第212話 図書委員と(2)

「……なんとなく、来てくれる気がしていました」


早朝。

図書室に、彼女がいた。

図書室といっても鍵は空いていなくて、だから彼女は廊下の窓から外を眺めていた。


そんな彼女が、外から見えたんだ。


「そりゃあ、だって気になるから」

「隠れたつもりだったんですけど」

「残念でした」


残念もなにも、彼女は隠れる前に私と目が合っているはずで。

それなのにどうして無視なんてできるのか。


そう思っていると、彼女は懐から鍵を取り出す。

当たり前みたいな顔で扉を開いて私を誘った。

拒む理由もない。彼女はカウンター裏の司書室に入って、そうして私が続くと鍵を閉める。


「……忘れ物をしたと、そう言ったんです」

「え?」


振り向けば彼女は鍵束をちゃらりと鳴らす。

どうやらそういう名目で鍵を借りたということらしい。

懐に鍵をしまって目前までやってくると、私の指を求めて触れる。


「本当は忘れてなんかいなくて、ずっと考えていたんですけどね」


緩やかな笑みが告げている。

彼女は今、私に応えをくれようとしているのだ。


まるで声じゃ足りないものを補うみたいに指が絡んで、強く握り締められる。

それに負けないくらいに力を持つ視線を、見つめ返すだけで身体は強ばった。


「考えて、考えて。だけどけっきょく、あなたの告白を聞いたときに思ったことに変わりはありませんでした」


彼女は言う。


「わたしはあなたと共に人生を寄り添っていたい。―――それを恋人と呼ぶのなら、だからわたしはそうでいい」


―――肯定。


そうと受け取ることさえ、上手くいかない。

言葉の意味を理解することもできないでうろたえるわたしを彼女はじっと待った。

そしてようやくなんとかその言葉を咀嚼しきった私は、溢れる困惑をそのまま彼女へと向ける。


「恋人に、なってくれるの……?」

「そうお答えしたつもりです」

「本当に?」

「こんなひどい嘘をつくわたしなら、あなたはきっと好いてくれなかったではありませんか」


からかうような笑みに、つられる。

痛いくらいに頬が上がって身体がぽかぽかしてくるのが分かった。

彼女は笑って、笑ったまま続ける。


「本当は、断ろうと思っていたんですよ」

「えっ」

「だって不公平で不平等じゃないですか。あなたは多数を、わたしはただひとりを―――それはズルいことだし、苦しいことだと思います。あなたがとても優れてもてもてなプレイガールだっていうのならそんな盲目な関係も普通なのかもしれませんけど、別にそんなこともないですし」


なるほどそれは……断わるだろう。

誰だってそうするだろうし、私も多分そうする。

私が例えば何股しても当たり前だよって顔してのうのうと生きていられるのなら、こんな大事にはそもそもなってない訳だし。


だけどそれでも彼女は、最終的にはそれを受け入れるのだと言う。


「……声がね、好きなんです、あなたの」


その告白は、いつかの鏡写しみたいだった。


「気がついているんでしょうか。わざとなんでしょうか。いいえきっと、あなたは無意識なんでしょうね」

「なんのこと……?」

「わたしと話すとき、あなたの声はとっても優しいんです。聞いているだけでむず痒くて、だけど心地よくて、それだけでうっかり惚れてしまいそうで……きっとわたしに目がなくたって、あなたを好きになっていましたよ」


ゆるりと閉じるまぶた。

私は恐る恐るその耳元に口を近づけて。


「あなたともっと言葉を交わしたい」


なにを言うべきかと僅かにためらう耳元・・に、彼女の囁きが触れる。

私が耳打ちできるということは、つまり彼女もまた同じことができるということだった。


「私も、うん。もっと、いっぱい声が聴きたいよ」

「だったらちゃんと、わたしとの時間もいっぱい作ってください。電話でも、なんでもいいです」

「約束する」

「恋人になっても完全に受け入れられる訳じゃありませんから、嫉妬したり、鬱陶しいことを言っても呆れないでください」

「どうして。そんなの当たり前だよ。鬱陶しいだなんて思わない」

「いつかわたしが恋人を続けるのが辛いと打ち明けたのなら、どんな理由でもちゃんと引き止めてください。その方がいいだなんて身を引かれたら、きっとあなたを二度と信じない」

「大丈夫だと思う。……うん。大丈夫。もう離さない。絶対に、泣き喚いたって逃がさない」

「……そういう物騒なことはあんまり言わないようにしてください」

「あうん。ごめん」

「でも、だったら信じます。……失望、させないでください」

「そんな暇ないくらいに愛してる」

「はい。……あと、とりあえず最後なんですけど」


きゅ、と肩にもたれかかってくる。

もごもごと布地を透ける吐息が、やがて肩甲骨を伝って心臓に声を届けた。


「『恋人らしいこと』のときは、その、……あんまり声を聞かないようにしてください」


―――


……


……、


………………


…………?


……、…………


…………………………ぅ


「ぜ、んしょしま、す……?」


……えっと。

…………え。

あ。

うん。

そう、そうか。

あの。

恋人って、そういうことも……

それは……だけど……

……想定はしてくれてるんだ……?

いや。

あえあ。

き、気がはやくない……?

そうでもないのかな……


「……ごめんなさい。もうひとつ追加で」

「あはいっ、なんでしょうか」

「……出てってください……お願いします……」

「あうん。えと……うん。あの、ま、また今夜連絡する、ね?」

「はい。……あ、電話の前にメッセージください」

「それはもちろん。……じゃああの、ばいばい?」

「はい、はい。……こ、こっち向かないでくださいっ」

「ご、ごめんっ。じゃあね!」

「はいもうすみませんほんとすみませんごめんなさいぃ……」

「だいじょぶだからっ! あの、ほんとゆっくり落ち着いて、ね? またなんかあったら全然呼んでくれていいし。うん。じゃあまた」

「はい……」


……えっと。

しまったな、喜ぶタイミング逃したぞ……?

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