神隠し、希うは逢瀬

蒼桜

全年齢編

足を運んだ神社では、祭囃子が遠くから聴こえていた。その深紅の鳥居の真ん中で佇むひとつの影。夕闇にぼんやりと浮かぶ、短髪の男の後ろ姿。その男が身につけているのは闇に溶けてしまいそうな紺色で、あぁ今年もこの浴衣かと独りごちる。


「こーんばんはっ」


まるで古くからの友人のように、なるべく軽快な口調を心がけて、話しかける。すると振り向くのは笑っているんだか怒っているんだか分からない狐面。しかし、不思議と怖くはない。何故ならお面の端からぴょこぴょこと跳ねている黒髪がお茶目で可愛らしいから。


「ん、こんばんは」


俺の努力も虚しく、彼はいつもこうやって静かに、厳かに喋る。年に一度のお祭りなんだから、もっと楽しめばいいのに。最初はそう思っていたが、今はそんなところも“らしく”て好ましい。


「さ、行こ」


そう言って握った彼の手のひらは、夏にも関わらず、かき氷のように冷たく心地いい。俺に手を取られて彼は初めて、この鳥居から外へと足を踏み出した。階段を降りていけば、段々近くなるお囃子。ひとつの織り成された音楽として聞こえていたそのお囃子が、篠笛、和太鼓などの楽器特有の音に分けられていくのを感じた。


「ねぇ、今年はどれから行く?」


手を引きながら、仮面の彼にそう尋ねる。「仮面の彼」。そう、俺は彼の名前を知らない。名前があるのかも分からない。そして、彼も俺の名前を知らないだろう。


「目についたものから」


目は、合わない。俺はこんなにも彼の顔をずっと見つめて喋っているのに、一度も目はあった事が無い。彼は腕組みをして、浴衣の裾に繋いで無い方の手を差し込んだまま、ずっと前を向いている。


ずらりと並ぶ屋台。でもその実、出しているものは似たりよったり。屋台らしい食べ物か、射的か、掬う系か、お面か。だのに色とりどりのパッチワークのように張られたテントに、否応なしに心が踊らされる。さらには隣の彼の存在も。


「じゃありんご飴で!食べながら次の店決めよ」

「ん」


彼の手を一旦離して立ち寄ったお店のおじさんはフレンドリーで、俺が「りんご飴二個ください」と伝えると「なんだ、彼女にパシられてんのか??」と笑いながら二本の串を手渡してきた。


もう、慣れている。


「そんなとこです」と笑いながら返して、その屋台を離れる。


「はい、どーぞ」

「ありがと」


そうして受け取った彼は、すぐにバリッと音を立てて飴を齧った。最初は「怒ってる?」と思ったその仕草も、癖だと分かってしまえばなんて事ない。なんなら俺だって飴をすぐに齧るようになってしまった。一緒にいると似てくるというのは本当らしい。…会うのは年に一度だけだけど。


歩みを進める度に香りの変わる通りで、俺たち二人は手を繋いで屋台を回った。神社を出た時は僅かに橙色に照らされていた彼の仮面も、今は屋台の照明を反射して淡黄を帯びている。


狐面の下は見たことがない。俺が知っているのは、彼の声と、仕草と、後ろ姿。そして、彼の“存在”について。


俺たちはこの世界から隔離されたかのように、誰にも目を向けられないまま、手を繋いで歩いていた。




…そう、実は彼は、俺にしか見えない存在なのだ。そして、彼と手を繋いでいる間の俺も、周りからは見えない存在となる。


彼は、幽霊、というやつなのかもしれない。こいつと会ったのは、幼い頃だった。母親とはぐれて神社で途方に暮れていた俺に声をかけてきたのだ。その時の彼は、時間が止まっているかのように、今と全く同じ姿形をしていた。


「迷子か」

「…」


こくりと頷く俺に、彼が手を差し伸べてきた。


「おいで」


その後、彼と二人で屋台を巡った。もちろん楽しむためでは無かった。きょろきょろとただ母親を探す俺。対して、手は繋いでくれているものの、真っ直ぐ前を見たままの彼。そろそろ「この人は怖い人なんじゃないだろうか」と恐れ始めた頃だった。


