第十一話 これは事故じゃないっ、事件だ!

~ 2011年8月27日、土曜日 ~


「皇女お義母様、教えてください。プロジェクト・アダムとは本当にいったいどの様な計画なのですか。どれくらいの規模で、どれだけの人員で、どの場所で、いつから始まり、現在はどうなっているのか、すべて隠さずに教えていただきたい」

 先生も言うことになれたのかうちの母さんをちゃんと、そう呼ぶようになっているな。

 皇女母さんは今も表情が穏やかな笑みを浮かべているから、愁先生からそう呼ばれていることに嬉しいと思っているのか、そうでないのか見分けが付け辛いな・・・。

 どうでもいいんだけど、そんなことは。

「しゅぅ~くん、そのような事を知って、なんになるというのです?余計なことを知らない方が貴方のためなのよ」

「そういって、論点をはずそうだなんて、ずるいとお思いになられないのですか?貴方は。理由はあの時にも述べたでしょう?そのアダム計画が、皇女お義母様達に、大きな災いを齎しているのではと」

「おかしいでしょう?貴方も、佐京も、右京君も、慎治君も、あれだけ多くの人的被害を被っているというのに、ただ、それらの事故を偶然と本当に片付けてよいのでしょうか?私にはとてもそうは思えません。思いたくありませんよ。それでも、皇女お義母様はすべて、偶々、その様な目に遭ってしまったと済ませてお仕舞いなのですか」

「ええ、そうですとも。アダムと皇女、私の子等はまったく関係ありませんわ。さっ、明日のお仕事に支障が出てはまずいでしょう、お医者様は。お医者様は患者さん達への模範を示しませんとね。医者の不養生は以ての外、貴方も、今日はここへ泊まっていきなさい、佐京の部屋で、クス」

 態とらしく眠そうな顔を見せ、母さんはそんな風に言うと逃げるように客間から出て行ってしまった。

 愁先生は片手で頭を抱え、大きなため息をつき、そんな姿を見たうちの姉貴は、先生の肩にそっと手を乗せていた。

 翌日、妹の右京に起こされてしまった。

 男の朝を妹に見せたくなかったから、『寝ている最中の俺の部屋に入ってくるな』と注意したら、

『朝は起きて当然です。目を覚ましていなかった、シンおにいちゃんがいけないんですよぉ。お部屋へ右京を入れたくなかったら、右京より早く起きて、降りてこればいいんです』とほざき、俺に背中を向けてその裏に手を組んだ状態で何が嬉しいんだか、笑顔を向けてスリッパの音を立てながら出て行った。

