第6話 黒部山麓の松平元康

 永禄13年(1570年)春。越中の黒部立山の山々からはまだまだ冷たい風が吹き下ろしていた。

 ぶふぇっくしょん!! 温暖な三河から出陣した三河兵の面々が寒さに震え、次々にクシャミや咳払いをしている。


「殿、いったい我らはなぜこのような日本の裏側に来ておるので……」

「上杉討伐のためと申しておろうが」

「上杉討伐ならば越後では……」


 松平元康も爪を噛みながら震えている。ええい、このように寒いのであれば冬支度をしてくればよかったわい。


「南無阿弥陀仏ー、南無阿弥陀仏ー」


 時ならぬ称名念仏の声にふと見やると越中一向一揆、いや越中門徒の皆様が武装して仏の名前を唱えている。浄土真宗の方々は一向宗と呼ばれるのを嫌っているようで、真宗もしくは浄土真宗と呼べと言っている。

 まったく、念仏は本願寺の専売ではないわい。と元康は思った。何が真の浄土宗だ。こっちの浄土宗のほうが本家じゃわい。


「南無阿弥陀仏ー」

 なぜか対抗心を抱いた元康が念仏していると、「ごせいが出ますな」と富山城主の神保越中守長住がよってきた。


 この神保家というのもなかなかややこしい連中だ。富山を中心に越中中央に勢力を張っている家だが、越中東部に勢力を持つ宿敵の椎名家が上杉に従属したため、長年反上杉として武田と結んで頑張っていた。しかし、ひとたび武田の調略により椎名が武田方に寝返ったとたん、神保家は上杉につく、つかぬで前当主と嫡男の間で骨肉の争いになり、今は前当主の長職を追放した嫡男の神保長住が当主となって武田方についているのだ。


「音に聞こえた松平の強兵、頼りにしておりますぞ。京では上洛軍の先頭に立ち、三好兵をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍であったとか」

 誰だそんな大嘘を流すのは。元康は苦虫をかみつぶしたような顔で長住のおべんちゃらを聞き流すと答えた。

「まぁ、今に尾張からも援軍が届きまする故、さすればお味方の人数で謙信めの手勢も上回りましょうぞ、クシュン」

 

 そもそも武田と和睦して武田に後方で反乱を焚きつけられた上杉となぜ武田についている松平が戦っているのか説明が必要であるが、結局のところまったく和睦を守らない武田に激怒した上杉が北条と和睦してしまったせいである。


 北条上杉による対武田同盟という外交の革命は武田に大きな痛手と思いきや、武田はもともと上杉を裏切るつもりで動いていたので大した方針変更にもならず、むしろ佐竹、里見、宇都宮と言った上杉方の反北条諸侯は北条との和睦を受け入れられず、そのまま武田に鞍替え。

 結果的に上杉謙信本人が関東に乱入しなくなっただけで、北条に対する圧力はほとんど軽減されなかった。


 一方、武田は平然と上野、駿河で攻勢に出ており、さらに越中には従属したばかりの松平軍を放り込んだ。というわけである。


「尾張からの援軍でございまするか……甲斐からも?」

「いや、甲斐からは来ぬ、我らだけだ」

「………」


 神保長住の顔に浮かんだ不安の色を見て、元康は心中穏やかではなかった。

 越中飛騨三河尾張からこぞって援軍が来るのに、一体何が不満なのだ。上杉ぐらい我らだけで討伐してくれるわい。


   ◆ ◆ ◆


 神通川は雨であった。


「酒井将監殿お討ち死に!」

「長澤松平政忠殿、忠良殿ご兄弟御行方知れず!」

「瀧脇松平宗次殿敵将と相打ち!」

「松平惟信殿討ちとられおわんぬ!」


 もう、親指の爪はない。


「ええい!下がるな!戦え!進まんか!攻め太鼓だ!攻め太鼓を叩け!」

「殿!お引きください!もはやこれまで!」

「うるさい!貴様それでも武士か!敵に背を向けるか臆病者!」


 ようやく到着した上杉謙信の越後勢は小勢であった。上杉から決戦を仕掛けてくるはずもないと考えた武田方は、尾張からの援軍が遅れていることもあって神通川沿いに陣をはっていたのであるが……


