南風
青。迸る程青い、青い海が眼前に広がっていた。
海は、好きだった。だから俺は、よくこうして海に来ると時間も忘れて見入ってしまう。
だけど今日だけは、この広大な海原よりも気になることがあった。
「……何で、あんなところに居るんだ?」
消波ブロックの向こう側。俺の視線の先には、一人の少女が居た。艶のある長い黒髪に、透き通る様な白い肌。
そんな美しい容姿をしているというのに、彼女は今、まるで迷子の様に途方に暮れていた。
どうやら、まだ俺には気が付いていないらしい。
「(自殺……じゃないよな?いやでも、あの感じだと多分……)」
そう思った瞬間、何故か胸がざわついた。
理由なんて分からない。ただ、彼女のことが心配になった。
気が付いた時には、俺は防波堤を駆け降りていた。
彼女は俺に気付くと、驚いた様に目を見開いた。そして、悲しそうな表情を浮かべた後、顔を背けた。
「ナンパならお断りです。」
冷たい声音で言い放ち、彼女はその場から立ち去ろうとする。いや、正確には逃げようとしたと言うべきか。
下心が有ると思われてしまったかもしれない。全く無いと言うつもりは無いが、それよりも今は彼女が心配だった。
「ナンパじゃない。こんな所で何をしてたんだ。」
そう言って彼女を追いかけると、今度は困ったように眉を下げた。
「ナンパじゃないなら、面倒臭い絡み方をしてくる正義の教師気取りですか?生憎、私は貴方のことを存じ上げませんので。」
随分な言われ様だ。だが、不思議と腹は立たなかった。
むしろ、どこか懐かしさを感じる様な……
「俺はただアンタが心配になって声を掛けただけだ。」
「それが、正義の教師気取りだって言うんですけど……」
呆れたような溜息をつく彼女。その瞳の奥では、不安の色が見え隠れしている。
「……今日台風が来るらしいから傘無いならさっさと帰った方がいいぞ。」
俺の言葉を聞いて、彼女はハッとした顔を見せた後、俯きながら立ち去って行った。
結局、名前すら聞けなかったがどうでもいい。慣れないことはするもんじゃないなと思いつつ、俺はまた海に向き直した。
それから暫くすると、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。俺は折り畳み傘を取り出し、差す。
ふと見上げると空は既にどんよりとしていて、灰色に染まっていた。まるでさっきの彼女の心の中みたいだと思ったところで我に帰る。
「(何考えてんだよ……)」
頭に浮かんでしまった思考を振り払う様に頭を振って歩き出す。折り畳み傘は持ち運びには便利だが、この地域の強風では簡単に壊れてしまう。まあ普通の傘でも簡単に壊れるが。
「(……六千円もする傘を買った数日後に壊れた時は絶望したのはいい思い出だ。)」
あと三十分も歩けば家に着くだろうと思って歩いていると、バス停の前を通りかかった。するとそこには先程の彼女が立っていた。
「何してんの?」
思わず声を掛けてしまった。彼女は一瞬ビクッとすると、恐る恐るという様子でこちらを見た。しかし俺の顔を見ると、安堵の表情を見せる。
「待ってるとこ残念だけど、もうバス来ないよ。」
そう言うと、彼女は信じられないという表情をして時刻表を確認した。台風が近づいている為、ただでさえ本数は少ないのだが、終バスはとうに過ぎている。
「やっぱアンタこの辺の人じゃ無かったか。」
今日のバスの運行については、この街のホームページにも載っていることだ。それを知らなかったということは、やはり地元の人間ではないということだろう。一日一回ホームページを見ろと条例で定められている変わった街なのだ。ここは。
「貴方は……いえ、何でもありません。」
何かを言いかけて口を閉ざす彼女。そして再び沈黙が訪れる。
俺達の間に気まずい空気が流れる。
「行く宛てが無いなら俺ん家に泊まるか?」
そう言った瞬間、自分でも驚いた。初対面の女を自分の部屋に誘うなんてどうかしてると思う。結局ナンパじゃないかと言われても仕方がない。
彼女は少しの間悩んだ末、小さく首を縦に振った。
「アンタ名前は?」
そう聞くと彼女は、小さな声で答えた。
「黒瀬結衣……」
雨風の中に
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