 しゃぁねぇなぁ、俺も起きるとしますかね。

 愁先生を母さんたちの中にぽつんと男一人だけにするのは可愛そうだからな。

 俺がベッドから身を出し、立ち上がろうとしたときに階段を勢いよく、駆け上ってくる音が聞こえた。

 その音と同じくらい豪勢にまた、俺の部屋扉が開く。

「しんおにいちゃんのばかぁ~~~、さっき右京ここに何しに来たのか、意味なくなっちゃたよぉ。せっかく、お兄ちゃんの足に怪我を心配して来たのに」

「ばぁ~~~か。右京みたいなちびっ子に何が出来るって?俺を担ごうとでも?」

 俺の言いに〝うん、うん〟と頷き、胸の辺りに持ち上げた両拳に力をこめた姿を見せる妹。

 俺はベッドの直ぐそばに置いていた片手用の松葉杖を握りそれで立ち上がると、右京の所まで近づき、妹にでこピンをしてやった。

「何するんですかぁ、痛いですよぉ~、シンお兄ちゃぁん」

「はははっ、俺なりの有り難うの挨拶だ、右京」

 目一杯力をこめて小突いた額を両手で隠し痛そうな顔で俺を見る右京を笑いながら、今度は頭を撫でやりながら、通り過ぎて部屋を出た。

 階段を下っていく、邪魔をする、右京を上手く躱しながら、本人は手を貸したくてやっているんだろうけどな。そんな妹から逃れるように一階へと降り立った。

 台所に行くと、母さんと姉貴が朝食を作っている最中だった。

 愁先生はというと、中途半端に着ているホワイト・シャツ姿で、新聞を大々的に広げて読んでいた。

 その姿はこの家の客人風ではなくて、その雰囲気は既に家族のような感じに落ち着いていた。

「お早うございます、愁先生」

「慎治君、お早うございます。ふぅ、私も皇女大先輩のことをお義母様とお呼びするようになったのですから、君も、私のことを先生と呼ぶのはうれしくありませんね」

「そのうち、なんとかなるよ、うん、うん」

 お気楽に答えると、愁先生は鼻で笑うように溜息をつき、また視線を新聞の方へ戻していた。

 俺は先生の正面に座り、先生と話そうとした時に台所へ向かおうとする妹とすれ違い、右京は小さく怒っている風な表情を俺に見せてから、奥へといってしまった。

 苦笑しながら、俺は愁先生の方へ向きなおし、小さな声で言う。

「愁先生、昨日はなしていたことなんだけどさ」

「・・・・・・、さて、何のことでしょうか?」

 俺が先生と呼んだことが不満だったのか、それとも他意あってのことなのか、素っ気に返されてしまった。しつこく食い下がろうと思って言葉を出しかけたけど、中断するしかなかった。

 母さん達が、お盆に朝食を持って此方へ来ちまったからな。

 朝食がすべて整うと、母さんの号令の後、食べ始め、朝の報道番組を掛けながら間、小さな会話を交え、大体、三十分くらいで食べ終えていた。

 片づけをしたかったんだけど、親と姉妹、更に愁先生までもが大人しく座っていろと強く命令してくるので、仕方がなくそれを受け入れるしかないな。

 後片付けの方は愁先生と右京に任せちまうことになってしまったな。

 母さんたちは身嗜みに時間が掛ることを理解していたがゆえに愁先生が洗い物を引き受ける事になった。

 先生って本当に気が利く人だと痛感した。

 これから家の姉貴や母さんにいいように扱われない様に、助けてやんなくちゃな、と先生の食器を洗っている後姿を眺めながら、そんなことを思っていた。

 俺と右京以外は仕事に出かけ、兄妹二人きりになってしまう。

 俺は自室には戻らず、リヴィングのソファーに寝転がると、溜め込んでいた雑誌をあさり、それを読み始める。

 暫くすると、妙な視線を少しばかり開いている扉向こうから感じていた。

 気が付かない振りをして、雑誌読みに夢中になっていると、

「うぅ~~~、シンおにいちゃん、わかっていたくせに無視するなんて酷いですよぉ」

「なんだよ、言いたい事があったんならさっさといえばいいだろうに」

 雑誌に目を向けたまま、頭向こうにいる右京に声を返していた。

「あっ、あのぉ~~~、シンおにいちゃん?べっ、勉強を教えて欲しいの」

 頭だけを裏返し妹の方を見ると何冊も教科書と学習帳を抱えた右京の姿が目に映った。

「お前、宿題溜め込んでいたな?」

 右京は照れを隠す様に笑っていた。

 俺の事を気に掛けすぎて、宿題がまったく手についてなかったというのなら、俺にも責任が少しくらいはあるような気がした。

「しょうがねぇなぁ、暇だし、教えてやるか、たまには・・・」

 そういってやると、妹は嬉しそうに俺の方へ駆け寄ってきた。

 どの教科から始めるのかを右京に選ばせると妹のもっとも不得意とする理科だった。

 褒められた事に俺も得意じゃないが、流石に小学生の問題だ。解けないはずがないよな・・・、多分。

 ざっと内容を見てから、一緒に右京と回答を出してゆく。

 薄い内容だから、一時間かそこらで、完了して、今度はその理科関連のまったく手をつけていない観察日記をどう捌いてやるか算段。

 直ぐには良い案が浮かばなかったので、後まあしにして、今度は算数を始めた。

 始める前にまた内容をざっと眺めると、あまりにも簡単すぎた。

 しかしながら、今はまだ習いたてで数式とは何なのかの根本の意味を理解していない右京には難しいだろう。だが、いずれ、姉貴や母さんの血、父さんの血を受け継いでいるんだから、まったく駄目って方向にはならないだろう。

