世界で一番不幸な君へ

安形 陸和

世界で一番不幸な君へ




 夢を捨てた。夢を捨てた私は生きる気力を失った。自分にもっと才能が有れば良かったのに。そう嘆かなかった夜はないほど、私の才能の無さを私は恨んだ。

 夢を笑うやつはたくさんいるが、夢を叶えるやつは少ない。

 もとより、自分の事を肯定的に捉えられていなかった私はさらに自分の事が嫌いになってしまった。自分が自分であるというアイデンティティが夢であったからだ。その夢を捨てた今、私はこの世に存在していいのかという気持ちになってくる。私の代わりはいくらでもいる。私という惨めな男の上位互換などいくらでも存在するのだ。

けれど、自殺するような勇気もない。だから私は残りの人生を惨めに生きようと決めた。

年齢も三十に差し掛かり、未だ定職についていない私を母は笑うだろうか。友は笑うだろうか。君は笑うだろうか。いっそのこと誰かに笑いとばしてほしい。

『お前って惨めだね』

『夢を追いかけつづけるとか馬鹿じゃないの』

こんな言葉を吐かれたほうが私は気持ちが楽になる。

でも君だけは、私の夢を笑わなかった君だけはなんていうのだろう。私には皆目見当もつかない。でも、君はこの世のどこかで幸せになっているはずだ。私なんかと違って君はこの世に必要とされている人間なのだから。

さて、暗い話はここまでにしよう。私はここからどうやって生きていこう。食いつないでいくだけなら今のままでいい。家賃45000円のワンルーム、六畳という広さで私は微塵の不満もない。

たった今、私が生きる意味を思いついた。

ノートに書き出すことにした。

私の死に場所を探すこと


私を肯定すること

 もうひとつ書き足そうと思ったが、私にそれを書く勇気がなかった。

どちらが先に達成されるか、それによって私の人生が決まる。

さて、どうしようか。一度地元にでも帰ろうか。幸い、贅沢はしていなかったおかげで、一か月とちょっとくらいは何もせずとも暮らせる余裕がある。

この一か月あまりを人生最後の夏休みにしよう。それを過ぎたらまたどうするかを考えよう。この世に存在していないかもしれないから。

思い立ったが吉日、私は電車の時間も調べずに駅へと向かった。

駅へ向かう足は心なしか軽かったように思えた。

駅へついた私は、案内表示板を見て電車の時間を確認した。電車の時間まではあと20十分くらいだった。ここで私は選択を迫られる。何もしないか、何かするかの選択だ。今までの私ならば前者を選んでいたと思う。だが今の私は今朝まで憂鬱だった気分が幾分かましになっていたので、後者を選択した。

私は先ほどのノートを取り出した。一つ書き足した。

 


地元の友人と会う

 今は疎遠となってしまっているが、大学二年までは欠かさず毎年集まっていた友人だ。片手で数えられるほどの人数ではあるが、私にとってはかけがえのない友達だった。

 なぜ疎遠になっていってしまうのだろう。あれほど仲が良かったのに、いや、もしかしたら仲が良いと思っていたのは私だけで、奴らは何も思っていなかったのかもしれない。

しかし、私はあの日々を疑いたくはない。こんな疑心になってしまうのも私の病気のせいだろう。軽くなっていた私の心に先ほどより重い何かがのしかかってきた。

そうこうしているうちに、電車が到着した。大学三年のときから帰らなくなったので、もう十年近くになる。何か変わっているのか。学校はまだ残っているのか。昔友人と遊んだ公園は残っているだろうか。私が初めての恋をしたあの子は結婚しているだろうか。

こんなことを考え、私は重い足で電車に乗り込んだ。

私の地元は田舎だったので、あまり人が乗らない。だが、私はそれが好きだ。人が多いと、私は世界から蔑まれている気分になる。私はそれがたまらなく嫌いで、だから、電車も空いている時間を狙うし、一駅、二駅ほどならば歩いていく。こういうとらえ方をしてしまうのがいけないのだろうな。などと一人で笑った。

私は車窓から見る景色をぼんやりと眺めるのが好きだった。何も考えなくてすむからだ。憂鬱になっていた私の心はまた軽さを取り戻した。心地よかった。ああ。この時間が永遠に続けばいいのに。そうしたら、私も生きていていいと思える気がする。

