第8話:想定外の来客


 ロンド、下層部ダウン・タウン――〝見放された再開発地区〟オーホー。


 そこは下層部の最も西部に位置する土地で、少し進めばそこは野盗と魔獣が跋扈する荒野だ。そんなワイルドランドとの境に、サマセット孤児院はあった。側に小川が流れていて、周囲には畑がある。


 きっと孤児院の子供や、シスター達が自給自足の為に耕しているのだろう。


 決して大きくはないが、小規模ながらも教会としても機能できるように鐘塔が突き出ており、真っ赤に染まった三日月の下の部分を隠していた。


 私は鐘塔の屋根の上から、上層部アッパーロンドを見上げた。下層部から伸びる無数の支柱によって支えられた空中都市。そこから流れ落ちる霧を見ていると、まるで天上人の住む場所のように見える。


 住んでいるのは……同じ人間なのに。


「感傷終わり」


 私はヘッドギアからバイザーを下ろすと、静かに鐘塔の中へと侵入していく。金属製の脚甲だが、魔蒸の効果で音を掻き消しているので、無音だ。


 静かに、確実にこの時間ならばターゲットがいるであろう私室へと向かう。


 五感を最大限に尖らせると、手に取るように周囲の状況が分かる。窮屈ながらも清潔な部屋で子供達が寝息を立てており、何人かの子は起きているのかヒソヒソと何かを楽しそうに話している。


 身体に纏っているアサシンドレスを通して魔蒸を吸っているせいか、感覚が普段よりも研ぎ澄まされたいくこの感覚が、嫌いではない。


 だけど、彼等、あるいは彼女らの平穏が今夜で終わると思うと、少しだけ胸が痛い。


 私は、予めアダムさんに用意してもらっていたこの孤児院の設計図を既に頭に叩き込んでいたので、最短距離で院長室――つまりミレイユさんの部屋へと向かった。


「……あれ、起きてる?」


 廊下の奥に見えるドアの隙間から光が漏れている。どうやらそのドアは相当に分厚いようで、中の音が聞き取りづらい。だが間違いなく、誰がいる。しかも一人じゃない。


 私は素早くドアへと近付くと、腰のポーチから、小さな歯車が組み合わさった、時計のような円形の道具を取り出した。それにアサシンドレスのグローブを通して動力源となる魔蒸を込めて、音もなくドアへと貼り付けた。


「はあ……ま……で……か。そう、何……も何度も同じ…………ろに卸すとこちらも疑……れるので……が?」


 何やら会話しているのが分かる。


 その道具――魔蒸を動力に微かな音を拾う集音器――を使ってその会話を聞き取ろうとするも、まだ不明瞭だ。


「外に回りますか」


 空いていた廊下の窓から外壁へと出ると、僅かな壁の凹凸を掴んで、院長室の窓側へと移動していく。この身体であれば雑作もない動きだ。


 窓の内側には分厚いカーテンがかかっているが、遮音性は低い。というかあのドアが不自然なまでに遮音性が高かった。……たかがの孤児院の院長室に、果たしてあれほど分厚く、遮音性のあるドアが必要だろうか。


 何か、胸騒ぎがする。


 私はさっきの集音器を今度は窓に貼り付けた。


「ボスの癇癪が日に日に酷くなっているんだ。すぐに用意しろ。金髪碧眼で、齢は六から十四の間だ」


 それはくぐもった男の声で、まるで――に喋っているかのようだ。声からしておそらく、かなりの巨体でかつ肥満気味。


「ですから……それでは私まで疑われてしまう、と言っているのです。イリス教会を通さずに行う孤児の密売は……死罪になるのですよ? 私が死んだら困るのは――貴方達〝下弦の豚騎士団〟でしょ?」


 これは、間違いなくミレイユさんの声だと分かる。だけど……おかしい。その声からは、資料に見えたあの善人で聖人なミレイユさんの影はない。


 その声には、でっぷりと脂肪がついているように感じた。


「我々の名前を軽々しく口にするな」

「誰も聞いちゃいないわよ」

「一人……五ペンド金貨を出す」


 五ペンド金貨といえば、中流階級の家庭なら一ヶ月は暮らせるほどの大金だ。


「……十よ」

「七だ。これ以上言うのなら貴様のケツに魔蒸をブチ込むぞ」

「……ふん、豚の癖に」


 金貨の入った袋が置かれる音が聞こえた。


「交渉成立だな。明日、いつも通りの手筈で受け取る」

「……分かったわよ。だけど今月はこれで最後よ。これ以上は本当に危ないもの」

「うちのボスに言うことだな」


 そのまま男がドアを開けて去っていく音が聞こえた。


 私はこっそり廊下側の窓に戻る。意味深な会話をしたその男が何者か確かめようと思ったからだ。


 そして窓越しにその男を見て――私は廊下へと飛び込んだ。


「っ! なんだお前は! う……ウサギ?」


 その男はでっぷりと太っているが、それ以上に不自然に膨らんだスーツを着ていた。蒸気と歯車の音が微かに聞こえるので、おそらくあの下に、何かを着込んでいるにいるに違いない。肩から古いタイプの蒸機銃をぶら下げており、どう見ても一般人ではない。


 だが何よりその男は――いつか見たあの豚の仮面の貴族と――


 血液がまるで逆流したかのような感覚に囚われる。声からして、あいつでないことは分かる。


 だけど、偶然同じ仮面を被った男がたまたま居合わせただけ――なんて偶然があるわけない。


 だから私は……その男を見過ごすわけにはいかなかった。


 男のその行く手を阻むかのように立つと、ゆっくりと腰の左右に付けたダガー……〝ハンプティ・ダンプティ〟を抜いた。


「――殺される前に答えて。お前のボスは……どこにいる!」

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