「シンおにいちゃん、何を考えているのですかぁ?」

「え?どうやったら、上手にこれをお前に教えてやれるかを考えていたんだ」

 そういう意味ではヤツ貴斗だったら相手が小学生でも上手く教えられたんだろうよ。

 それに、宏之なんかは物覚えが良いから、教えるほうも楽だろうなとか・・・。

 今出来ることは、右京自身でやらせて、判らない所がでたら、教えてやる程度にしか進められなかった。

 算数の問題が残り三分の一になりかけたころ、十二時を周った。

 時計を眺めている右京。

「もうお昼だね。さっちゃんおねえちゃんや、皇女お母様のように上手には出来ないけど、右京がお昼ご飯作ってあげるね」

 妹は握っていた鉛筆をTableの上に置くと、笑顔のまま、台所に行ってしまった。

 さて、さて、どんな昼食が出来上がるのか一抹の不安を抱きながら、ソファーの上に寝転がった。

 右京が台所に行っている間、今日の朝、愁先生に尋ねようと思っていた事を、整理しようと思い瞳を閉じた。

 先生は言っていたな、俺の記憶喪失になるまでの過程や、佐京姉貴襲撃事件や妹、右京誘拐未遂事件、それらすべてが偶然だけではなくて、必然、誰かの故意。

 更に、一昨日、病院玄関前で母さんと先生は貴斗と、涼崎姉がどうとか言っていた。

 深夜、母さんが語った、家と藤宮家の深い関係。

 残念ながら、思い返すことが出来ない実は俺もとある研究施設で起きた事故の現場に居合わせていた事。

 付け加えて藤宮彩織という、詩織の双子の姉が存在していたという事実。

 母さんは言う、貴斗から聞いたし、写真で見せてもらった藤宮詩織に瓜二つのシフォニー・レオパルディーは彩織とは別人だってこと。

 それと俺には今一理解できない医療に係わるアダム計画。

 それらを関連付けて、深く考察する。

 今が2011年、あれからもう七年か。

 まさかそうじゃないとは思うけど、貴斗が交通事故にあってから始まった涼崎春香の心不全停止、

 宏之の薬中死、

 藤宮詩織の精神迷走、

 彼女と貴斗の転落死、

 隼瀬香澄の・・・、入水自殺。

 それと、涼崎翠ちゃんと結城弥生ちゃんの交通事故と昏睡。更に俺の出来事。

 原因の始まりはいつだ?涼崎春香が交通事故にあってからか?それよりもずっと前?

 貴斗が記憶を失ってから・・・、それとも近い空間に居ても、まだ、お互いに顔を合わせていなかった惨事の起こった研究所の時か・・・。

 だが、何にしろ、それらすべてが作為的に起こったとし、何の痕跡も、事件じゃなくて、事故で片付けられてしまう様に仕向けられるなら、相手は用意周到なんて言葉で収まらないくらい途方もなく、頭の切れる存在に違いない。

 でも、やっぱり、どんな風にしても、人手の介入出来る様な事とは思えなかった。

 愁先生は何かを知っている風な言い振りだった。

 この不幸の始まりの根源はProject ADAMにこそ有り、その様に感じる雰囲気だった。

 ソモソモ、本当にProject ADAMってなんなんだ?

