秒針が止まる時、君の心臓の音が消えた日

@Trap_Heinz

秒針が止まる時、君の心臓の音が消えた日

 四度目の夜。産声と共に、金色の光で肌を縫われた赤子が目を覚ます。脇には四つの時計が並んでいる。一つの時計の秒針が動きだす。他の三つは動かないまま。零時零分、一秒、二秒、三秒……。その瞬間、赤子は泣くのを止めた。その時計もまた、秒針を動かすのを止めた。

 その瞬間、この真っ暗な空間全てが真っさらな白色に染まる。それと同時に大量の時計が現れ秒針を刻み始める。

カチカチカチカチ……。ジジジジジ……。チッチッチッチッ……。ブーー……。

 様々な色形をした時計達が思い思いの音色を秒針に括り付け、時を刻んでいる。そしてこの時計達に囲まれ、一人のヒトの様な形をしたモノがぼうと現れる。蹲り、この空間に横たわっている。その脇に新たに現れた五つ目の時計の秒針は動いていない。



 一の有を祖とし、二の性(サガ)を持って神と成し、三本の光を織り、四日目の夜に子を成した。

 光を素に子は五つの色を持ち、次世代で無の性を授かった。名は五蘊(ゴウン)。色を持って生まれた彼は(ヒトと同様の性別を持ってはいないが、便宜上“彼”と指す)皮肉にも無色、華奢な身体に真っ白な肌と腰ほどまで伸びる真っ白な髪を持たされた。ただ、瞳だけは深いこの宇宙の深淵の様な青を纏っていた。

 この真っ白な空間に同化していまいそうな真っ白の彼は、また一つ時計の秒針の音が消えた事に気付く。

「あ……」

別に何か理由があって声を発した訳ではない。ただその現象に気付き、『今日もまた誰かが逝ったのか』そう思い声が漏れただけであった。

 空腹に似た感覚を覚え、五蘊は宙を見上げた。人々が見ている膨大な数の夢の中身が宙に浮かび見える。彼は彼らの夢を覗き見ている。

 まったく人間というのは面白い。夢という自分の描いた想像の中で自ら命を絶ったり、嫌いな人間から夢の中でも嫌がらせを受けて自分の心を傷つけたり、好意を寄せている人間と親密になる妄想に浸り、朝起きて現実との落差でまた自分を傷つけるのだ。彼らは自分が意識している(無意識だったとしても)事が夢に表れている事に気が付かないのか? もっと良い夢を見られる様に変わろう等とは思わないのだろうか。人間達が使う科学という物で夢の内容を抽出したり、意味を調べようとしている輩も居るらしい。馬鹿馬鹿しい。夢になんて意味も何も無いのに。

 五蘊は起き上がり、一つの夢へ飛び込んだ。宙に浮かんでいる無像にたいして“飛び込む”というのは、ヒトには理解が難しいだろうが。


「ヤバ〜い、こんなに食べたら太っちゃう〜!」

そう言いながらも、この女は一向に手を止める気配は無い。次から次へ彼女の前へ運ばれてくるスイーツを前に、自らの欲に忠実な僕と成り胃袋へ運び続ける。

「ん〜でも夢だから太らないでしょ! うまうま〜」

幸せそうに頬に左手を添えながら、右手の銀フォークは止まる事を知らない。稀に居るのだ、自分が今夢の中に居ると無意識に自覚している人間が。珍しい事ではない。

 この人間の通うレストランと呼ばれる場所。この女の後ろのテーブルに居る人間に注目してみて欲しい。こっちだよ、今そちらを振り返って手を振っている。そう私だ。

 五蘊は椅子から立ち上がり、まるでストップモーションアニメの一コマの様に『右手にワインボトルを抱え、客席に向かっている途中』の状態のまま固まっているウェイターの横に立った。

「見ての通り、夢を見ている人間が描いた部分、そして当人だけがこの世界で動き、生きている」

バクバクとマカロンを大量に口へ詰め込んでいる彼女を余所目に、ウェイターが持っていた赤ワインを腕から抜き取り、コルクを“消した”。そして徐に瓶に直接口をつけ一口飲んで見せる。