ずっと書くか迷っていたのだが、先ほどの私より自分を肯定できていた私はそれを書くことにした。

 Rは今何をしているかを聞く

今さら会うなんて烏滸がましいことはしない。友人づてで聞ければいい。私のことなんてとっくの昔に忘れているだろうから。幸せになっていてほしい。幸せでなくても不幸でなければいい。私の友人が仲が良かったはずだから、会えたなら聞こう。その友人とも会えるかは分からないが。まあ、その時はそのときだ。その時に考えよう。

少し眠たくなってきた。瞼をとじた。




「お客様、起きてください。」

「……」

「お客様、終点です。」

「あ、そんなに眠ってしまっていましたか。直ぐに降ります。」

「いえ、お気をつけて。」

「ご乗車ありがとうございました。」

二時間弱眠ってしまっていたらしい。それほどまでに疲れていたのだろうか。まあ。降りる駅が終点でよかった。とは言っても、ここはまだ私の地元ではない。ここからさらに一時間弱ほど電車に乗ってようやく着く。

しかし、高校はここら辺に通っていたのでとても懐かしい気分になった。すこし、散歩でもしようと思い、改札を抜けた。見た目はあまり変わってはいないが、ところどころに十年の重みを感じられた。街もあまり見た目は変わっていないが、建物に年季を感じられる。

高校までここから二駅ほどあるくのだが、私はそれを苦とはしないので、歩くことにした。一つ誤算があった。とても暑い。年々夏が暑くなっていく。私は夏にあまりいい思い出が無いので、夏は好きじゃない。このまま歩き続ければ命の危機に瀕する気がする。いや、別に死んでも構わないな。いや、一か月は生きよう。私は近くのコンビニエンスストアに入った。

私はコンビニエンスストアで飲み物を買い、少し休憩して、店を出た。

遠くで陽炎が揺らぐ。私はなぜか陽炎が好きだ。理由はないが好きだ。

最近の私は儚いものによく惹かれる。人の夢と書いて『はかない』と読ませるのだ。それは夢を捨てた私にとってはとても刺さる。だから最近は儚いものに心惹かれるのだろうか。            

たとえば、桜の花とか、蝉とか、金木犀が香る時期とか、手のひらの上の雪とか。

そんなことを考えているうちに、高校が見えてきた。高校時代はなんだかんだ楽しかった。気の合う友人も、クラスメイトもいた。恋人はいなかったがとても充実していた。

高校も何も変わっていないな。いや、外から見ただけだからわからないが。

ここまできたはいいが、別に中に入れる訳でもないから、周りだけ見て帰ろう。そう思ってふと見たことのある顔が私の目に飛び込んできた。南川だ。南川は高校時代、生徒会長を務めていて、人気者で、たまたま席が横だった私と仲良くなって、今でもとてもいい友人だ。  

だが、私は話しかけることをしなかった。あいつは私にとって眩しすぎた。夢を叶えて立派に仕事をしている。とても私が話していい立場じゃない。

私はその場を去った。

私の軽かった心はまた元に戻っていた。



私は足早に駅に向かった。早くこの場所から立ち去りたかったから。

駅に着いた私は時刻表を見て目を疑った。昔は一時間に一本だった電車が二時間に一本になっていたからだ。昔はよくこの電車の時間に悩まされたものだ。

しかし、幸いにも十五分後に電車が来るので、私は待つことにした。この十五分間、私は何もしなかった。

電車の汽笛が聞こえてくる。見慣れたあの電車は何も変わっていなかった。

「私と一緒だな。」

私もこの十年で何も変わっていない。私は無駄に年齢を重ねただけだ。

私はまた、重い足で電車に乗り込んだ。

 家の最寄り駅までは、一時間弱かかる。私はイヤホンを取り出して音楽を聴いた。十年前から好きなアーティストだ。この曲を聴くと昔を思い出す。朝六時半に起きて、電車に乗って、未来への期待で満ち溢れていたあの頃を。今の私を見たらきっと当時の私は失望するだろうな。こんな大人になるはずじゃなかったのにな。結局お前には才能がなかったんだよ。

 もし、十年前の私に一つ言うことができるならば、夢は捨てて、平凡を求めろと言いたい。自分に才能があると思い込まずに、平凡に生きられるのなら、そうしてほしい。逃げられるのなら逃げてほしい。道を間違えずにまっすぐ生きてほしい。今の私の人生を歩ませるのはこの私だけでいい。

