第7話 頼れる先輩と
バイト先の女子中学生にイタズラしてお給料をもらったから、懐もずいぶんと潤った。
そのほとんどをリルカにつぎ込もうというんだから私はこれから先もう破滅一直線なのかもしれないけど、それはそれでもう仕方ないかな。
なんて思いつつ、きたる月曜。
さて今度はだれを買おうかなと、何人かいる候補を脳内で比べていたら。
登校して早々、私は人気のない職員トイレの個室に連れ込まれていた。
下手人である先輩は、開いているのか閉じているのか分からない目で便座に座る私をじっとりと見下ろしている。
どうしてとか、なにごととか、あらゆる疑問を許さない威圧感がぐぐぐと両肩にのしかかっていた。
めちゃくちゃ怖い。
正直目を合わせていたくないけど、先輩は私が目を逸らすとダンッ!と足を鳴らして脅してくるからうかつに逸らすこともできない。
先輩がなにも言わないから当然私もなにも言えないで、刻々とホームルーム開始の時間が迫る中こんな校舎の片隅で沈黙に苛まれ続ける。
そろそろ冷や汗で溺れるかもしれないと思い始めるころ、先輩はようやく口を開いた。
「なぜだい?」
「え、、、、っと、……なにがでしょうか」
「なにがじゃないよね」
「はぃ……」
有無を言わさない先輩の口調に頷くしかない。
先輩はいったいなにを怒っているのかとぐるぐる考えるけど、思い当たることなんてなにも……いや、最近の出来事でいえばリルカのことがあるけど、『なんで』なんて問いかけは意味が分からないし。
けっきょくうだうだ答えられないでいると、先輩はずいっと顔を寄せてきた。
うっすらと開いていたまぶたの向こうから、漆黒の眼差しが私を捕らえている。
ホラーかな……?
「ユミカ後輩」
「はへぇ」
「なぜ、キミはボクを買わないのかな?」
「えっ」
「ボクにはね、それがまったく理解できないんだよ」
ぎぎぎぎ、と、先輩の首が傾ぐ。
まるで念力で外側から動かされているみたいな不自然な曲がり方。
「なぜなのかな。ねえ」
ホラーだ(確信)。
悲鳴を上げたらとり殺されそうで必死に歯を食いしばった。
そしてなんとか先輩の言葉を解釈しようとする。
なぜ買わないのか。
連想するのはリルカだ。
先輩は、私がリルカを先輩に使っていないことを疑問視している……?
そんなの、まるで先輩がリルカを使ってほしいみたいだ。
いやでも、うぅん……。
「え、っと、」
恐る恐る、リルカを懐から差し出してみた瞬間に先輩はスマホをかざしていた。
ぴぴ、と決済されるのが早いか、さらに顔を寄せてくる。
唇を強奪されると確信してぎゅっと目を閉じるけど、熱は頬をかすめて耳に触れた。
熱く濡れた吐息が鼓膜を湿らせて震えをなくした。
けれど先輩のささやきは、骨を伝導して直接伝わってくる。
「いっぱい待たせてくれたね、ユミ後輩」
「えと、先輩、あの、私、」
「ふふふ。いいよ。ユミ後輩の好きにしてくれ」
先輩の誘いはどこまでも甘い。
ちょっっっっっっと怖いところがあるとはいえ、普段からお世話になっている憧れといってもいい先輩だ。スタイルもいいし、結構人気のある人だし。
それがこんなことを耳元で囁いて、しかも、もしかしたら
もしかして先輩って私のこと好きなんじゃね?とか、妄想するのもいたしかたなしというものだと思う。
悶々と悩んだ末に、私は先輩を引き剥がした。
先輩の顔が見られなくてつい俯いてしまいながら、舌がもつれないようにと気をつけながらおねだりしてしまう。
「あの、頭を……なでてもらえませんか」
言ってしまった。
先輩は呆れていないだろうか。
もし期待してくれていたのなら失望させてしまったのかもしれない。
でも、なんというか、お金でそういうことするのって間違ってない……?
赤の他人ならいざ知らず、だって、先輩だし。
不安とか、後悔とか、そんなものにぐるぐると目を回していると。
ぽふ、と、頭に手が乗せられる。
恐る恐る見上げれば、さっきまでの恐ろしい雰囲気はどこへやら、いつもの優し気な笑みを浮かべた先輩がいた。
なでなでと、先輩はゆるやかに頭をなでてくれる。
「少し、脅かせすぎてしまったね」
「先輩……」
「キミがなにかおかしなことをしているかもしれないと思って、動揺していたんだよ」
「ごめんなさい……」
「いいのさ。キミがボクのよく知るユミカ後輩のままだと分かったからね。安心したよ」
まなじりをそっと落とす先輩の安堵に胸が締め付けられる。
私はとてもひどい勘違いをしていたみたいだ。
先輩はきっと、その身を挺して私のことを試していたんだ。
前半のホラーパートも……まあ、たぶんその一環だと思う。たぶん。きっと。動揺してたみたいだしそのせいだ。うん。
それに先輩に優しくなでられていると、そんなささいなことも気にならなくなる。
先輩が私のことを想ってくれて、大事にしてくれてるんだっていうことだけが心に残る。
そのせいで、つい、私はもっと先輩に甘えたくなってしまった。
「先輩。あの、抱きしめてもらっても、いいですか?」
「ふふ。キミは存外甘えたさんなんだね。もちろんいいとも。この30分間、ボクはキミのためにある」
そう言ってぎゅうと抱きしめてくれる先輩に、胸がいっぱいになる。
心臓のとなりにジワリと感じるこの甘い疼きの正体を知るのは、まだ少し怖い。
だから私は、この胸を満たすぬくもりを先輩に伝えることにした。
「先輩にこうしてもらうと、姉さんにしてもらってるみたいに、ほっとするんです。ちょっと、恥ずかしいですけど」
「ふふふ。それは光栄だね」
楽し気な笑い声を上げる先輩はもっと強くぎゅっとしてくれる。
ああ、伝えてよかったなって、そう思った。
この30分間だけでも、たくさん伝えたいって、そう思った。
―――そのときの先輩の無表情に気がつかなかったのは、果たして幸運だったのだろうか。
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