「あ!!お母さん!!」


初めて見た母親の目元に浮かぶ涙。その姿を見て、思わず大声をあげた。


しかし、母親はおろか、周りの人さえも俺に見向きもしなかった。不安になって、何度も何度も叫んだ。


「お母さん!!ねぇ、お母さん!!聞こえてるでしょ?!お母さん!!」


思わず、仮面のお兄さんと繋いでいた手を振り払って、母親に駆け寄った。


「お母さん!!」


その一言で初めて、周囲に俺の存在が認識された。俺の大きな声に驚く女性、迷惑そうに顔をしかめるおじさん、そして一瞬安堵したように顔を綻ばせたのち、怒り顔になる母親。


「もう!!探したんだから!!」

「ごめんなさい、あのお兄ちゃんが一緒に探してくれたの」


そう言って振り向くと、もうそこに彼の姿は無かった。再び人混みに紛れて彼の姿を探しても、どこにも見つからなかった。


あの日以来、あの狐面や不思議な出来事が頭から離れなくて、翌年の同じ日。祭りが行われるその日に、再び神社を訪れた。子ども心に、あれは不思議な存在だったとしっかり分かっていて、真偽を確かめるために、彼の元へと赴いたのだ。階段に腰を下ろして、ひんやりと冷たく硬い石の感覚を感じながら、じっと彼の声を待った。眼下の提灯が徐々に灯り始め、俺の周囲は暗闇に包まれてきた頃。


「何しに来た」


相変わらず、ぶっきらぼうな声だった。俺はガバリと後ろを振り返り、去年と同じ狐面と紺色の浴衣姿に、躊躇なく問いかけた。


「お兄さんは、誰?」


その問いかけは、今思えばあまりに幼かった。本当に俺が聞きたかったのは、彼の名前などではなく、彼の“存在”について、ひいては昨年の不思議な出来事についてだったのに。しかし彼は、俺の思惑を全て見透かしたように、こう答えた。


「幽霊みたいなものだ」


あぁそうだ、俺がこいつを幽霊というやつかもしれないと認識していたのは、この応えがあったからだったと思い出す。


「他の人には見えないの?」

「幽霊だからな」

「なんで俺には見えるの?」

「さぁな」


あとから考えれば、きっと迷子だった俺を助けるために、わざわざ姿を現したのだろう。案外、不器用ながらも優しいやつなのだ。


「ね、今日は一緒にお祭り行こ?」

「行かない」

「お願いいい!!」

「…今年だけだぞ」


あぁそうだ、ついでに押しにも弱い。その時の駄々っ子の俺の願いを叶えてくれたのだから。そして毎年「今年だけ」と言いながら祭りに付き合ってくれるやつだった。それが嬉しくて、そしてコイツ自身に興味がわいて、他の人にはコイツが見えないにも関わらず、「ねぇどうして幽霊になったの?」「どうしてこの日しか会えないの?他の日にはいなかったよね?」などなど…。それはそれは多くの質問を彼にぶつけた。


道行く人の怪訝な目に耐えられなくなったのは、こいつが先だった。迷子になった時にもそうしてくれたように、ギュッと俺の手を握ったのだ。その途端、俺たちは現世から隔離された。


「お前、少しは周りを気にしろ」


そんな彼の声も、周りの者には届かない。全員俺たちが見えないかのように、無関心なまま通り過ぎていく。まるで、去年母親に声を掛けた時のように。


「…ったく、余計な霊力使わせやがって。現世の奴に姿を見せるだけで大変なのに」


その時の俺は、今自分の身に起きている不思議な現象を怖いと思うより先に、冷たいはずのその手のひらを意識していた。不意打ちで繋がれたそれは、思春期に足を踏み入れかけた俺を惑わすには十分だったのだ。


そうして俺たちは、毎年のように祭りの日に、手を繋いでこの通りを歩いた。いつしか見上げていたはずの彼の背を追い越し、俺は17歳になった。


俺たちが一緒に楽しめるのは、食べものか、花火だけだ。すっかり串だけになったりんご飴をポイとゴミ箱に投げ入れて、再び手を離して焼そばを買いに出た。その屋台は、ずらりと店が並ぶ中でも端っこの方で、しかし花火の打ち上げ場所に近いそこは、かなり賑わっていた。