 皇女母さんのあの様子だと、俺がどんなにごねても、それの真実について語ってくれそうもないし、愁先生もあんな聞き方を母さんにするくらいだから、その計画の概要までは知らないんだろうよ。

 ある程度、頭の中で考えが落ち着いてきた所、結構美味そうな物が出来そうな、そんな良い匂いがリヴィングまで、俺の鼻まで届いていた。

 妹の将来が楽しみだ・・・。でも、愁先生が危惧している通り、うちの家族が誰かに狙われているというなら、俺が右京を守ってやらないと。

 俺に、妹の右京、右京だけじゃない、姉貴・・・、姉貴は強いからいいか。

 母さんも標的の対象になっているなら、泰聖父さんが居ない今は俺が頑張るしかない。しかし、俺に出来るだろうか?いつ、沸いて出てくるか予見できない災いに。

 それとも、何か別な方法が・・・。オーブン用の手袋をして、出来たものを持ってきた右京。妹はそれを食卓に置く。

「シンおにいちゃん、出来たよ」

 右京の持ってきたものに、内心、かなり驚いていたけど、表面上では普通に対応。

「ふぅ~~~ん、まあまあかな。んじゃ、早速、食べさせてもらおうかな」

 ソファーから立ち上がり、片足で跳ねながら、椅子の所まで移動して、座る前に扇状に切られている湯気が立ち熱そうな一つをつまみ上げ、立ったまま口に入れる。そして、息を呑む。

「おっ、おにいちゃん?おいしくない、やっぱり」

 不安を通り越して、謝りたげな表情に変わってゆく、妹の顔。

 俺は直ぐに答えられなかった。熱くて口の中を火傷したとかじゃない。

「おいしくないんだね。シンおにいちゃん。ごめんね、ごめんね。無理して食べなくていいあら」

 右京はちっぴり涙を流しながら、注いでくれた冷えた烏龍茶を俺の前に持ってくる。

 妹のその動作の間に口の中に入れた物を味わうためにかみ締める。そして、呑み込みこんだ。

「右京、おまえ、これ、ほんとぉ~~~に自分で作ったのか?注文してから、オーブンとかにもう一度入れたとかじゃないよな?そんな顔するなって、まじで、美味いよ。自分でも味見してみろよ」

 俺の言った言葉で右京は表情を戻し、俺が口に入れたものよりも更に半分にしたものを口に入れていた。

「うん、おいしぃ~~~い」

「って、おまえなぁ、自分で作っておいて味見とかをしなかったのか?」

 右京は俺の言いに照れを隠すように顔を背けていた。

「よくつくったな。母さんや姉貴でもピッツァなんか作ったことねぇのによ」

「えへへ、すごいでしょう」とさっきの泣き顔とは変わりほめられたことが嬉しかったらしく上機嫌に顔を綻ばせた。

「いったい、これの作り方。どっから、覚えてきたんだよ」

「お友達にピザ屋さんがいてね、一度、クラスのお友達と見学させてもらったことがあるの。その時、全部は覚えられなかったんだけどね、ネットで調べたらあったから、機会があったら作ってみようってずっとおもっていたんだぁ」

「で、兄である、おれを実験台に使ったってわけだな。まあ、美味かったからいいけどな。右京ネットを使うのはいいけど、怪しいサイトとかクリックするなよ」

「シンおにいちゃんと違いまして、エッチなサイトなんてみないもん」

「いったなぁ、うきょぉ~~~」

 そんな風に言葉を妹へ投げながら、口元を汚している右京のそこをウェット・ティッシュで拭ってやると、恥ずかしがりもしないで妹は喜んでくれた。

 昼食を食べた後、片付けは妹がすべて遣ってくれた。それからまた十五分くらい休憩を入れて、右京の宿題を再開さ、皇女母さんたちが帰ってくるまで、それを続けていた。

 今日もまた、愁先生が家によってくれていた。

 理由は治療中の俺の足の宅診。

 先生が来てくれたことは好都合。

 今日こそ、昨日の続きを聞かないと。

 如何しても、家族には聞かせたくないと思ってしまった。だから、どうにか、俺と愁先生だけになれる状況を自然に作り出さないと駄目だな。


 家族に判るように二人だけになろうとすれば、察しの鋭い、皇女母さんや佐京姉貴が介入してくるだろうし、俺達がどんな話しをするか内容は分からないだろうが、近親兄愛(Brother complex)の強い右京には邪魔されるだろし。だから、愁先生と二人だけになれる機会を自分から生み出さないといけない。