 体感時間では一時間も経っていないと思ったが、最寄りに到着した。ホームに降りた瞬間、私の脳裏に、鮮明に、当時の記憶がよぎった。古くなっている。昔から廃びれていた駅だったが、さらに拍車がかかっている。未だに改札がないのも、昔と同じだ。もはや、利用する客も少なくて手を入れる必要が無いのだろう。近々、廃線になるのかもしれない。

 駅から出た私は何をするか考えた。とりあえず実家に戻るべきか。実家にも顔を出していない。六年前、兄の結婚式で顔を合わせた以来か。あれから連絡すら取っていない。急に帰ったら驚くだろうか。出迎えてくれるだろうか。私は一抹の不安を覚えた。

 家は駅からさほど遠くないので、すぐに着いた。私は取っ手を引くのに躊躇した。私がようやく決心をして引こうとしたとき、扉は開いた。そこから出てきたのは祖母だった。

 私は気まずそうな声で、

 「久しぶり。」

とだけ言った。

 祖母はすこし驚いた様子で

 「あんた何しとったの。連絡もよこさないで。とにかく中に入りん。」

久々に聞く方言だった。

 「ちょっと私生活が忙しくてね。帰れなかったんだ。」

嘘をついた。忙しい訳はない。賢明な祖母であるから、きっと見透かしていただろう。それでも祖母は何も言わず私を迎えてくれた。

 「馬鹿な孫が帰ってきたよ。」

と、玄関先で言うと、祖父も出てきた。

 「おう、元気だったか。」

祖父も祖父で何も言わず出迎えてくれた。私は泣きそうだった。

 「母さんは?」

私がそう言うと

 「仕事だよ。今日は平日だに。」

 「ほんとだ。曜日感覚が無くなっとるわ。」

 なんて他愛もない話をしていると、私の視界に子供用のおもちゃが入ってきた。わたしはそれを持って、

 「なんでこんなのがあるの。」

と聞いた。

 「あんた知らんかったっけ。あんたおじさんになったんだよ。」

私は少し状況が掴めなかった。数秒経った後に、

 「兄貴に子供生まれたの?」

私は驚きを隠せなかった。

 「二年前に生まれたよ。」

あの兄貴が父親になっているのか。

 「兄貴は?」

 「あいつは今こっちで料理屋やっとるよ。その間、私らが面倒を見とる。」

 兄貴も夢を叶えていたのか。昔は仲が悪かったが、そういうところだけはひたむきに頑張るやつだったな。

 私は祖母にとてもお世話になった。大学も行かせてもらったし、不自由なく育ててもらった。それがさらにひ孫まで面倒を見ているなんて恐ろしい人だ。

 私は子供に怖がられるので、その子と会うのは兄貴が帰ってきてからにしよう。

 「それで、あんたは何をしに帰ってきたの?」

 「いや、久しぶりに長い休みが取れたから。少しは顔出さないとなって思って。」

 「なるほどね。まあ、ゆっくりしてきん。」

 「そうするよ。」

 さて、とりあえず友人に連絡を取ってみようと思ったが、今日は平日だった。きっとあいつらも仕事中だろう。私は少し安堵していた。ながらく会っていない友人に今すぐ連絡をするのは、いくら昔仲が良かったといえども、少し気まずい。仕事が終わるような時間帯まで、散歩でもして時間を潰そうと思った。

 「すこし、散歩してくる。」

 「気をつけていってらっしゃい。」

 私は家を出た。家の真上にトンネルがあるのだが、そこを抜けると、綺麗な桜並木がある。私はそこが好きだった。少し早い時期に咲く桜の品種で、早いときは三月中旬あたりから咲き始める。あの桜の花を最後にもう一度見たかったな。私は思い出に浸りながら歩いた。 

 


 私は昔を思い出しながら、小学校までの道のりを歩いた。家からは十五分くらいのところにある。あの頃は何も考えずに毎日を楽しく生きていた。日が暮れるまで友人と遊んだ公園、友達がやっているという理由だけで入ったそろばん塾、すべてがいい思い出である。

 そういえば、私の初恋は小学六年生の時であった。一緒にいった盆踊りもいい思い出だ。

 きっと結婚しているのだろうな。良い母親になっているのだろうな。

そのことはまた友人に聞くとしよう。

 そうこうしているうちに、小学校へ着いた。何もかも、当時のまま残っていた。しかし、一つ足りないものがあった。子供たちだ。子供たちの姿が見えない。人の気配がまったくしない。私は通りかかった人に尋ねた。