「アンタ、見失ったら探すの大変だから、傍にいろよ」

「…あぁ」


財布をごそごそと探る俺の傍に佇む彼。一種の儀式のように手を繋いでいた俺たちだが、改めて手を繋いでないのにこの距離感にいることを意識すると、むず痒い気持ちになった。こいつの方は、何とも思ってなさそうだが。例の如く、焼きそばを渡して河原に座り、再び手を繋ぐ。


「この焼きそば美味しいねぇ」

「あぁ」

「今までの屋台で一番美味しくない?」

「かもしれないな」

「あそこ、来年も行こーよ」


何気なく口にした「来年」という言葉だった。いつもなら無言で流されるような、そんな言葉だったのに、唐突に彼から応答が返ってきた。


「今年で17だろ、お前」


なんで知ってるの、なんて野暮なことは聞かない。こいつに「何故?」と理由を求めることは無意味だ。ただ、知らされる事実のみを受け取っていればいい。


「俺と同い年だ」

「…は?!」


思わず彼の方を振り向く。待て待ていつの間にこいつの年齢に追いついてしまったんだ俺は?!出会った頃はあんなにお兄ちゃんだと思っていたのに…、などと感慨に耽っていると。


「今年で、終わりだ」

「…え?」


そう言った狐面は珍しく…というか初めて、俺の方を真っ直ぐ向いていて、冗談などではないことが伺える。そもそもコイツの性格上、冗談どころか嘘すらもつけないはずだ。


「…っ、なんで!!」


思わず口にしてしまった疑問。いつの間にか封印していたその言葉に、彼は最後だからか、ゆっくりと口を開いた。


「俺がお前に姿を見せられたのは、一年間溜め続けた霊力と、お前が同い年以下だったからだ」


つまり、来年になってしまったら、俺はコイツより年上になって、コイツの姿は見えなくなってしまう…。コイツに…、会えなくなるってことか…?


「…嫌だ」

「こればっかりは駄々を捏ねられてもどうしようも出来ない」

「嫌だ!!」


あぁ、まるで子どもの頃に戻ったみたいだ。そんな自分が情けなくて、そしてどうやったって変えられない現実が哀しくて、思わず涙が零れた。


「ねぇ、俺がお前の世界に行くから!」

「それは駄目だ!!」

「…っ、で、出来るの?」


しまった、と言わんばかりに舌打ちされるが、構ってなど居られない。


「教えて。ねぇ、教えて」


頑なに閉ざされた口。そっぽを向いてしまった狐面に、再びじわりと涙が浮かんだ。どうして…。お前は俺と会えなくなってもいいのかよ…。俺はこんなに、お前と一緒に居たいと思ってるのに。


「お前は寂しくないわけ」


ピクリと彼の指先が跳ねた。


「寂しくないわけ、ないだろ…」


初めて、彼の声が濡れた。いつも落ち着いたテノールなのに。そうして二人の間に下りた沈黙をかき消すように打ち上がる、花火。わぁ!と歓声があがる中、俺たちは必死に、互いの声を聞き分ける。


「どうして手を繋ぐと、俺たちの存在が認識されなくなるか、分かるか」


ふるふると首を横に振ると、重々しく口を開く彼。


「手を繋げば、一時的にお前の存在を、現世からこちらの世界に招き入れることが出来るんだ。だから手を繋げば、お前の声も姿も、この世の人間には聞こえないし見えないものとなる」


…そういうことか。お前が俺に伝えるのを渋ったのは。


「…手を繋いだままなら、俺はずっと、お前の世界に居られるということだな?」


沈黙は肯定。そして手段があるのならば、俺はどんなものだって受け入れる。お前の傍に居られるためなら。


「絶対に、離さない」


強く握った彼の手は、相変わらずかき氷のように冷たかった。しかし、初めて強く握り返された俺の手。それだけで十分だった。こいつがいれば、他に何も要らない。


最後の花火が、火の粉となって散っていった。

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