「まぁご覧の通り、中には何も入っていないんだ。もし彼女が『ワインも飲みたい』とでも望めばこの中身も作られるんだろうけど」

そう言いながら彼は瓶のコルクをまた“戻し”、ウェイターに返してあげた。

「では少し実験してみよう。彼女の隣にもう一人女が座っている。この夢の登場人物は二人だけだ。見ている本人と、彼女の友人らしい女。この友人は自分より少し顔が劣っていて、それでも親しげに傍に居てくれている都合の良い“ともだち”らしい。嫌だね人間の優劣を付けたがる性根は。まぁ良い、では彼女の顔を“消して”みよう」

そう彼は言い、その友人の女の顔を文字通り跡形も無く消してしまった。だがこの女が夢の中で死んだ訳ではない。


「おはよ〜……」

「おはよ、のぞみ〜」

昨日の夢の持ち主である『のぞみ』と呼ばれた女は、夢の中で一緒にスイーツを頬張っていた友人と朝の学校の校門前で落ち合った。

「ん〜……」

「どうしたんのぞみ?」

「いや、昨日めっちゃ良い夢みたんだけど、何か思い出せないんだよねー……」

「どんな夢見たん?」

「高級そうなレストランでさ、スイーツの食べ放題みたいなのに行ってひたすら甘い物を食べまくる夢」

「めっちゃいいじゃん!」

友人は無垢な笑顔を向ける。

「いやそうなんだけど、誰かと一緒に行ってたんだよね。でも全然誰なのか思い出せない。私の左に確かに座ってたはずなのに」

「私だったりして?」

「あー……? うーん……、私の後ろをウェイターさんが行ったり来たりしてて、それでこっちに手を振っている白い髪の女の人……。あれ、でも私は正面を見ているのに私の背中に手を振ってきてる……?」

「なんじゃそりゃ」

「あーもうめっちゃ甘い物食べたい! 今日原宿寄って帰ろ!」

「朝からもう帰りの話かい!」


その瞬間、世界は静止する。のぞみと呼ばれた女の横に五蘊が立っている。

「この世界も、私にとっては夢みたいな物。だから私もこうやって現れる事が出来るんだと思う、多分」

五蘊は右手に持った昨日の夢の断片、その友人の頭部へ食らいつく。一口噛んだだけで、その夢は灰の様にさらさらと消え去っていく。

「うーん、甘い。すいーつ、というのはこういう味なのか?」

五蘊は少し口角を上げながら笑う。

「そう、私はあの真っ白な空間で、ニンゲンの夢を食って生きている。気が遠くなる程の時間を」



 今日もまた白い空間に横たわり、五蘊は空に浮かぶ夢達を眺めていた。

「やあ。今日はやけに多くの人間が死んで逝っているね。戦争でも起きたのかな? 別に興味ないけどさ」

右手を宙に走らせ、一つの夢が目の前まで降りてくる。

「なんだこの女?」

なんと無く目についた一つの夢へ、気怠そうに身体を起こし侵入する。


「かぁわいい〜〜……」

一人の成人女が暗い部屋の小さなテーブルに置かれた、ノートパソコンと呼ばれる機械を食い入る様に見ていた。その機械の中で、人間をデフォルメした様なキャラクターが喋り動いている。どうやらこの女はこのキャラクターのファンらしい。

 次の瞬間、世界は切り替わる。この女が機械の中に入り自分自身がそのキャラクターを演じて喋っているのだ。コイツ、夢の中で夢を見ているのか。なんて面倒臭い女なんだ。

 最近この手の夢をよく見る。いんたーねっとと呼ばれる線で世界中は繋がっているらしい。この地球の真反対にいる人間ともリアルタイムで話したり遊んだりする事が出来るらしいのだ。そしてこの女は、自分の憧れの対象であるインターネット上で活躍しているバーチャルな存在の彼女の横に立ちたい、そう心のどこかで望んでいるのだ。だが反面、自分はそういう人間では無いと諦めてもいる。だから夢の中で夢を見ているのだ。

「六聞ミズホ先輩!」

そう彼女が言った瞬間、世界は再び暗い部屋に戻ってきた。パソコンの画面には、どうやらその憧れの人間と活動を共にするチャンスを手に入れられるらしい応募用のページが表示されている。