 「すみません。この小学校は今どうなっていますか?」

通りかかった人は、

 「知らないのかい。二年前に廃校になったよ。近々取り壊される予定だってさ。」

 「ああ、そうなんですか。私ここの卒業生なので。久々にこっちに帰ってきたんですよ。」

 「子供の数が減ったからねえ。まあしょうがないよ。」

 昔から子供は少なかったがまさか廃校になっているとは思いもしなかった。

 「すみません。ありがとうございました。」

 確かによく見てみると立ち入り禁止の看板が置いてある。私は周りから眺めることしかできなかった。取り壊される前に一度見られたので、幸いというべきか。

 さすがに中学校は残っているだろう。私は足早に向かった。

 子供たちの声が聞こえる。よかった、どうやら残っているようだ。校庭に生徒がたくさんいるのを見るに部活動の最中らしかった。

 私は部活というものが嫌いだった。あれは運動神経が良い奴が輝けるから。私は運動がからっきしだったので、レギュラーを取ることもできず、いつも劣等感に苛まれていた。

 この頃からだろうか。私の精神が腐っていったのは。勉学でも特に秀でた成績が残せるわけでもなく、何か突出したものがあるわけでもない私は、誰かの真似をしながら生きるということを始めた。例えば、喋り方であったり、ふるまいであったり、ひいては、性格まで真似した。私はそうすることで心の安寧を手に入れていた。その結果、私は私自身を見失うことになってしまった。今でも、元の自分がどんな人間だったか全く思い出せない。思いだそうとも思わないのだが。

 そういえば、部活動をやっているということは、そろそろいい時間になってきたのではないかと思い、時計を見ると、秒針は午後五時半を指していた。定時で終わっているならそろそろ連絡を取ってもよいころだと思うが、いかんせん私の決心がつかない。そもそもあいつらがなんの仕事をしているのかさえ知らない。

 私は三十分くらい何もできずにいた。

 私はついに決心をした。指先は震えていた。一番仲の良かった角谷にかけることにした。

 電話の向こうで二回、三回、コール音が鳴る。色んな考えを頭に巡らせた。コール音が止んだ。頭に巡っているものは巡っているままだった。

私の第一声は、

 「あ。もしもし。俺だけど。久しぶり。元気だったか。」

だった。

 「オレオレ詐欺ですか?」

昔と何ら変わらないボケをかましてくる。

 「元気だったかじゃねえよ。急に連絡も寄こさなくなりやがって。」

 「すまん。私生活が忙しくてね。色々重なって連絡も出来なくなって。」

 「すまんじゃねえよ。今どこにいるんだよ。」

 「今はこっちに帰ってきてるよ。一か月近く休みを取れたからさすがに帰ろうかと。」

 「はよ言えよ。」

 「はは。」

 「今すぐ飲みいくぞ、あいつらも呼んどくから。つもる話はその時だ。迎えに行くから家で待ってろ。それじゃあな。」

 一方的に電話が切られた。一瞬昔に戻れたような気がした。

 とりあえず家に戻ろう。家に戻る最中に子供連れの夫婦が歩いているのを見た。とても幸せそうだった。私もあんな幸せを掴みたかったな。

私は、少し生きていてもいいと思ってしまった。この世界が少し好きになってしまった。


家に戻ると、車が一台止まっていた。角谷だった。なんでこんな早く到着しているんだ。しかし、私はそれが嬉しかった。

角谷がこちらに気づくと、車は私の手前まで来た。助手席側の窓が開いて、

「乗れよ。」

私は助手席に乗った。しばらく無言が続いたが、角谷が口を開いた。

「お前今なにやってんの。社会人が一か月も休みを取れるわけがない。何かあったんだろ。」

私は何も言えなかった。

「言いたくないんだったらそれでいい。」

私は涙を溢しそうになった。

「俺、鬱になったんだ。色んな要因が重なってね。まさか俺がと思ったよ。本当に死のうかとも思った。でも、死ぬ勇気はなかったんだ。」

「この十年、俺は定職にもつかず、夢を追いかけて、それは叶わなくて、夢を捨てて、其れで自分が恥ずかしくなって、みんなには会えないと思って連絡しなかったんだ。」

「俺、死ぬ決心をつけるためにこっちに戻ってきたんだ。でも、もしかしたら、この一か月で生きる意味を見つけることができるかもしれない。そんなこんなでこっちに戻ってきたんだ。」