 そう思いながら、作戦を練っている。

「おにいちゃんっ、シンお兄ちゃんてばぁ~」

「騒ぐな、聞こえてるってぇの。なんだよ、人が考え事していると言うのに邪魔をしやがる、悪い妹だな、まったく」

「ごっ、ごめんなさいです・・・。えっと、その夕食の準備が出来ましたので、シンお兄ちゃんの事を」

「へい、へい、丁寧にありがとうございますよ。右京妹殿、ではいっしょにダイニングへ参るとしましょうか」

 俺が立ち上がり、松葉杖を使って移動しようとすると、俺の傍まで妹は近寄り、肩を貸してくれるような動作をするが、身長の高さが歴然としていた。

『無駄なことをするなつぅ~の』と口に出して言ってしまうと泣き虫右京はかなりの確率で涙ほろほろ顔を作ってしまいそうだから、今回ばかりはその行動を受け入れることにした。しかし、次回からはこんな状況にならないように注意しないと駄目だと思わせてくれたことも事実。

 飯を食っている最中も姉貴等の話しかけなど上の空で頭の中でずっと妙案を練っていた。

 本当は一つだけ、方法があるんだが、それは一般家庭には通じよう。

 しかしなぁ~、家の佐京姉貴様と右京妹殿はどうも、俺に対する羞恥心に欠けているお方達だ。

 先生と一緒に風呂に入ろうとしたら・・・。

 多分、最悪な確率で、姉貴の方が、若しかするとの確率で両方。

 そんなに家の風呂はでかくねぇ~~~つぅの。でも、それでも来るだろうな。

 風呂、フロ・・・、呂布、いみわかねぇ・・・

「よしっ、それだっ!」

 俺が突然、そんな言葉をだすもんだから、皆様、動かしている箸の動きを止めて、俺の方を注目してしまった。

「シンちゃん、どうかなさいました?今日のお料理に茸類を使っていますが、幻覚作用の出るような怪しいものは入れておりませんよ」

「シン、お前、いままで、何かを考えていたな?白状しろ」

 やばい、姉貴の鋭い突っ込みが始まった。無理に拒否を示せば、後が持たないぞ。さあ、どうする俺?

「あぁ、ああ、うん。今日さぁ、右京のやつが夏休みの宿題をためっぱなしで、兄としてみて遣ったんだけど、一つだけ解決できないものがあってさ。それをどうしてやろうかとずっと考えていたのさ。それでいい案が見えたからつい」

 妹の右京が自分の事を考えてくれていたんだと、俺の嘘を勘違いし、満面の笑みを零していた。

 そのかわいらしい、右京の顔を見てしまうと嘘を口にしている事に気が引けちまうが、仕方がない。

 まあ、妹の観察日記に関しては既に解決法を見つけているので、辻褄合わせは問題ないがな。

 夕食を摂り終わり、愁先生と姉貴が台所に行って洗い物をし始めたころ、まだ、ダイニングにいる母さんと右京へお手洗いに行くと告げ、そこを出ていた。

 妹がその場所まで肩を貸そうかなんて言い出すが、言葉巧みに右京の助力を躱して独りになった。で、本当に手洗いに行くのかというのは嘘だった。

 台所前の通路奥へ姉貴や愁先生に気が付かれない様に気配を殺してそろり、そろりと移動し、勝手口から表へ出ていた。

 それから、台所の窓が見える場所とは反対側へ歩き出して、家宅の給湯制御をしている装置がある場所まで足を運んでいた。

 家の母さんや、姉貴がどんなに優秀な人でも欠点はある。

 例えば車の運転が下手糞とか、機械類の操作が駄目だとか。

 風呂場に繋がっている方だけ、設定温度をきって、水しか出ないようにしてやった。で、そんなことをして何になるかって?