「ジレったい女だな」

その女がクリックするのを躊躇っている『応募する』ボタンを何となく押してあげた。

 その瞬間夢が終わった。恐らく飛び起きたのだろう。私はクスクスと笑いながらまた真っ白な空間へ戻って来ていた。


 最近気づいたのだが、私はどうも夢を食べなくても生きていけるらしい。人間の様な食事をしなくても良いらしいのだ。何故今まで延々と食べ続けていたのだろう。興味本位か? 私にそんな立派な動機があるとは思えないが。

 夢を食べれば味がする。人間でいう“満腹感”、“腹がはち切れそうになる”、“食った物が戻りそうになる”というのは経験した事がない。過去に数回…いや、数えきれない程の回数、一気に大量の夢を奪い食ってみた事があるが、口の中が様々な味で上塗りされて気持ち悪くなるだけでその満腹感は得られなかった。そして夢を食って何かしら私の活動の源になっている気配も感じない。同時に私が存在している理由も分からなくなってきた。


 いつもの無限に広がる真っ白な空間。

 ここ数日……いや、何ヶ月、何年経ったのか分からないが、私は夢を食っていない。暇つぶしに夢を覗いてはいるが。これが暇というやつか。人間は社会・宗教・金・地位・名誉、その他何かに理由を付けて付けられせっせと短い百年も保たない身体を酷使して生きている。可哀想、とは思わない。私が見てきた人間はずっとそうだった。人間が現れた時から。

 私は人間の世界に降りた所で所詮それは『私の夢の世界』。彼らに干渉する事は出来ない。それは何度か、これは本当に数回しか試してない。別に関わりたくもない。だが私にもインターネットという物があれば、ここから繋がれたり出来るのだろうか。良い暇つぶしにでもなるんじゃないだろうか。そんなしょうもない思考をポイと捨て、今日もまた人の夢を見る。


 またしてもパソコンと呼ばれる機械を見つめている女だ。ここで一つ言いたいのだが、私は別に女の夢だけを食ったり覗いたりしてる訳ではない。今までの経験則での話だが、男の夢は抑圧された暴力や、性的な夢ばかりで面白くない。ただそれだけだ。想像力が乏しいのか何なのか。まぁいい、この女の観察を続けよう。

 この女もまた画面に映るキャラクターのファンらしい。いや、ファンというより、恋に落ちている様だ。画面に映る女らしきキャラクターは薄い青の長髪を後ろで結い、上瞼には黄の化粧を乗せ、ロングコートと胸部が強調された衣服を纏っている。どことなく私に顔が似ている気がした。人間の世界を見ていると、同性に好意を抱く事は大分受け容れられるようになってきた様に感じる。少し前(私の感覚で、であるが)では法や宗教がそれらを厳しく制限していたり、その余波がずっと後世まで続いていたイメージであった。私も、男と女同士が好み合い、子孫を残していくだけのシステムだとずっと思っていた。

 そしてこの女もまた同性を、しかもインターネット上で動いている架空の人間に恋しているのだ。本当に面白い生き物だ人間というのは。

 ……だがこの女の夢は動かない。画面に映る彼女を夢の中でも見ていたい。そういう願いなのだろうか? 夢の中でくらい好きにすれば良いのに。そして私はいつもの様に他人の夢で遊んでしまう。彼女を、憧れのそのキャラクターの真横に置いてあげた。