角谷はしばらく考え込んでから、

「お前、昔から考え込むタイプだったもんな。まあ、綺麗事を言うつもりもないが、少し聞いてくれ。」

「死ぬなんて簡単に言うな。もし、簡単に言ってなかったとしても、死ぬことなんていつでもできるだろ。生きてなきゃできないことだってあるんだ。お前の夢だって生きてなきゃできないだろ。だったら、本当の限界まで生きてみろよ。お前を必要としてくれる人間は必ずどこかにいる。まだ出会えてないだけだ。」

私は何も言い返せなかった。悩みを打ち明けて心は軽くなったが、心には響かなかった。

「ところで、お前は今何やってんの」

「俺は教師をしてるよ。俺は俺の夢を叶えた。俺は諦めなかった。」

こいつも夢を叶えている。私とは違う世界の人間だ。

「すごいな。昔から努力家だったもんな。」

努力より才能だろう。こいつにはそういう才能があった。

「もうひとつ聞いていいか」

「なんだよ」

「お前、結婚してるんだな」

左手の薬指に結婚指輪をしているのが見えた。

「ああ。もう五年も前のことだぞ」

「相手は」

「二村だよ。覚えてるだろ。ほら、お前の初恋の相手の」

忘れるわけがない。そうか、角谷と結婚していたのか。こいつとなら幸せになれるだろうな。

「子供はいるのかい」

「二人、四歳と二歳だ」

「そうか。幸せにしてやれよ。って、もう十分幸せそうだな」

私は笑った。久しぶりに笑った。

車が止まった。どうやら目的地についたようだ。

「やっぱ俺らといったらここだろ。懐かしいな」

見覚えがある。昔からこいつらで集まるといえばここだった。

「もうみんな待ってるぞ。お前のためにな」

「ああ」

私は店に入った。そこには昔と変わらないあいつらの姿があった。私は開口一番、

「お前ら老けたな」

「お前もな」

私はまた笑った。十年経っても変わらない。こいつらはずっと変わらないだろう。

「とりあえず、今日はお前をつぶす。」

太田が言った。

「俺強いぞ。先につぶれるなよ」

「とりあえず、今日は飲み明かそう」

橋本が言った。

「ああ。色々と話もあるしな。」

「久しぶりだな」

田中が言った。

「ああ、久しぶり」

私は飲み明かした。

「なあ、橋本。俺を副社長で雇ってくれるっていう話はどうなったんだよ」

橋本は親の会社を継いで社長をやっているらしい。昔からの定番ネタだった。

「英語が喋れて、簿記が出来るならいいぞ。」

これも鉄板の返しだった。

話を聞くところによると、みんな所帯を持って、幸せに溢れる生活を送っているらしい。

私だけか。夢も希望も無いのは。私の心は軽かったが、重かった。

私がいなくても、十分楽しそうだ。みんなには感謝している。

 結局、最後までつぶれなかったのは私だけだった。

 楽しい時間は一瞬だった。私は外に出て、肺を汚した。


一人で空を眺める。空に舞う煙が君を思い出させる。煙草は吸わないでねと言っていた君を裏切った。君は軽蔑するだろうか。私はどうしようもない人間になってしまったよ。

君は今何をしているのだろう。幸せになっていますか。もう会えないと分かっていても、結局君を忘れることは出来なかった。君の好きなところを挙げるとキリがないが、一番好きだったのは君の笑った顔だった。あの笑顔のせいで私は君の虜になったんだ。夢の話をしたときも、君はその笑顔で私の夢を肯定してくれた。私はそれすらも裏切ってしまった。

今さら後悔しても遅いけど、あのとき引き留めていたら君は私のもとにいてくれたのかな。今でも好きって言ったら君は笑うかな。

私はこの想いを煙と一緒に空へ吐いた。


私はお会計を済まして、全員、家族に向かえ来てもらうように電話をさせた。

私は先に店から出た。別れ際に角谷に、

「また会おうな」

「ああ。必ず」

私は歩いて家に帰った。夜風がとても気持ちいい。私はこの世界が好きだ。友人に囲まれているあの時間も。君を想っているあの時間も。本当は死にたくない。でも、私はこの世界に必要がないと感じてしまった。私の気持ちは決まっていた。