 近所に銭湯があるんだよ。

 家の女性等は毎日風呂に入らないと気がすまない連中。

 故に家で入れないとなれば、必ずそこへ出掛けるだろう事は手に取るように分かる。

 えっ、風呂に今は入れない俺はどうするのか?

 そこが重要なのさ。

 姉貴が俺を一人にしておくことはないから、愁先生を残してくれるだろう。

 これで、愁先生と二人きりで俺の聞きたい事を聞きだせるって寸法さ。

 自分で立てた計画の素晴らしさに親指を立てて、ナイス・アイディ~アッ、なんて事を、小さく言っちまったよ。

 再び、裏口から、家の中に戻る。

 台所を通り過ぎようとすると、廊下と台所を仕切る曇りガラスがはめ込まれた扉の向こうから、こっちに寄って来る影が見えた。

 手洗いは逆の方向だ。

 この場所にいることは不自然だ。

 そう思った瞬間、俺のほうから、その扉を開ける。

「姉きっ、俺に何か手伝えることはないっすか?」

 突然、扉が開いて、そんな声を出すもんだから、こっちへ向かってこようとする人物は一瞬きょとんとした表情を作る。

「シン、大人しくしていろと言った私の言葉を聴いてはくれぬのだな、貴様は」

「あれぇ、どうして、シンおにいちゃんがそっち側にいるのですの」

 台所と仕切りなしに繋がっている食堂のほうから、そんな妹の声が届いてきた。

「考え事しながら、歩いていたら、台所の方を通り過ぎちまってな、あはははは」と思い切り嘘を吐いていた。

 それから暫くして、母さんが風呂の準備を始めていた。

「どうしましょう、お風呂のお湯がでないの。こまったわ」

 本当に困っているのか、と思うような普通の顔で母さんは姉貴たちに言っていた。

「おかしいな、先ほど、愁と洗い物をしていた時、台所のお湯は出ていたのだがな。愁、見てもらえないか」

「見るのはかまいませんが、皇女お義母様が触れても温かさを感じないなら、私が障っても同じでしょう」

 そういい残し、先生は風呂場へといって数分で戻ってきた。

「駄目ですね、脱衣場にある温度制御をそうさしても、まったく温度が上がりません」

 よし、よし、裏の方が操作されているなんて誰も気が付きやしないよ。

「風呂に浸かりたいなら、近所のええっと、何て名前の銭湯だった。あ、そうそう浜・・・、播磨の湯にでも言ってくればいいじゃないか。歩いて十分だろう?車出さなくとも行けるじゃないか」

「そうだな、シンの言うとおり、播磨の湯へ参りましょう、母様・・・。しかし、シンを一人残してゆくわけにもいくまいか。愁、済まぬが」

 佐京姉貴が次の言葉を出す前に俺は心中で勝ち鬨を上げた。

 単純な策だが弄した甲斐があったってものだな。

 嬉しさで心の中で小躍りしている俺。

「私が残るから、母様と右京を連れていってくれまいか。私はお前らが戻ってきてから一人で行くとしよう」

???えぇぇぇえええっ!言っている意味が分かりませんがぁ~~~~。

「ちがう、ちがうぞぉ。それは可笑しい。アネキサァ、せっかく家族で銭湯に行けるんだから、一緒に行ったほうがいいちゃう?家じゃ、三人がいっぺんに入れる広さじゃないんだし。たまにはそう言うのもいいじゃないのか」