「え……あああ団長!?」

「ん? どうしたんだい?」

驚愕する彼女に、その団長と呼ばれたキャラクターはそっけなく返す。だがその言葉に冷たさは無い。

「あっ……」


 その瞬間、夢は終わってしまった。驚きの余り起きてしまったか。面白い女だ。そう思ってしまい『私の人間界』へ入る。そしてその今目覚めたばかりであろう女の元へ降りた。


 ベッドの上で汗だくになり上半身を起こして放心している。大丈夫か……? と一瞬心配したがそれは全く不要であった。

「ツイートしなきゃ!!!」

そう彼女は一人で叫び小さなパソコン(すまほ、等と云ったか)を取り出し、何やら文章を打ち込み始めた。

『ヤバいヤバい! 夢の中で団長の横に立って話しかけられちゃった! ウヒョアアアアア』

息を荒げながら彼女は気持ち悪い程のスピードでその文章を打ち込み、Tweetボタンをタップした。

「ヤバ……」

彼女は再び一言溢した。

「これはッ創作が捗るッ!!」

ベッドから勢いよく飛び起き、椅子に飛び乗りデスクのパソコンを起動した。そしてそこでも気持ち悪いスピードで文章を打ち込み始めていた。

「夢ごと、私を盗んで……」

ボソボソと呟きながら書き続けている。彼女の横に五蘊が立ち、モニターに映る文章を覗く。

「夢を盗んだつもりが、夢の持ち主、私ごと奪われて……なんじゃこりゃ?」

五蘊が隣で首を傾げる。

「あーヤバい、めっちゃ夢女だ私〜〜」

その子は自虐しながらもニヤニヤと笑いながら、楽しそうに文章を書き続けていた。あの一瞬見た夢だけで彼女はここまで没頭してしまうのか。だが彼女のその嬉しそうな表情に、どこか興味を唆られた。


「お、今日も団長さんの夢を見てるねぇ」

彼女の夢と現実の姿を覗き見る事が私の日課……もとい、楽しみになっていた。今日の夢の中で彼女は、その団長と呼ばれるその女と一緒に映画を観に行く夢を見ていた。彼女は上映中ずっと隣に座っている想い人の存在に浮き足立っており、映画なんて一切入ってきていなかった。実際夢の中でも、劇場のスクリーンはずっと幕が降りたままで何も映っていなかった。だがその想い人はキリとした表情でスクリーンを食い入る様に見ており、たまに驚いた様な表情や、登場人物に同情するような表情を見せていた。彼女はその左顔、私はその反対右側から顔のいい“団長さん”の表情を眺めた。

 目覚まし時計のアラーム音で、彼女は起きてしまった。映画デートのその後は、また明日のお楽しみという訳だ。彼女は毎日見た夢を詳細にスマホ上にメモしていた。今日もまた記入し『丁度映画が終わったタイミングで目が覚めてしまった! F●CK YOU弊社! 社畜に幸あれ』と謎の文章を最後に書き足した。


 その日の夜。また団長さんの夢を見ていた。だが希望通りの映画後デートの様子ではなく、一緒にスイーツを食べに行く夢だった。

「あ、あの、団長のそれ、一口貰ってもいいですか?」

「ん? 全然良いよ」

「あのあの……あーん、してもらってもいいですか……?」

「しょうがないなぁ……」

この女もスイーツか。いや、どうやら夢を見る前に、想い人は意外にも甘い物好きというのを彼女の配信で知ったらしく、その情報が優先され夢を形成したのだろう。単純だ、単純すぎる女だ。

 翌朝、いつもの様に夢の内容をメモしながら「一緒におうちスイーツ作りデート……ありだな」と気持ちの悪い笑顔を浮かべながら欲望を言葉にして溢していた。五蘊は面白がりながらも、ここまで相手が好かれるのを疑問にも思い始めた。


 また次の日、またこの女は団長さんの夢を見ていた。つい魔がさした五蘊は、その想い人の顔を“消して”しまった。のだが。

「はぁ〜また団長の夢を見てしまった……幸せすぎてヤバい、そろそろ死ぬんか?」

起床後早々独り言を溢す……団長の夢? 私は確かに彼女の夢の中でその団長さんの顔を消したはず……。

「なんだか誰と一緒だったか分かんないけど、多分団長だったんだろうな! ヨシッ!」

なんて女だ。夢の内容を自分の妄想で補いやがった!

「……ぷっ……、んふ、っあっはははは!! あーはーー……!」

その現象があまりにも面白くて、生まれて始めて、誇張で無く本当に始めてここまで笑った。笑いすぎたら涙が溢れる事も始めて知った。人間に関心を抱く事も、偶には良い物だ。


 それから数ヶ月経った、相変わらず彼女は毎日の様に“団長さん”の夢を見ている。彼女は夢の内容を元に小説にしたり、下手な絵を書いたり、更に最近では粘土を使ってフィギュアまで作り始めてしまった。なんだか宗教の始まりを見ているような気分だった……。

 偶に会社で起こしたミス等を夢の中でもリピートして自虐していたので、夢を消してやったりもした。私の気まぐれな偽善だ。

 そして今日の夢はまた特殊だった。彼女はバスという交通機関に乗りどこかを目指している。どうやら明日、彼女の愛する団長さんのライブと呼ばれる集会的な催しがあるらしく、夢の中でも律儀に会場までの道順をシミュレートしていた様だ。無事に会場に着いた様で、何故か私もほっとしてしまった。


