第82話 幸福な姉と(4)

たぷたぷとスマホをいじっていると、からんころんとベルの音。

顔を上げると、さわやかなブラウスを着た御剣さんと目が合った。

彼女は真剣な面持ちでやってくると、体面に座って私と向き合う。

すかさずやってくるカフェのキャストさんには笑顔で注文を告げるという、そんなささやかな当たり前さえもが御剣さんらしい。


注文が届くのを待たず、私は彼女に告げた。


「姉さんと別れてください」

「……話を聞こう」


こんな突然の言葉にも、彼女はあくまでも会話を尊重してくれる。

あまりにも動揺がないところを見ると、うっすらとでも予想していたのかもしれない。

だけどあいにくと、私にその意思はなかった。


「話をするつもりはありません。別れてください」

「だとしたら答えはいいえ、だ。それ以外はない」


あくまでも淡々と告げる彼女は、なるほどとても優しく理性的で、いい意味で子供らしい、そんな大人だ。姉さんの恋人というだけのことはあって、そして同時に、失望のようなものもあった。


こんなのが、私から姉さんを取ろうとしているのか。


「納得したくらいで頷けるヤツが姉さんの恋人になんか居座らないでと言ってるんです」

「っ、キミは、」


瞳を揺らした彼女はなにかを言おうとして、だけど立ち上る湯気がそれを遮る。

わずかに動揺しながらも大人の対応を見せる彼女を置いて私は席を立つ。

すれ違いざまに手を取って引き留めてくる彼女に振り向いて、強引に唇を奪ってやった。


かしゃ、と。


どうやら誤タップでオンになっていたらしい、瞬くフラッシュが横目にまぶしかった。

唖然とする御剣さんに見せつけるように姉さんへと写真を送り付け、その瞬間にはもう、既読がついている。

それを確認してから、電源スイッチを強く押し込んだ。


「さようなら」


腕を振り払って外に出る。

すぐコンビニに駆け寄って、お手洗いで口をゆすいだ。

あまり強くしすぎたせいで洗面台が赤く渦を巻いていく。

口の中に広がるしょっぱい味に、意味も分からず口角が上がった。


ハンカチを当てて、傷を押しつぶすように指で挟む。

強引な止血の後に傷跡を見てみると、まだ少し血がにじんでいるようだ。


唇をむき出す自分とふと目が合って、バカみたいだと笑った。


トイレを出ようとしたら、とつぜん飛び込んできた誰かに押し戻される。

なだれ込むように便座に押さえつけられて、キスにかみ砕かれた唇から鮮血が流れるのが分かった。


姉さんが、いる。


なぜとか、いつとか、そんなささやかなことはどうでもよかった。

姉さんが、あはは、外行きに着替える手間さえ惜しんで、私のもとに来てくれたんだ。


だったらもう、それで世界はおしまいだ。


頬に落ちてくる暖かな雫を、感涙なのだと思い込んで。

私はただ、ひたすらに姉さんを愛した。

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