22.なんだろう、今のムズムズは?



「ただいまー!」




今日も作業を終えて咲くんに送ってもらった琥珀ちゃんは、楽しい気分でお家へと帰って来ました!




「おかえり琥珀ちゃん!」




パタパタと玄関まで出迎えてくれる私のママンは、今日もホワホワとした雰囲気でかわいいのだっ。


当たり前のように私から画材の入ったスクールカバンをサラリと受け取るママンは、「部活、楽しんでる?」と聞いてくるから、琥珀の胸がドキンと波打つ。




『部活』ということに、しているから。




「みつちゃんも同じ美術部なのよね?琥珀ちゃん、無理だけは──」


「琥珀は大丈夫だよ!先輩にもね、新しい画材を使わせてもらってるの!!」


「あらそうなの!琥珀ちゃん、ちょっとぼんやりしてるところがあるからママ心配で……この前だって遅くまで、お友達の所にお世話になっていたでしょう?ママやっぱり、そのお友達の子の家にお邪魔したお詫びの品でも──」


「ママ、今日のごはんなぁに?」




靴を脱ぎ、重い腰を上げてママンの顔を見上げる。




「……あら琥珀ちゃんたら!またお腹をたくさんすかせて帰って来たのね!今日はワンタンをつくったのよ〜」




るんるん、と私の前を歩いて、私の部屋へと向かっていくママンの背を数秒眺めてから、私も部屋へと向かった。






私の鞄を部屋に置いてくれたママンは上機嫌で、「いくつたべる?お腹すいてるなら30こくらいいけちゃいそう?」なんて、上機嫌で尋ねてくるから。




「うん、それくらい食べられちゃいそう!」




琥珀はニコニコとした顔で扉に手をかける。




「出来たら呼ぶわねぇ」


「はぁーい!!」




ママンのいなくなった部屋の扉をパタンと閉めれば、琥珀ちゃんと画材だけの静かな空間だ。




しん、と静まったそこは、以前は好きなものばかりでキラキラとした空間に見えていたのに。


今ではなんだか、牢屋のように冷たく感じる。




「……部活みたいなもんだよね」




琥珀は、それを家族には内緒にしていた。


なんでかっていうと、心配させたくなかったから。




キィ……と椅子を引き、そこに体育座りでちょこんと座り込む。




つかれる。


楽しい気持ちは玄関までだ。


ママンも楽しい人だ、ニコニコしていて可愛くて、気遣いがすごく、すごい。


心配性で、感情をころころと変えて、可愛らしくて。




でも、話した後には、どっとした疲れに襲われるんだ。


この正体が、琥珀にはちょっと、わからないけれど。




こんな気持ちになってしまう琥珀が、悪い子なのかもしれない。




机の上に広がっている真っ白な画用紙を眺める。


手を付けようとして、筆を持ったものの、やっぱり何を描きたいのかわからなくて、真っ白なまま。











居間でワンタンを食べていると、パパンがにこやかに話しかけてきた。




「美術部だって?大丈夫なのかい?」




なんの大丈夫なのか、わからないまま。




「うん!大丈夫、楽しいの!」




とりあえず『大丈夫』と言っておく。


心配かけると──また、たくさん聞かれるから。




「今度の土日もまた、みつちゃんの所で遊ぶの?」


「うん!みっちょんと一緒にいるの楽しいの!」


「でもみつちゃんも絵を描く子でしょう?琥珀ちゃん、大丈──」


「なーんにも、問題ないよ!!!」




ぱくぱく、ぱくぱく、ワンタンを食べていく。




ママンのごはんはおいしい。


ママンのごはんは美味しいのに、たまに味がわからなくなる。


ママンのごはんは好きなのに、早く部屋に戻りたいと思う。




「ご馳走様でした!」






うちは『幸せの家庭』そのものだと思う。


パパンもママンも優しくて、幸せな三人家族。




幸せな、はずなの。


私が幸せだと思っていれば、ここはきっと理想のお家。




好きなことも自由にさせてくれる。


好きな画材もたくさん買えて、ごはんもおいしくて、たくさん褒めてくれて、たくさん心配してくれる。




なのになぜ、心の中はこんなにズンと重く感じているんだろう。


きっと琥珀が、隠れて悪い子になっちゃって来てるのかもしれない。









素敵な景色があると聞けば小学生の私を連れていってくれた。


毎週のように遊園地や公園に行って、写真も沢山撮って、好きなように遊ばせて貰った子供時代。


たくさんたくさん、楽しい絵を描いては、褒めてもらって。


たくさんたくさん、描いてきた。




でもふと気付いてしまった。


私は絵を描くことをちゃんと、楽しんでいるんだろうか?




