思い出のエンドロールのその先を

三上優記

檻から飛び立つ鳥

 いつも通り、病室のドアを開ける。相変わらず元気そうな様子の彼だが、今日はなぜだろう、ベッドに佇むその輪郭はどことなくぼやけて見えた。

「話があるって……何ですか? 会社の業務報告ならばこの4か月、欠かすことなく定期的に行っていますが……またいつもの下らない暇潰しに付き合え、と? 別にいいですよ、大富豪でもリバーシでも将棋でも、何でもどうぞ。――――おそらく私が勝ってしまうと思いますが」

 私の言葉に、彼は肩を竦めた。

「相変わらずひどいな。それに今日こそは勝てるかもしれないじゃないか! ってそうじゃない。今日は……そうじゃないんだ」

「へぇ、そうですか。どうしましたか? まさか、回復する目途がついたとか……そういうことですか?」

「そうそう、お医者さんから明後日退院していいって言われて――って、まぁそうだったら良かったんだけどな。ちょっと違う話なんだ。ただ大切な話だから、どうかちゃんと聞いて欲しい」

 彼がこう言う時は、本気の話か、それとも本気でふざけている時の2択だ。ただこの元気そうな様子だと、どうも――後者のように感じられたのだが。

「――――俺、ガンなんだ。余命3か月なんだって」

「……はい?」

 どうやら、勘が鈍っていたようだ。

「おいおい、しっかりしてくれよ? ならもう1度言うぞ。――――俺は、ガンなんだ。あと、3か月しか生きられない」

「ちょっ、と……待ってください、急に、そんな……!」

 ふざけていた空気が一変する。頭の中が真っ白になる。それ以上が紡げずに、言葉を失う。

「あはは、付き合い長いけど、サクのそんな驚いた顔初めて見たよ。それだけでも隠していた甲斐があったな」

 そんな私を尻目に、当の本人は素知らぬ顔で、からからと笑ってなんかいる。こういう時でも平然としているなんて、本当に変わり者だ。

 こんなに元気そうなのに、あと3か月で、この人はこの世界から消えてしまうのか。

「馬鹿なんですか?! 笑い話じゃないでしょう。そんな与太話するために呼んだんですか? こういう時くらい真面目にやって下さいよ」

 何言ってるんですか。何笑ってるんですか。何他人事みたいな言い方してるんですか。……貴方のことでしょう? 貴方、3か月後に死ぬんですよ?

 ……死ぬ、んですよ、岩田さん。

「手厳しいなぁ。確かにそうなんだけどね。いや、ここから真面目な話するから許してくれって、サク」

「本当に貴方は……馬鹿、ですね。全く、呆れてしまいますよ。……では真面目な話をしてください。というよりもこれ以上の不真面目は許しません。速攻で帰らせていただきます」

 いつも以上の早口で捲し立てた。この場から離れたくなる衝動を必死に抑える。

「あははは、本当容赦ないな……。でも、ガンで余命3か月っていうのは本当だ。俺のガンは胆管っていう……肝臓の下の辺りの管の所に出来るガンで、病巣を切除しても、生存率は30から50パーセントほどとも言われている難病でな……この前病巣を切除したんだけど、どうも転移が多いみたいで。……この前お医者さんからそう言われたんだ」

 切除した? なら彼は手術を受けたということなのか。そうか、あの時の妙な休養は――――。

「2年ほど前に見つかったんだけど、どうも、その時から雲行きは怪しかったみたいだ」

 あの時から、私たちの誰にも告げず、ずっと病と戦っていたのか。

 ……治る見込みのない病と、たった1人で。

 何も言えず、下唇を強く噛んだ。

「でさ、俺がこうなったってことは、俺がいなくなった後の会社をどうにかしないといけないんだよな」

 ずっと隠していたんですか。辛いのを押し殺して、痛いのを我慢して、メガホンを取り続けたんですか。どうしてそんなに淡々としているんですか。どうせ裏では、一端に泣いたりしたんでしょう? でも表に出る時はいつも、悲しい顔とか怒った顔とか一切しませんでしたね。ええ、貴方はそういう人ですものね。「お客さんを喜ばすためには、まず作っている人が楽しまないとダメなんだよ。だから、俺は悲しい顔とか辛い顔を、お客さんに見せたくないんだ」って、言ってましたものね。……だから、私の前でもそんな風にしていられるんですか。身内の人間にすら、貴方は不満や苦労を見せなかった。そういう人だから、ですか?

 ――――貴方は、どんなに苦しくても辛くても、皆のことを優先して。いつも自分のことは後回しで。


 ――――いつもそんな調子だから、そうなるんですよ。


「サク。――――――俺の後を継いでくれないか?」

「はい?」

「次の社長になって欲しいんだ」

「私が、ですか……?!」

 三度驚く私に、彼が「動揺しまくるサク、本当珍しいな。いいもの見れたよ」と、また楽しげに笑った。

「いや、あの……正直、次期社長は貴方の幼馴染の方々の誰か、というより、沼宮さんだと」

 岩田社長がいなくなった今の社内の指揮を取っているのは彼であるし、実際それでこの状況でも何とかなっているのを考えると、正しく適任だと思ったのだが。一方私は彼らの後から会社に入り、一応彼の部下ではあるものの、まだ年も若いし、経験も浅い。会社の設立に関わり、キャリアを積み上げた彼の方が、社長になるべき人であろう。

