第4話 加増交渉松平元康

 永禄11年(1568年)、一揆勢との戦いで風雲急を告げる尾張国首府、清洲城内の奥の間。松平の重臣のみが入室を許される場所で怒号が響いた。


「そなたら今川屋形への忠義はないのか!」

「ございませぬ!!!」

 親の仇に噛みつかんがような勢いで言い募る家臣の剣幕に、ううむ、とたじろぐ元康。


 ことの発端は武田家臣の加津野隠岐守(真田信尹)というものが持参した一通の密書。「武田屋形に合力し、今川を討伐すれば三河・尾張の2国を安堵する」との誘い。それを聞いた松平家臣たちが大喜びでぜひ寝返りましょうと元康を問い詰めているのだ。


「落ち着かんか、浮足立ちすぎじゃ。そもそも武田が約束を守るとも限らんぞ!」

 元康がなだめるが、家臣はさらに食いついてくる。


「そもそも、殿こそ今川の一門、親族と呼ばれ浮足立って居られる! 現実をご覧めされい! 実際にはここ数年加増の一つもなくこき使われておるだけですぞ!?」

「左様左様、我らを真に今川の一門親藩として迎えるつもりならば、岡崎を真っ先に返還し、その上で大いに加増あるべし!」


 結局のところ加増がないのが不満なだけではないか、と元康は思う。所詮代官に過ぎないし、今川への上納もあるとはいえ清洲の城代は岡崎領の数倍の実入りがある。尾張半国の奉行人として率いる兵も無理をすれば万を超える。もともと外様の松平が今川でこれだけの厚遇を受けているというのも異例のことではないか。


 と元康が述べたところ家臣に万倍言い返された。


「ならばなぜ! 今だに岡崎に今川の代官がおるのですか! 本貫の地を質に取られているようなものです!」

「殿のご家族も駿府にとどめ置かれたまま! 今川が我らを信用しているというのならば岡崎を返すべし!」

「そうだ岡崎!」

「岡崎ぃ!!」


 元康は逃げ出した。


   ◆ ◆ ◆


清洲城内。新しく普請された少し手狭な板の間の中心に、火をかける場所があり、鉄瓶の中に湯が沸いて湯気が立っている。


「おや、松平殿。何かお悩みですかな?」

「いえ、すこし家中のことで」


カポンと心地よい音を立てて清洲の城主、尾張守護斯波義統が柄杓を操る。上洛軍に同行した短い京暮らしの間にいつの間に覚えたのか、茶道を用いて元康に茶を点ててくれるようになっていた。


「松平殿が家中のことでお悩みとか! 三河衆と申せば主家への忠義が第一、犬のように主君に付き従い、敵には吠えると言いますが」

「いや、あれは初めての京が恐ろしくて元康の後ろをジトッとついて歩いていただけで別に忠義を尽くしているわけでは……」


「ジトッ、ジトッとと申されるか、くはははは」


 京でおっかなびっくり歩いている三河兵の様子を思い出して笑いの壺に入ったらしく、斯波義統が大笑いしている。面白くなどないわい。そもそも、本貫の地にこだわっているだけで、主君など誰も気にもかけてすらおらんではないか。


「ははは……まぁ、お悩みがあるとしても松平殿のこと。すでに解決方法も心におありでしょうに」

「まぁ、無くはありませぬが、非常に難しい」


 結局、うるさい家臣どもを岡崎に帰してやれればいいのだ。清洲城代の地位や代官の役得ならば多少手放してもよいので、岡崎だけでも返還してもらえれば。そうすれば家臣どもも落ち着くし、知行問題も解決する。


「悩んでおっても解決はしませぬぞ。解法があるならばそれにぶつかってみるしか有りますまいて」

「ううむ」

「何がううむ、ですか。剛毅果断な松平殿らしくない」


 ぶつかる? 氏真様に直訴か?? しかしこの状況で岡崎の返還を頼むのは……いや、この状況だからこそ許してもらえる可能性がある? 