褒めてもらいたくて描いていたんだろうか。


喜ばせたかったのだろうか。




本当に、喜んでくれていたのだろうか。




何を見せても、すごい、天才だと返ってくる。


上手、沢山描くのね、頑張って、応援してる。


子供の頃はそれで喜べていた。




欲が、出てきたのかな。


なにかが違うと感じ始めていたんだ。




琥珀は天才なんかじゃない、そんなことは学校で過ごしていればわかる。


琥珀は、頭は良くないけれど、みんなとそんなに大きな違いがないことはわかる。




ただ、みんなより早く絵を描くことに本気になって、楽しくてたくさんの絵を描いていた。


たくさん描いているうちに、たくさん色や質感に興味を持って、よりリアルに、より伸び伸びと描きたく思っていって。




琥珀は、絵を描く時に頑張っているつもりはないんだ。


ただ好きで、楽しくて──でも頑張りを求められてるのかなって。


筆に重みを増して感じるようになっていった。




表彰式が、だんだん怖くなっていった。


琥珀はみんなと変わらない歳なのに、頭もよくないのに、ただ人より少しだけ上手に描けた絵を、たくさんの大人に見てもらって。


だんだんと、その眼が怖く感じてくる。


先生から特別扱いされるような、撫でるような声で、媚びるような声で、褒める言葉を並べられる。




それが本心に聞こえなくなって来て、本当はどう思ってるんだろうと怖くなっていく。


友達からも微かに距離をとられて、対等から離れていってしまうような。




いや、琥珀の気持ちが、離れてしまっているのかもしれない。


怖くて、不安で。




『琥珀、全然嬉しくなさそう』




そう、初めてそんな琥珀に気付いてくれたのは、みっちょんだった。




みっちょんは『感性』という言葉を使う。


琥珀の感性が、今はちょっと迷子になっているだけだと。




『ミツも絵を描くから、時々うまく描けない時とか、先生に指摘されたら嫌な時あるよ。それでも好きだから、描き終わったときは嬉しくて仕方がないの』


『……みつちゃん』


『でも琥珀、苦しそう』




真剣な顔をしたみっちょんに、眉間のシワをツンとつつかれた。




『ちょっと、休んでもいいんじゃない?じゃないと続かなそうだよ』




ほろり、右の目尻から頬を伝う雫を感じてハッとした。


その涙が頬を撫でていったのはきっと、みっちょんの言葉が自分の気持ちにピッタリと重なったから。


琥珀の心を想って心配してくれているみっちょんに、救われたと思ったから。




やすむ……?


絵を描くことを……?




やすんで、いいの?




それからすぐに絵を描かなくなったわけではない。


賞に応募することをやめた。


別の画材を探してみた。


切り絵を始めて、手芸にも手を出して、羊毛フェルトでザクザク針を刺して、立体にも挑戦したり。




休む、ということがうまく出来なくて。


自分の好きだった水彩絵の具から、一度手を離して、版画にもいくつか手を出して。




そしていつのまにか、両親に多大な心配をされるようになっていたんだ。




みっちょんになにか言われたから、琥珀が絵を描かなくなったんじゃないかって。


みっちょんは気が強いから、きっと両親の目にはそういう……偏見みたいなものが、あって。




本当はすごく優しくて、強くて、琥珀ですら気付けなかった琥珀の気持ちに気付かせてくれて。


でもそう親に説明しても、みっちょんからそう言わされてるんじゃないかって心配されて、話を聞いてくれない。


琥珀の言葉を信じて貰えない。




ねぇ、二人とも、琥珀が話しているはずなのに。


誰を、見てるの?




そこには、何がいるの?


琥珀らしさって何?


絵を描かなくなったら、琥珀じゃないの?


絵を描いていたから、琥珀は愛されていたの?


そしたら、お話をちゃんと聴いてくれた?


みっちょんはすごく優しくて強い子だって、信じてくれた……?






