ドラゴンよりも趣味に生きたい。
狼丘びび
第1話
この国では二十歳前後が婚期全盛期、二十三で遅れ気味となる。そしてわたしは今年で二十三。
見目はそこまで悪くないと自負している。頭も悪過ぎる訳ではない。礼儀作法はそこそこできる。
ではなぜ結婚していないのか?
それはひとえに、娘に溺愛の父親にことごとく見合いを阻止されているから!
そう、我が父はわたしを好き過ぎる。厳密に言えば、母に似たわたしを溺愛し過ぎている。
ちなみに父と母は未だに仲が良く、未だに新婚のように熱愛中。
そんな両親の愛情を一身に受けて育てられたわたしは、世間知らずの人見知り。齢二十三にして、恋人もいなければ友人の一人もいない。
来る見合い来る見合いを、父が書類選考で落としまくった。父曰く、可愛い娘の伴侶には最高の相手でなくては釣り合わない、だそうだけど、わたしの価値に見合う相手のレベルは低いと自分では思っている。
これはある意味虐待なのでは? と疑問に思った時には既に遅し。婚期をとっくに過ぎていた。
いやいや、人生において結婚が全てとは限らない。生き遅れと揶揄されようと、十代の子からババアと陰口叩かれようと、わたしは気にしていない。
なぜなら、わたしには生き甲斐があるから。
結婚よりも尊いものが、確かにあるから。
そう、それは、王族の方々の追っかけです!
王家の麗しい方々の御姿を一目拝見できるだけで、わたしは天にも昇る気持ちになれるのです。
……え? その趣味のせいで婚期が遅れているんじゃないかって?
それは違います。なぜならこの崇高な趣味は、家族にしかバレていないから。というか、家族以外の親しい知人などいないので、バレることなどまずない。家族も身内の恥をわざわざ外に広めない。いや恥じゃないけど。わたしの趣味はけっして恥ではないけれど。
そんなどこにでもいるちょっと変わった趣味のわたしに転機が訪れたのは、春の陽気が心地よい感謝祭の日。
その日は国を挙げて春の訪れを祝い、国で一番大きな湖に花を捧げるという祭りが行われていた。毎年飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになる感謝祭では、様々な出店が軒を連ねて大層賑わう。
特に今年の感謝祭ではとある特別な儀式が行われると聞いて、国中の人々が湖に押し寄せた。
わたしも嫌がる弟とその友人と共に、人混みの中に飛び込んで、王家の方の来訪を待っていた。
「なんで俺まで付いてかなきゃなんないんだよ」
「貴方、そんな言葉遣いじゃお嫁さん貰えないわよ」
「姉さんに言われたかない」
年の離れた我が弟は、齢17の青春真っ盛りの思春期真っ只中。姉と出掛けるのは恥ずかしいお年頃のため、憎まれ口ばかり叩く小生意気な小僧。成長期はまだらしく、身長もわたしより小さい。「そんなんじゃ立派な紳士になれないぞ」と折に触れて忠告しているのに、「姉さんに言われたくない」と生意気な正論をかざしてきて、わたしはぐうの音も出ず年上の貫禄も崩れ去って毎回泣き寝入りをしている。
「あー早くいらっしゃらないかしら」
弟との口喧嘩に早々に白旗を振ったわたしは、話題を変えて風向きを変えてみた。
「ああ、ほんと姉さん好きだね、王家」
「そりゃそうよ。興味が湧いたならいつでも言ってね。肖像画の複製を譲ってあげてもいいわ。複数枚ずつ買ってるから、普及用が余ってるの」
「一人も友達いないくせに誰に普及するつもり?」
「いつかできるかもしれないでしょ」
「お前は欲しい? ハジェス」
話を振られたのは今日のお供その2である、弟の友人ハジェス。わたしが唯一家族以外で普通に会話ができる人間。幼い頃から弟と仲が良く、毎日のように我が屋敷に遊びに来ていたから自然とわたしとも少しは話をする機会があり、他と全く接点の無いわたしにとってはその少しの会話でも希少だったのである。
そんな希少な知人である彼も、弟と同様に思春期真っ只中のため、生意気なことこの上ない。
「俺は手に入るものしか興味ない」
「ほら、王家に夢見てるのは姉さんだけさ」
こうして今日もわたしの趣味を貶す彼らに呪いでも掛かればいいと、しみじみ思う。
「あんたに友達ができるよりも、俺が結婚するほうが早そうだ」
「ほんと、姉さんの将来が心配」
「あら、なら賭ける? わたしに王家好きの友達ができるのが先か、ハジェスが結婚するのが先か」
わたしの提案に、ハジェスは愉しげにニヤリと笑った。
「勝ったらもちろん何か貰えんだよな?」
「そうね、結婚式のご祝儀を奮発するわ」
「どれくらい?」
「おい、本気にするなよ」
白熱してきたところに正気の弟が割って入ってきた。冗談の通じない奴め。
「俺は賭けてもいいぜ。金はあればあるだけ生きやすい」
「あら、もしかして守銭奴?」
「姉さん!」
軽口を叩いたら、弟に叱責を食らってしまった。叩かれた腕が地味に痛い。
「お前の姉はなかなか命知らずだな」
「無謀なだけだよ」
「あら、無鉄砲って言ってよ」
「ちょっと黙って」
口に焼き菓子を突っ込まれた。弟よ、実の姉がドーナツで窒息死されたくなければ、二度といきなり突っ込むなよ。もぐもぐ。
さて、わたし達がくだらない話をしている内に、湖を囲うように設置された会場はますます活気で賑わってきた。
本日の目玉。竜の儀式が始まろうとしている。