 それに……思いの詰まった貴方たちの会社を、後から入ってきた人間にポン、と譲っていいんでしょうか。

「確かに、普通ならそう考えるよな。俺だって、ぬーさんが社長になるのもありだと思う」

「なら、なぜ私に?」

 その言葉を受けて、彼はじっと私を見つめた。

「……こうなって、社長を誰にするかって、この数か月色々考えたんだ。その上で、俺はやっぱりサクがいいって思ったんだよ」

 真剣な眼差しが、私を捉える。

「なぁ、サク。……嘘っていうのは、それが閉じたものだから嘘って分かるんだ。……終わりがあるから、嘘だって分かる」

 その瞳の中が、優しく煌めく。

「お話も、漫画も、夢も……映画も。同じさ。終わりがあるから、それが嘘の話だって分かる。楽しい夢だったんだって分かるんだ。そして、俺たちの――このずっと続いた物語も、あの子どもだった時から続いた夢も、ここで一旦、終わるんだ。神様はどうやら、俺にネガを切る役目を任せたいらしいから。皆、あの教室から、この会社から、巣立って――――飛んでいくために」

 寂しそうに笑って、窓の外に視線を移した。

「――――変化をおそれちゃいけない。同じ場所にずっと留まり続けるのは、安心できるけど、何も成長できない。変わることこそが、成長することなんだ。今が悪いとかそういうことじゃなくて……今が良くても変わらないといけないんだ。

だって、世界はずっと……変わり続けているんだから」

 ここに来た時はまだ青空だったけれど、今は、沈んでいく夕日が窓一面をオレンジ色に染めていた。

「……だからぬーさんにもアキにもたけぽんにも、この役目は任せられない。思い出の檻からあの3人は出て行って、もっともっと大きな世界に飛んでいって欲しいんだ。だから、この役目は、君にしか任せられないんだよ、サク」

 その空を、3羽の鳥が、思い思いの方へ飛んでいく。白い3つの線が、窓を区切って。4つの世界を作り上げていく。濃淡の違うオレンジに満たされた世界たちの中で1つだけ。1番上の世界だけは、宵闇の深い藍がそのオレンジに混ざり始めていた。

「――――俺の志を受け継ぎながら、飛んでいく3人を見送れるのは、俺たちの仲間の中で君だけなんだ」

 日が、更に傾いて。藍が深く差し込んでいく。

「頼む、サク。俺の後を継いで欲しい。――――これが俺の、最期の頼みだ」

 差し出された細く白い手。

「……なんてひどい頼み方なんですか。――――貴方は血も涙もない人ですね、岩田さん」

「あはは、でもいつも俺たちがゲーム遊ぶ時、勝ってたのはサクだろう? 俺たちをいいように口車に乗せちゃってさ。だから、最期くらい、いいじゃないか。文字通り命賭けの頼みなんだ」

 どこか困ったような、悲しそうな顔をしていた彼だが、軽く溜息をつくと、挑発的な目で私を見た。


「――――まぁ、今回は必ず勝てるって思って言っているんだけどね?」

「…………やっぱり私、貴方のこと、大嫌いです」


 彼がからからと笑った。あの、昔から、変わらない、優しげな笑みで。

「……あはは、やっぱりそうか。知ってるけどな」

「意地が悪いですよ。ああいう駆け引きはゲームだから成立するのであって……現実世界でおいそれと使うものじゃありません」

「でも、社長ってのはそういうことが必要になってくるのさ。駆け引きを上手に制して、皆を上手く口車に乗せて、ちゃんと1つの方向へ纏めていけるような力が。俺たちの中で、それを持つのは君だけなんだ、サク」

 私は歯噛みして俯いた。見据えた彼の輪郭が、更にぼやけていく。一言一言を言う度に、彼の存在が、私から遠のいていく。

「……卑怯、ですよ。私に断る権利は最初からないんでしょう? 私は貴方の弟子であることは認めますが、貴方の所有物ではありません」

「いやもちろん、俺だって強制したくはないさ。ただ、俺のいなくなった後は、やっぱり君にっていう思いが…………サク?」

「……やめてください」

「え?」

「聞こえなかったんですか? ……やめてくださいって言ってるんですよ」

 俯いたまま、顔を上げることも出来ずに、癇癪を起こした子どもみたいに首を振る。

 何も言えないまま、私は首を振った。もう聞きたくない。知りたくない。認めたくない。


 ――――――これ以上、こんな話は、したくない。

 したく、ないのに。


「どうした? さっきからずっと、いつものサクらしくないじゃないか。……サク?」

 つながれた点滴。床に落ちた大量の髪。どこか幽霊みたいに朧げになったその輪郭。水彩でぼかしたように儚げになったその存在感。

 ……一切れしか食べられていない、貴方が大好きなケーキ屋さんのチョコレートケーキ。

「私は、社長を継ぎたくありません。上に立つのは貴方であるべきです。こんな話……受けられるわけ……」

 震えた音が途切れる。

「受けられる、わけが、ないのに…………本当に、貴方という人は…………」

 痩せこけたその手を、強く握って。


「――――ひどい、人です」


 貴方の腕の中に、崩れ落ちた。

「……ごめんな。でも――――ありがとう」

 師の指先から伝わる微かな拍動だけが、時間の止まった部屋の中で、ゆっくりと刻まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い出のエンドロールのその先を 三上優記 @Canopus1776

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