 もう、なんとかして、三人を追い出そうと、慌てて、そんな事を言い出すと、姉貴の俺に向ける視線がにらむ様な疑いの眼差しになっていた。

 腕を組み俺へ睥睨する。やばい、確実に俺を疑っているぞ、あれは。

 この、由々しき事態に助け舟を出してくれたのは愁先生。

「慎治君の言うとおり、家族の肌のふれあいは大切だと思いますよ、私は。ですが、お三方だけ、夜の外を歩かせる訳には行きませんので、私もともに参りましょう、慎治君も一緒にですがね」

「愁、慎治は銭湯に浸かれる具合ではないぞ」

「佐京、私も、貴女も、皇女お義母様も医者です。いくらでも入浴させる方法など考え付くでしょう?私たち五人が出れば問題ないのでは」

 俺も行くことになっちまったが、流石に男女別れている銭湯の男湯に姉貴達が入ってくることもあるまい。結果良All rightだな。

「わあぁ~~~い、シンおにいちゃんと銭湯です」

 嬉々する妹へ、

「行くのは一緒かもしれないけど、一緒には入れないぞ、右京」

 釘を刺してやると急に不満そうな顔に変わる表現豊かな妹だった。

 俺等一行が播磨の湯に到着すると、仕切りをまたいて妹の未練たっぷりと残る視線を背中に俺と先生は男の暖簾を潜ろうとした。

 しかし、何かがへんだぞ。

「お客さん、此方は男湯ですよ。女性の方は右へお回りくださいませ」

「吾は男だ。此方にきてなにかまずいとでも?私が女に見えるとはなんと無礼、侮辱極まりないぞ」

「はぁぁ?なに付いて来ているんだよ。無礼なのはっていうか、公衆面前を考えろ、佐京姉貴っ!」

「佐京、貴女がこれほど、分別を弁えない方だとは・・・、悲しいですよ、私は」

「しゅっ、愁・・・。すっ、済まぬ、お前に恥を掻かせてしまった」

 姉貴は肩を落とし、諦めて出て行った。

「愁先生、姉貴のあんな性格に付き合って疲れないんですか?」

 椅子に座らされ、湯の中に体を沈めても大丈夫になるような便利な医療器具を足の周りに取り付けて呉れている先生にはっきり聞く。

「私と、佐京との愛にその様な障害などまったく皆無ですよ」と平然と言い切る先生だった。

「さあ、出来ましたよ、慎治君。私たちも中へ行きましょう」

「ありがとうございます」

「うぅん?ははは、いえ、いえ、当然のことをしているだけですから、礼には及びません。もうすぐで、君の家に籍を入れる身です。法律上ですが、慎治君は私の義弟になるのですから」

