつらうつらしていた六花の意識を、吹雪の低く落ち着いた声が眠りの淵から呼び戻す。

「お前、俺がやったはどうした」

 すっかり気を抜いていた六花は、ぎくりと震える体の素直な反応を誤魔化し損ねた。


「あー……」

 このタイミングで所在――というか、肌身離さず身に付けておけ、と言われていたものを身に付けていない理由――を問われるということは。

 やっぱりだったのか、と。身の回りのちょっとした違和感――あまり「普通まとも」ではなさそうなあれそれ――に対して殊更鈍いをしてはいても、真性の馬鹿ではないつもりでいる六花は、いつものように内心でひっそり頭を抱えた。

(わざと忘れたわけじゃないとはいえ、私がちゃんとしてさえいれば防げたってことなら間抜けすぎる)

 吹雪にどう答えたものかと視線を泳がせ、どんなに言葉を探したところで、現に今、六花が身に付けているべきものを身に付けていない事実は変わらないし、おそらくはそのことが原因で最悪なことが起きてしまった過去も、今更変えようがない。


 だから今度は、六花の方が吹雪から顔を背ける番だった。


「ごめんなさい……」

 結局、それ以外に言うべきことが見つからなくて。たっぷり時間をかけて謝罪の言葉を絞り出した六花を、吹雪がぼすっ、とベッドに落とす。

「それは何に対する謝罪だ?」

「吹雪さんはちゃんと守ってくれてたのに、私が全部台無しにした……」

 柔らかなベッドに体を沈め、満月をそのまま嵌め込んだような冷たい金色の双眸に見下ろされると、そんな場合ではないとわかっているのに、六花は落ち着かなくなった。

「お得意の知らんぷりは、もういいのか? を認めると、お前がこれまで目を背けてきたと向き合う破目になるぞ」

「そんなこと言ったって……」

 色んな後ろめたさが、頭の中でない交ぜになって。

 六花がふいっ、と逸らした視線の先に、吹雪の筋張った腕が下りてくる。

「もう、どうしようもないじゃない。夜道で襲われたくらいならまだ誤魔化せたかもしれないけど、吹雪さんにあんなことまでして。ホールだって血だらけだし……」

「あれくらい、お前が一眠りして起き出す頃には綺麗に片付いてる」

 だからいつものように、気付かない振りをしていればいいとでも言いたいのか。

 吹雪の考えていることがわからなくて、六花はうっすらと表情を険しくさせた。

「吹雪さんは、私が何も気付いてない振りをしていた方がいいの?」

「そうじゃない」

 ベッドの上に乗り上げてきて六花のことを下敷きにした吹雪が、目を合わせまいとそっぽを向いた女の横っ面にキスをする。

 インナーの裾から潜り込んできた男の手に、そっと輪郭を確かめるような強さで肌をなぞられ、ぞわぞわと這い上がってくる気持ちの良さに、六花は身悶えた。

「お前が傍にいてくれさえすれば、俺はなんだっていいんだ」

「こんな、死んでるんだか生きてるんだかわからない、吹雪さんのことを物理的に食べちゃうような女でも?」

「あぁ」

 躊躇いなく頷いた吹雪が、六花の耳を食む。

 肌身離さず身に付けておけ、と散々言い含められていた御守りのピアスをつけ忘れている耳朶に、それを咎めるよう歯を立てられて。

 それを批難するような声を上げられるほど、六花も図々しくはなかった。

「お前だって、年も取らす、殺されても死なないようなおれが好きだろう」

 頤を掴まれて、強引に振り向かされた六花の視界が、作り物じみて整った男の美貌でいっぱいになる。

「吹雪さんは顔がいいから……」

 自分でもろくでもないことを言っていると自覚のある六花に、顔が最大の魅力だと面と向かって言われた当人は、眉を顰めるどころか、いっそ機嫌良さそうに目を細めて。

「俺もお前を愛してる」

「そっ――」

 ――愛しているとそこまでは言ってない!


 顔を真っ赤にした六花の反論を、吹雪はがぶっ、と噛みつくようなキスで呑み込んだ。

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