第36話 第二次日清戦争と大東亜共栄圏

 明治23年(1890年)


 北京にて清の正規軍である北洋軍(西洋式軍隊)および満蒙八旗の騎兵隊などが列強連合軍を迎撃したが、圧倒的な西洋列強の火力に敗退。一向一揆勢も死を恐れぬ戦いぶりを見せたが、その装備は青龍刀や火縄銃が中心である。後装式ライフル銃を装備している西洋列強軍とは射程や威力で各段の差があり、一方的に打ち崩されるばかりであった。


 列強連合軍は北京に入城し、籠城していた西洋各国の外交官を救い出すとともに、城内の略奪に明け暮れた。特に日露両軍は事前に総理衙門などの国庫の重要部門を正確に把握してあり、真っ先に白銀300万両や兵糧40万石などの戦利品を鹵獲。ロンドンの新聞に「まさにロシア、タタール直伝の略奪術」と書かれてしまう始末であった。なお、イギリス軍もきちんと美術品を回収して大英博物館に持ち帰っている。


 西太后は軍事的な敗北を見て方針を180度転換。皇帝を解放しすべての責任を一向一揆やそれに乗せられた大臣にかぶせることで、列強と和睦することになった。それを主導したのが西洋列強軍とは一切戦わずに勢力を温存した袁世凱えんせいがいである。袁世凱は北洋軍や北洋艦隊の幹部を次々に摘発逮捕してその軍を奪い、大清帝国の執政として実権をふるうことになる。


 だが、収まらないのが裏切られて捨てられた一向一揆たちである。袁世凱の西洋式軍隊に狩られ、追い詰められ、だんだんと勢力を減じていったが、彼らは清朝に幻滅し、扶清滅洋そんのうじょういを捨て、滅満興漢まんしゅうをほろぼすを旗印に掲げることになる。



 ◆ ◆ ◆



 さて、一向一揆の乱も終わったため、西洋列強連合軍は清国から撤退することになった。撤退することになったが、満洲には日ロ連合軍が居座り続けている。それどころか清国の地方長官と直接交渉して鉄道まで作り始めたのである。明確な植民地化宣言であった。

 

 これに猛然と抗議したのがドイツとイギリスである。イギリスはバルカンでもインドでも極東でもロシアの封じ込めが国是である。ドイツはもともとロシアとはオーストリアを巻き込んだ三帝同盟を組んだ同盟国であったが、結局バルカン問題でオーストリアとロシアの反目を制御しきれず、同盟は瓦解。改めてドイツ・オーストリア・イタリアの3国同盟を基礎に対ロシア外交を組みなおしているところであり、そこにイギリスを引き込むのが独皇帝ヴィルヘルムの狙いであった。

 

 イギリス、ドイツの両国はそれぞれの同盟国や植民地を動員してロシア包囲網を形成、清国へのさらなる南下を食い止めようとした。

 

 これに対し、ロシアはフランスとの同盟を選択。共和主義者と組みたくないとアレルギーを炸裂させた日本を説得し、対英対独を目的にした仏露同盟の締結にこぎつけたのであった。なお、未だに日本はロシアの保護国扱いであり、欧州での外交はあくまでのロシアとフランスの間で行われているのは明記が必要である。


 こうして、独英陣営と露仏陣営が満州の扱いで決裂……するかに思われたが、実際にはそうはならなかった。


 独英陣営はいずれもお互いをロシアにぶつけようと策謀を繰り返すばかりでゆるい連携から本格的な攻守同盟にまで進めなかった。お互いともにドイツは山東省、イギリスは長江流域を勢力圏にすべく忙しかったためである。

 

 そうこうしている間にロシアは新疆、外蒙古、内蒙古、満洲、朝鮮を勢力圏に置くことに成功し、さらにフランスからの投資で鉄道を伸ばし、工業を強化しつつあった。これまた日本は釜山を租借して対馬海峡を抑えると、琉球国、明国と対等な同盟を締結。この同盟陣営を大東亜共栄圏と呼ぶことにした。大東亜共栄圏諸国はロシア植民地向けに茶やコメ、砂糖、織物、陶磁器などを輸出し、石炭や木材羊毛などを輸入することで経済を発展させつつある。このまま時間さえあれば更なる近代化が成し遂げられるはずであった。


 ◆ ◆ ◆


 明治37年(1904年)


 福建省で滅満興漢まんしゅうをほろぼすを掲げた一向一揆が発生。福州府を占領して福州浄土真宗念仏国を樹立し、これが即日明国に降伏した。


 明国は大陸に戻れる絶好の好機が訪れたとばかりに即座に台北から2個連隊を派遣、清国に宣戦布告した。浄土真宗念仏国政府は援軍を得て大喜びで福建省全土に兵を派遣、清国の福建総督軍と争い始めた。


 これに驚いたのが近くに勢力圏を持つイギリスとフランスである。早速ロシアに警告が飛ぶが、ロシアも全く寝耳に水の話であり、「一切興味はないし、艦隊も台湾海峡に送るつもりはない」「むしろイギリスやフランスがこの機会に福建省を植民地化することのないように望む」と宣言。西欧諸国はお互いに警告を送りあって動けなくなった。


 清国は袁世凱の西洋式軍隊4万を中心に、8万の大軍で福建省を防衛すべく進撃したが、地元の一向一揆が激しく抵抗。さらに日本連邦が安芸師団の派遣を決定、琉球国からも那覇親衛第一連隊が派遣され、大東亜共栄圏連合軍は4万を超える兵力をかき集めた。厦門での決戦は大激戦となったが、なんとか連合軍が清軍を撃退した。


 さらに清国北洋艦隊の定遠と鎮遠が多数の巡洋艦駆逐艦を引き連れて台湾海峡に突入、日本艦隊にリベンジマッチを挑んできた。しかしこれに対して同じくリベンジのために戦艦を建造していた日本艦隊は「幸運者シャストリフチク」東郷提督の乗る戦艦三笠を先頭にこれを迎撃。旧式化していた北洋艦隊をことごとく海底に叩き沈めてしまった。


 これにより、清国は福建省を明国に割譲することでの和睦に合意、戦争は終わった。


 一向一揆はそのまま広東や浙江省になだれ込もうとしたが、イギリスとフランスが福建省の外に出兵した場合は参戦すると通告してきたため、断念。一揆衆は軍旗をすべて外して解散した。

 なお一揆衆は平服を着て広東や浙江に徒歩で浸透、もちろん改めて挙兵するつもりである。以降、清国全土で革命の嵐が吹き続けることになる。


 なお、明国の強い要請により、福建省に参議院サンギ・ソヴィエト議員大谷伯爵が呼ばれ、本願寺福州別院を再建することになる。主な仕事は過激化した一向宗の再教育である。

 

「……これは念仏なのか……??」


 現地入りした大谷伯爵は弥勒信仰や阿弥陀信仰が漢族の民間信仰などと混ざって、謎の教義を持つに至った福建一向一揆を見て驚き、かつどうやって取り組むか真剣に悩み始めた。まずは一揆の長老たちとじっくり面談し、念仏とは何かを一緒に考えるのだ。


「まず弾が当たっても死なないお札や、病気を治す水はちょっと捨てよう、いや、効果ないよね!?」

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