「で、姉貴のご機嫌取りのためにですかね、せんせっ」

「慎治君も意地悪な方です」

 愁先生は小さく笑い、足の高い風呂場の椅子を俺が座れるように置いてくれた。

 その椅子に座り、先に頭から洗い始めた。

 頭の上が泡で一杯になったころで、

「なあ、先生・・・、・・・、・・・、へいへい。先生も母さんとおんなじですか。分かりましたよ。愁兄さん・・・、しっくりこねぇな。愁兄貴とでも呼べばいいですか」

「なんでしょうか、慎治君」

「昨日の話の続き」

 そう切り出すと、先生は何も答えを返してくれず、黙々と全身を洗い出してしまった。

「せっえん、愁兄貴・・・」

 だめだ、全然、応答して呉れねぇよ。

 シャワーで頭の泡を洗い落として、俺も体を洗い出してそれが終わったころに

「慎治君、一つ約束してくれるなら話しても構いません。約束できますか?」

「なにをだ?聞いてみなくちゃ、何を約束していいのか分かりませんよ、兄貴」

 以前、愁先生が口にしたような言葉を誰かに使ったような、使わないような・・・。

 しかも、俺の答え方も言った誰かに似ているような、似ていないような・・・。

「今の君は無茶をやらかしかねないので心配なのです。佐京は君の事になると我を忘れて動揺してしまう方ですし、悲しい顔をさせたくありませんからね」

「なんだか、話しが、見えないけど、約束する」

「分かりました。慎治君のその言葉、信用しましょう・・・。では、浸かりながら、話しましょうか」

 先生に肩を貸してもらい人気が少なく結構広めの湯船に浸かり始めた。

 先生は手で湯をすくいそれを顔に掛けてから、語り始めた。

「頭の回る、慎治君ですから、もう有る程度のことを予想立てていると思いますが・・・、君に連なるもう、お亡くなりになられた彼等。更に結城弥生君と涼崎翠君。君と右京君と佐京。今はその対象が藤原翔子君にまで災いが伸びようとしています。それではなぜ、私は人為的であると思ったのか、それは慎治君の記憶喪失や、翠君、弥生君のあのこん睡状態が、ある医学療法が利用されていと判明したからです」

「今となっては調べられる証拠はありませんが、貴斗君や春香君にも同じ療法が使われていたのではと推測するに至ったという訳です。そして、その療法はアダムと言う計画の研究過程での産物だと君も知る柏木夫妻から聞かされました。その計画とはいったいどの様なものなのか、柏木夫妻に問い質しても、部外者には教えられませんと懇切丁寧に断られてしまいましてね」

「知人に頼んで調べてもらいますと・・・、・・・、・・・、その関係者に、皇女大先輩が関わっている事が判明したというわけでして、あの日、それを大先輩に尋ねているときに君が不運にも見られてしまったという訳です」

「今、私が述べたことで重要なのはプロジェクト・アダム。それに関係しているのが、驚くことに、藤原貴斗君の両親、柏木、涼崎夫妻に、皇女大先輩、結城兄妹の父親。これを聞けばアダム計画の何かが、誰かが、それに関係する方々に危害を加えているのではと言います考えに行き着いても可笑しくはないでしょう」

 先生はそこで、俺に考える時間を呉れているのだろうか、語るのをやめて湯船の壁面に背をつけ、上を向いて目を閉じてしまった。

 Project ADAM。それが、何なのか分からない。

 多分、こればっかりは母さんも素直に教えて呉れそうもない。ただ、先生の会話の中には隼瀬の事だけ、抜けていた。彼女だけは偶然と納めてしまうには何か引っかかる。

 恨みなのか、それともその計画を我が物にしたくて、人を殺してまで重要関係者を脅すために、それとも、計画その物を潰す為?

 理由は分からないが事の真相はそのADAMであると愁先生は睨んでいる。

 はぁ、成るほど、俺がそれを知ることで勝手に行動しないか、心配してくれているんだろうな、有り難い事に。

「分かったよ、先生。アダムのことを調べようなんてしないからさ、心配する必要はないぜ」

 口に出して言ったのはそこまでで『この足が完治するまではな』と心の中では思っていた。

 あれが唯の自殺とかじゃないと分かったのなら、それを調べなければ俺の気がすまないし、奴等だって浮かばれない。だから、必ず真相を暴いてみせる。

 この手に掴んでやるさ、絶対にな。

「慎治君、先ほどまでは私のことを兄貴と呼んでくださったのに、また、その呼び方ですか。悲しくなってしまいますよ」

「先生だって、皇女母さんのことを、大先輩って二回も言っていたじゃないか、くくっ」

「・・・、・・・、そうでしたね。ですが、お互いに直していきましょう」

「頼りにしているぜ、愁兄貴」

 三度また、そんな風に先生のことを呼んであげると、嬉しそうに微笑んでくれた。

 そんな愁先生を騙してしまう事になるけど、一度決めた誓いはどんなことでも遣り遂げようとするのが俺の性格なんでね、許して欲しい。

と言葉に出せないけど、先生に心の中で謝った。

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