それから、その日は来た。


久しぶりに水彩絵の具を手にして、写真を見ながら描いてみたら、温度が感じられなくて。


琥珀の目が、変になっちゃってるのかと外の景色に視線を移しても、いつもと変わらない色が広がっていて。




色に温度だなんて、よくわからない感覚なのかもしれない。


色に気持ちや温度が付いていて、重ねて塗ると表情を変えていく、わくわくとした気持ちが今までならあった。


それがそっぽ向いたように、何度塗り重ねても笑いかけてはくれなくて。




色が付いているのに、色を重ねているのに、色が……変わらない。


色の表情が、温度が、柔らかさも硬さも雰囲気も、全部全部全部……モノクロの写真のようで。




べちゃりと、筆を落としてしまう。


すごく、怖くなった。


一生の友達のような、仲間のような、私の一部だった感覚モノが……急に消えてしまったみたいで。




頭から、肩から腕から、スっと冷たさが、水をかけられたように急激に伝って、落ちていって。


吐き気がした。


頭を上げていられなくて、床に転がり込んで、額を床に押し付けて。




なんで、と、自分を責めたんだ。




倒れた音を聞きつけて部屋に来てくれたのはママン。


ベッドの上へと乗せてもらうと少し楽になって、頭が熱いのか冷たいのかもよくわからなくて、たぶん熱くて。


冷やした方がいいだろうと氷枕を頭の下に敷いたら、楽になっていた。




貧血かしら、とママンは心配しながら琥珀の顔を覗き込む。


「利き手は大丈夫?」「頭は打たなかった?」「痛いところはない?」「お腹が痛いの?」「吐きそう?」




朧気な意識の中で、途中まで答えていた気がするけれど。


そのあとすぐに、琥珀の意識は安心感と枕の気持ちよさの中に沈んでいった。









パパンのこともママンのことも、今でも琥珀は大好きだと思ってる。


みっちょんにいい顔しないから、黒曜のみんなのことなんて……なおさらお話できない、けれど。




琥珀が描けなくなったあの時のことを思い返しながら、ベッドに寝転ぶ。


しゃらり、黒曜と琥珀のブレスレットが肌を滑り、そこをゆるりと撫でた。




みんながいない場所でも、こうしているとみんなと一緒にいるみたいで、寂しくない。


アクセサリーなんて、ちょっとしたネックレスしか付けたことのなかった私には、このブレスレットが何よりも、誰よりも、世界一の宝石のように感じた。


咲くんが琥珀のためにくれた、特別なブレスレット。




咲くんが、琥珀のため、に………………。




直後、思い出すのはふわふわとした感覚。


ブレスレットを咲くんから貰った、あの打ち上げパーティーの夜のことだ。




確かこのブレスレットを貰った後に、未夜くんが……きて?あれ?


それから、えぇと……琥珀がお酒飲んでたらしくて……。




それから、それから眠くなって……ふわふわとした感覚しか覚えていない。


ふわふわと、咲くんの香りに包まれた記憶が……。




「そういえばあの時、誰が琥珀を運んでくれたんだろう」




ふと、そんな今さらといえば今さらなことが、頭の中に浮かんできたのだ。




たしか、琥珀が眠くなったのは一階でみんながわちゃわちゃしている場の端っこだった。


自分で二階への階段を登った記憶はないし、自分で登っていたならきっと、お昼ご飯を食べていたソファーに寝転ぶんじゃないだろうか。


そうなると、誰かに運んでもらったことになる。




『咲の部屋は咲以外入れねぇ』




そう、確かいおくんが言っていた。


ということは、琥珀をあの部屋に運べる人は咲くんしか────。




そう思ったら、なんだか胸の奥が一瞬、ムズムズっとした。


なんだろう、今のムズムズは?




最近、どうも咲くんのことを考えると、胸の辺りが変な感じになる。


かと思えば、すごく安心して、ぼーっとしてきてしまうこともある。




咲くんは不思議な人だ。


ずっとその横顔を眺めていられるし、でも顔を覗き込まれるとすごく逃げたくなってしまう。


存在そのものが美術的で、魅力的で、人の視線を奪ってしまう存在感。


物腰柔らかい、なのに芯はしっかりと持っていて、そうかと思えば笑えるような物語を考える人。


微笑みがまた、絵から飛び出てきたような『完璧』をつくり出し、気付けば彼の世界に惹き込まれている。




わかるようで、わからない人。


彼がゲームセンターで話していたような……掴めるようで掴めない、まさにそれがピッタリと当てはまるような男の子。


きっとまだ、私の知らない面を持っている。




……って、なんで琥珀はこんなに咲くんのこと考えちゃうんだろう。


ふるふると首を振り、大事な大事なブレスレットを外して机の上の小物入れに置いた。




「おやすみなさい」




明かりを消せば、月明かりを受けたブレスレットが微かに輝きを返していた。


明日はどんなことを教えて貰えるだろう?


どんな新しい技術を覚えられるだろう?


どんな一面を、見せてもらえるだろう。




わくわくとした気持ちを胸に、私は眠りへと落ちていった。








■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□



お待たせいたしました!!

ちょっと鬱になってておやすみしてました〜(^o^)/

まだ不安定なのでしばらく更新が不定期になるかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです!




⇓ついった⇓

@rim_creator

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