家に着くと、母親と兄が出迎えてくれた。

「久しぶり」

「おかえり」

母も兄も何も言わなかった。意外だった。私の家族は、心の中に、なんの躊躇いもなく、土足ではいってくるような人たちだったはずなのだが。

 「兄貴、子供生まれたんだってな」

 「ああ、二年前にな」

 「母さんも仕事まだしてるんだってね」

 「ああ、息子二人が不甲斐ないからね」

「それは申し訳ないね」

「あんたはいつあっちに戻るの」

「ああ、明日には帰るつもりだよ。ほんとはもっといる予定だったんだけど、急に仕事の予定が入ったらしくて、帰らないといけなくなったんだ」

「まあ、またすぐに帰ってきなさい。あんたには色々と話したいことがあるからね」

「ああ、きっと帰ってくるよ」

「母さんも体調に気をつけてね」

「兄貴も母さんと家族大切にしろよ」

 「余計なお世話だ」

 やっぱり家族は暖かいな。きっと私はここで生きていていいのだろうが、私は決心してしまった。

 最後まで家族には本当のことを言えなかった。今まで育ててくれてありがとう。とても感謝しています。こんな馬鹿な息子でごめんなさい。兄さんも、母さんをよろしく。じいちゃんもばあちゃんも長生きしてください。ありがとう。

 こんなようなことを手紙に綴って、私は床に就いた。


私は朝起きて、始発で帰った。家族に直接別れを告げずに。

残りは三週間くらいある。

 電車に揺られながら、私は考えた。

答えは出た。私がいなくても世界は回っていく。今さら、私が入る余地などどこにもない。ついに、私の生きる意味を見つけることは出来なかった。初恋のあの子も友人も家族もみんな幸せに生きている。そこに、私という歯車は必要ない。

多分、君もきっと幸せになっているだろう。あの夏は私の人生で一番楽しかった夏だ。


 最後にこの体験を小説に書き記そう。私の生きた証を後世に残そう。いつか誰かが読んでくれればいい。つまらなければつまらないと吐き捨ててくれてもいい。そんな言葉はもう聞き飽きているから。

もし、その人が面白いと思ってくれれば、私の夢は叶う。長らく忘れていた。私の夢は小説家として売れることでも、小説家として食っていくことでもない。私が小説というものを最初に感じたあの感覚、そんな感覚を、私の小説で味わってほしい。ただ、そんな純粋な夢だった。面白いものを書くことに必死になっていて、誰かの二番煎じを繰り返していたあの頃とは違う。私は私が書きたいものを書く。

 私は筆を執った。これが最後だ。私は残りの三週間を使って書き上げることができた。今まで書いては消してを繰り返していたあの、二番煎じの作品とは違う。私が書きたかった本当の小説というものが書けた。私は最後に小説家になることができた。

 今更賞に応募する気はない。残りの全財産で本にできたのは二冊だった。一冊は私が持っておこう。その本は、私の生きた証だ。

 さて、やり残したことはもう何もない。

いや、私はこの世界に少し生きる意味を見出してしまった。

しかし、この世界には私の代わりになるものがある。私が生きていてはこの作品は完成しない。

 私は、私が最も好きな場所へ行くことにした。そこに、一つの本を置いた。

 この本はどうなるだろう。世に出されるのか。はたまた、風にでも飛ばされて誰にも読まれずに消えていくのか。誰かに読んでほしいが、それは天任せといこう。

 私の生きる意味を探すノートに最後にこう書きこんだ。

 

    君の幸せを心から願う

 

私は最後にこのノートを燃やした。

私の幸せは、みんなの幸せを願って死ぬことだ。

 では、さようなら。いつかまた会える日まで。

 



次の日、男の部屋には一通の葉書が届いた。結婚式の招待状だった。男はそれを知ることはなかった。





 ある男の遺体が見つかった。春になると桜の花が散る場所で。男の側には一冊の本が置いてあった。その本は男が書いたかどうかは分からないが、警察の粋な計らいで、その本は出版されることになった。

 その本は、今を生きる若者を中心に売れた。活字文化が衰退していた現代においては、異例のことである。男の夢は、男が知らないところで叶ったのだ。

そんな本をある女が手に取った。その本のタイトルに自分の名前が入っていたから。

 その本のタイトルは

     『桜の花が散るあの場所で』

 


 

 


 

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世界で一番不幸な君へ 安形 陸和 @yudouhu79

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