 雨に紛れて強襲された。連合軍の間の連携の弱いところをさんざんに引っ掻き回され、戦況もよくわからず、謀反の噂などがあちこちに流れ、潰走しつつある。


「なに!臆病!臆病と言ったか殿でも許さん!」

 激怒した三河侍に掴みかかられ、兜をもぎ取られてしまった。


「おい!何をするかこのうろたえ者!それがしの兜を返せ!」

「この兜は恩賞の前渡しに貰っておく!さぁ、儂が臆病かどうか見ておるがよい!」


 というと三河侍は単騎で敵陣に斬り込んでいった。


「やぁやぁ、我こそは三河岡崎の住人松平蔵人佐……」


 たちまち越後兵の槍で突き伏せられ、首を取られる。敵陣で「松平蔵人討ち取ったり!」と凱歌があがり、もはや勝利が確定と上杉軍の進撃が緩む。


「殿、今のうちに」

「……分かった」


 呆気に取られていた元康は側近に促されてようやく指揮を執ることを思い出した。いかん、このままでは皆犬死だ。

 元康はカブリと親指に噛みついた。痛い。痛いのでこれは現実だ。それがしはまだ生きておる。……生きておればまだ何とかなる!


「退き上げじゃああ!」



   ◆ ◆ ◆


「殿おおおお!! 此度は拙者の不始末にてとんだ失態! こうなれば切腹してお詫びを!」


 清洲城。ぼろぼろで逃げ帰った元康に真っ先に駆けつけてきたのは木下藤吉郎であった。尾張衆は結局越中富山にはたどり着かなかったのだ。


「黙れ、貴様切腹するつもりなどないだろうが」

「……いえ、本心で。いやぁ、誠に恨むべきは美濃の太守一色右兵衛(斎藤龍興)にございますれば!!」


 尾張軍が合流できていれば、あれだけ無残に負けはしなかったと思うと痛恨事であるが、木下が悪いわけではない。こうならないように元康はもとから事前に一色方に確認をし、迷惑料も支払って尾張から美濃を通って越中へ直行できるように、話をつけてあったのだ。それを。


「きやつら、我らがいよいよ通行しようとしたその時に先代義龍の法要があるから軍の通行は遠慮せよと!!」


 そもそも他国領内を通行できる前提で作戦を考えた我らも甘いとはいえ、かねてから交渉してあったにもかかわらずなんという言い草。しかもそれに抗議をすれば「松平の都合で我らの法要を取りやめろと申すのか!」と逆に責めてくる始末。


「いずれにせよ、一色には思い知らせてやらねばなりますまい!なりますまい!我ら尾張衆には全く何の咎もありませぬゆえに!」


 いつの間にか言っていることが真逆に入れ替わっているが、しかしそういうことにしておいた方がいいだろう。帰国当初は三河兵と尾張兵で責任を押し付けあい、斬りあいの大喧嘩になりかけたということもある。

 ここで尾張兵の責任を問えばもともと尾張兵を快く思っていない三河兵がどれだけ暴走することか。尾張兵とて大人しく斬られるわけもなく家中は大乱になるだろう。誰かに責任を取らせなければならない。できれば他家に。


「そうだ、すべての責任は一色にある!もはや交渉など生ぬるい!直接咎めを負わせるべし!」


 元康は家中に向けて美濃の一色竜興こそが敵であると高らかに宣言した。わかりやすい敵は家中統率に必要なのだ。


   ◆ ◆ ◆


 なお、武田はぼろぼろに打ち破られた神保と松平には言葉ばかりのお悔やみを申し上げたうえで、上杉謙信のいない関東および駿河の両戦場でさんざんに北条軍を打ち破り、東駿河の要衝興福寺城を抜き、ついに駿河を統一してしまった。

 上杉軍は泣きつく北条に引っ張られる形で神保にとどめを刺さずに講和して関東に急いだが、結局は興福寺の陥落に間に合わず。いったい何のための同盟かと上杉と北条がいがみ合う始末である。

 最後は信玄坊主が笑う時代なのであった。

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