 元康が悩みに悩んでいるころ、斯波義統はうまく行ったら次の茶器は何を買おうかなどと考えていた。懐には甲州金の小袋が。



   ◆ ◆ ◆


 

「蔵人佐! 乱心したか!! この愚か者めが!」

「いえ、拙者は!?」


 駿府。戦況報告と家族に会うために元康は駿河に出向いていた。今川屋敷に参上した元康は、氏真への報告を済ませると機嫌のよさそうな頃を見計らって恩賞として岡崎をねだってみたところ。氏真が激怒した。氏真にしてみれば一揆の討伐が見えていない段階で領地を強請られたように聞こえたのであろう。


「そもそも貴様が居ながら松平や酒井などの支族から多くの謀反者がでておる責任をどう考えるのか!」

「面目次第もございませぬ!」

 

 いや、それは岡崎に拙者を置いてくれないから親族にも西三河衆にも睨みが効かないのではないか!!それらは岡崎城にいる今川の代官の仕事であって、清洲に専念しろってのは氏真様のご命令では!?

 とりあえず頭を下げるも元康も全く納得していない。


「聞けば長島攻めもロクに戦いもせずに普請ばかりしておるそうではないか。なぜ攻めぬ!」

「それはご説明いたしましたが、かの地は輪中が多く……」

「人数を出して気合で攻めよ!」


 さらに、さっきまで長島は付城で防いで、その間に北尾張の木曽川沿いの土豪の討伐を進める、という作戦を説明して納得していたはずなのに急に蒸し返し始めた。


「余計な口出し誠に申し訳ござらん。お下知承ってござる。かならずや一揆輩を打ちたいらげ、お屋形様をご安心いただけるように全力を尽くしまする」

「うむ、きちんと働けば今回の無礼、忘れてつかわす。行け!」


 元康はふかぶかと頭を下げ、退出した。そして一つ確信した。


(こやつ……戦が分かっていない!)


 前々から氏真は戦を部下に任せ、自ら出陣するということがほとんど無かった。織田弾正忠家討伐も、上洛戦も戦の指示は先代の義元公がされ、氏真は内向きの仕事ばかりしている。


 現に氏真が家督を譲られて以来、駿河においては楽市を行い、商業や金山、文芸を保護し、駿府の繁栄は義元公の時代に優るともいわれてはいる。無能ではないのだ。


 しかし、無能でなければこの戦国の世で大名をしていていいわけではない。

 元康は駿府城下の自宅に戻ると、最近一揆が多いので新しい護衛として、服部半蔵正成以下、伊賀衆30名をつけた。



   ◆ ◆ ◆



「松平蔵人逆心! 松平次郎三郎錯乱!」


 元康は清洲城に戻ると、伊勢長嶋を攻めるとして人数を集め、その人数で今川の重臣、岡部丹波守元信の籠る鳴海城を囲んでしまった。

 そして尾張守護斯波義統の名で尾張国衆の所領安堵を行い、一揆側に参加していた佐久間、坪内、荒子前田、岩崎丹羽などの諸将を取りこんだのである。


 氏真は人質の築山殿と竹千代を捕らえようとしたが時すでに遅く、駿府の松平屋敷は退転した後であった。準備された反乱であると気づいた氏真はさらに激怒し、駿遠三の諸将に松平討伐の大号令をかけた。


 しかし氏真がようやく編成した15000の大軍を尾張に向かわせた直後。


「駿河が越後と図って甲斐を滅ぼそうとするたくらみ、すでに明らかなり、当家はやむを得ず自存自衛のため駿河を討伐する」

「何を言っているのだ武田はあああああ!?」


 甲州武田が12000の兵で駿河に南下。富士宮に乱入し富士川沿いを抑えてしまったのである。

 今川氏真の叫びがむなしく駿府に響いた。

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