 彼女はいつもの出社時間より一時間も早い目覚まし時計の音にも機敏に反応し、すぐに起床した。

「……サイフ、スマホ、チケットのQRコード……大丈夫!」

昨晩バッグに詰め込んだ物を一度ひっくり返し、持ち物を再確認し意気揚々と家を後にした。

 脳内シミュレート通り、電車を乗り継ぎ、会場まで直通のバスにも定刻通り乗る事が出来た。彼女はバス後方の右窓側の席についた。

「バスという乗り物は、デンシャという物よりずいぶんゆっくりなんだなぁ」

漠然とした感想を抱きながら私も彼女の横に立ち、窓の外を流れる景色を眺めていた。気持ちのいいカラっとした晴れ空だ。人間界の天候について、こんな感想を抱く日が来るとは。

 彼女はいつもの様にスマホを取り出し『会場もうすぐ! 物販並ぶぞー!』とツイートを残した。

 その瞬間であった。轟音と共にバスの車体が浮き上がった。

「え?」

「え?」

私も彼女も同時にそう溢した。一瞬彼女と目が合った様な気がした。彼女の手を離れたスマホが私の身体をすり抜けて左へ飛んでいった。彼女の身体は勢いよく吹き飛ばされ窓を突き破り、先にあった信号機の柱に叩きつけられた。


「ハッ!?」

仰向けの状態で五蘊は目を覚ます。気付くと真っ白な空間へ戻されていた。

「アイツは!? アイツはどうなった!?」

辺りを見渡す。その時、また一つの時計の秒針が止まる。

「ああ……あああああぁ……!」

五蘊のすぐ左隣に置かれていたその時計を力なく拾い上げた。時計のガラスの外枠にボロボロと涙が落ちる。

「そんな……あんまりだ……アイツはこの日をどれだけ待っていたと……」

私はすぐに身体を起こし、人間界へ再び飛び込んだ。


 バスの左側から巨大なトラックが突っ込み、バスは大きく曲げられ、吹き飛ばされていた。私は彼女の元へ降り立った。袋に詰められ担架に乗せられているのが彼女だとすぐに分かった。

「これは、ここは私の夢の世界なんだ。この事故をなかった事に……どうすればいい? せめて彼女の傷を治して……」

救急車へ運ばれる彼女の横で、五蘊はいつも夢の中で世界を変える時と同様に、頭の中で傷一つない健康で元気でいつもみたいにはしゃぐ彼女をイメージし、そしてその遺体袋に右手を翳した。だが、やはり何も起こらない。

「ここは私の夢……だけど彼らにとってここは生きる現実……。私が干渉出来るのはやはり空想の夢の中だけ……」

救急隊員や巻き込まれた人、野次馬でごった返す交差点で、呆然と立ち尽くす。

「私は何の為に生まれてきたんだ……。人間の夢の中でしか存在出来ないニンゲン擬きの、私は何なんだ!?」


「……一緒に映画を観たかった。一緒にシフォンケーキを作って食べたかった。一緒にゲームをしたかった。怖がるキミを眺めていたかった……。恋だってしたかった、ヒトに好かれてみたかった……好きになってみたかった……」

五蘊はまた永遠ともつかない時間を泣き続けた。

「何で、何の為に私を創ったんですか……」

床を流れる止めどない涙は彼女自身の髪を青く美しく染め直してしまった。

「行きたい、人間の世界に。生きてみたい、人間として……」


 人間の心臓に当たる部分、胸が熱く、炎の塊でも吐き出しそうな程に熱く燃え上がる。嗚咽と共に声が溢れ出てくる。

「これが……心?」

五蘊と共に生まれた時計が秒針を刻み出す。

「あぁ、そうか。私は心の無い五つの色の塊。食べるだけじゃダメだったんだ……。やっと心を手に入れられた、夢を持つ事が出来た……。この為だけに私は……」

力なく地面に倒れ込む五蘊。次第に時計の秒針の動きが鈍く詰まり出す。五蘊の身体も形を保つ事が出来ず白い空間と一体と成っていく。

「さよなら五蘊。おめでとう、六つめの“夢”」

そして五蘊は、時計は動くのを止めた。



「ん〜ロクムかぁ。読みにくいから六夢(リクム)でも良いかな?」

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