竜の儀式とは、この国を裏側から支えているドラゴン族と我が国との友好の対話。早く言えば結婚式。
占いで選定された人間が、ドラゴン族に嫁ぐ。ドラゴン族は何年かに一度の周期で人間の血を必要とするらしい。選ばれたのが男性なら『聖人』、女性なら『聖女』と呼ばれ、国中の民から持て囃される。
そりゃそうだ。誰もドラゴン族に血を捧げたくなんかない。国のための犠牲になってくれてありがとうと他人事のように祝うのは、自分と自分に近しい人間が犠牲にならずに済んだことへの喜びだ。
王家専属の占い師である、国王陛下の弟君の息子タンジム様が占いで見つけた聖女、サラ様が湖に面した壇上に上がっていく。
「聖女様、綺麗だね」
隣で世間知らずな弟が零した。
「そうかしら? 王妃様のお若い頃に比べたら…いえ、比べるまでもなく王妃様のほうが遥かにお美しいわ!」
「……ほんと姉さんって王家にしか興味ないよな」
弟が褒めると通り、白いドレスを纏った聖女は結婚式の花嫁のような清らかさの華やかさを兼ね備えていた。群がる人々は一様に賛美を投げ掛けている。
わたしはといえば、そんなどこぞの女よりも王家の方々に夢中で、特等席にいらっしゃる王族ばかり眺めていた。
本日はなんと、王家の方々総出でいらっしゃっているのですよ。王家好きへのご褒美のような豪華なお顔触れ。国王陛下から王子様達まで勢揃い。お一人お一人のご尊顔を拝見するだけで時間があっという間に過ぎ去ると言うのに、なぜ多くの人が聖女とやらを見ているのか不思議でしかたがない。いえ、少数派だという自覚はあるけれど。
会場内に賑やかに流れていた楽団の演奏が止む。静まり返る湖。
真っ白なドレスの聖女が、湖に向かって真っ赤な花を束ねたブーケを投げ捨てる。赤い花びらが湖面に広がっていくと、湖の中央が淡く光り出した。
どよめく会場。揺れる水面。強まる光。
その時、瞬く間に巨大な何かが水面から大きな波を立てて姿を現した。
湖のほとりに立っていた人々が波によってできた雨にびしょびしょに濡れ、阿鼻叫喚をあげている。現れた巨大な生物を前に、黄色い声をあげる者もいた。
わたしはもちろん、王家の方々を一心不乱に見つめていた。
「初めまして、我が姫。お迎えにあがりました」
そう告げたのは、青白く輝くドラゴン。宙に浮いた異種族は、人間達を真っ青な瞳で見下ろしている。
聖女はドラゴンを満面の笑みを浮かべて両手を広げて受け入れ……ることはできなかった。
なぜなら、ドラゴンが舞い降りた先にいたのは聖女ではなく、わたしだったから。
「僕は貴女に逢うために生まれてきました。どうぞその血を私へお与えください」
迫り来るドラゴンの鼻先。空中で長い首を下げて器用にこうべを垂れたドラゴンは、大きな青い瞳に小さなわたしを映す。
「すみません。お断りします」
わたしは反射的にそう答えていた。
だって、血を与えるって死ねってことですよね?
嫌です。絶対に嫌です。全力でお断り申し上げます。わたしはまだ死ねない。死にたくない。なぜなら、王家の方々を追い掛けなければならないから! 来月には国王陛下の末の妹君がご出産予定。新たなる王族の方をこの目で見るまで死ぬに死ねません。
「ちょっと! 聖女は私よ! なんでそっち行ってんのよ! こっちに来なさいよ!」
純潔と清純さを兼ね備えたはずの花嫁聖女が喚いている。
けれどドラゴンは聖女のほうを見ようともせず、わたしの眼前から動かない。
「じゃあ僕が君の好きな人間の姿になれば、いい?」
そんな言葉が聞こえたような気がした瞬間、目の前のドラゴンの体が光り出し、眩しさのあまり反射的に腕で顔を守り目を瞑っていると、いつの間にか眼前には見目麗しい銀髪の人が立っていたのです。
「どうですか?」
現れたのは端正な顔立ちの背の高い男性。長く白い髪が風にそよいで陽の光に当たってキラキラと煌めいている。
その姿はまるで、何世代か前に異種族婚を成し遂げた王家の末裔のご子息のような風貌。美術館の肖像画でしか見たことのない麗しい御姿がそこにあった。
「わかってないですね。これだから素人は…」
わたしは深く深い溜め息を吐いた。
「わたしが好きなのは王家の方々であって、王家の方々の見た目ではありません。貴方がどんなに美しくなろうと、わたしが愛しているのは王家の方々だけです!」
断言しよう。わたしは心の底から王家を好きだと。
弟が腕を引いて小さく囁いた。
「姉さん……それだと王家に嫁ぎたいって聞こえるよ」
「えっ? そんな訳ないでしょ。わたしなんかが王家の一員になりたいなんて、考えるだけでおこがましいわ!」
静粛な会場に、わたしの叫びだけが響く。
懲りないドラゴンだったはずの男は、わたしの手を勝手に掴み、その甲に唇を落として笑った。
「僕が欲しいのは貴女だけです。貴女が求めなくても、僕は貴女だけを求めます」
その笑みを見た周りのお嬢さんやお姉さん方達は、盛れなく腰が砕けたようにその場に崩れ落ちた。
わたしはといえば、早くこの茶番を終わらせて王家の方々を眺めたい気持ちでいっぱいだった。
そんな王家好きのわたしと、めげない懲りない諦めないドラゴンとの攻防戦が、この日をもって火蓋を切られたのだった。
ドラゴンよりも趣味に生きたい。 狼丘びび @naminami99
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