15.必要のない噂を流しているのは、誰?



『ずっとセコムが付いてる』


『急に出て来て何様?』


『あのいおりさんに守られてるなんてどんな手を使ったんだか』




これは今日、私の周りでコソコソと聞こえて来た言葉たちのほんの一部である。




「なんの話だろうね?」


「ほんと、アンタの頭の中って平和なのね。気付いてないならいいわ。ていうかセコムってなによ失礼ね」


「セコム……?」




放課後、ホームルームが終わり、みっちょんと話ながら帰り支度を進めている時だった。


朝のように、それがまるで当然かのように未夜くんが教室に入り込んで来ると、私の机にダボダボのカーディガンに包まれた手が置かれた。


見上げると未夜くんは入ってきたドアに目配せするからそちらを見ると、そこには咲くんがゆったりとドアにもたれかかって、ふわりとした笑みを見せていた。




「未夜くん、と、咲くん……!?」




わぁ!咲くんと未夜くんがまた会いに来てくれた!!


琥珀はパァァァと二人を見つめ返すと、そこにいた未夜くんとハイタッチをする。


お昼休みぶりだねっ!




その二人の存在感に、朝のように教室がざわつき、何事かとその付近にいた生徒たちもわらわらと廊下からこちらを覗き込んでいた。


相変わらずそこにいるだけで存在感を放つ方々である。




未夜くんは私の机を背にちょこんと座り、琥珀を見上げてくる。


かわいすぎる……!!!




「え、なに琥珀。迎えでも来たの?」


「わかんない!けど今日は行かないはずなんだけど……?」




二人とも来てくれたけれど、咲くんはドアの所から動こうとはしない。


教室の出口の片側を塞いでいる状態だ。




どうしたのだろうか?


みっちょんの言うように、迎えに来てくれたのだろうか?


でも今日は黒曜に行く予定はなかったはず……と頭の中で考えながら、未夜くんの頭から顎を猫を撫でるように撫で撫でしながら考えていた。




教室から廊下まで、すーっと眺めるように、様子を伺うように、一通り目配せをした咲くんは、ふと、ゆるりとした怪しい笑みを向ける。


その瞳が鋭く、一瞬にしてその場を支配した。




「必要のない噂を流しているのは、誰?」




ぞくり、背筋の凍るような低い声だった。


色目を向けていた彼女たちも、興味と羨望を向けていた彼らも、みんな咲くんの瞳に捕らわれる。


未夜くんを撫で撫でしていた私の指先もピクリと止まり、未夜くんに催促されていた。




笑っているのに、まるで首を狙われているような恐怖心に包まれている空間で、誰一人として動かない。


──いや、動けないんだ。




この感覚は、一度だけ体験したことがあった。


彼と初めて出会った時──絡まれた不良に一瞬だけ向けた冷たい眼差し。


自分には向けられたことは無いものの、いつのもほわほわとした雰囲気のせいなのか、ガラリと一変する切り替えの速さに、動きを止められる。




気のせい、なんかではなかった。


今この瞬間、それを実感している。




「昼休み、琥珀ちゃんが引き摺られていく姿を見た人は?」




女子の何人かにその冷たい視線を向けていく咲くんには、一体何が、見えているのだろうか。


何かを探すかのように、何かを取り逃さないように。


そんな、怪しむ眼差し。




「おい琥珀」




咲くんの後ろから顔を見せたいおりさんに呼びかけられる。


その隣には雨林さんまでいた。


みんな、大集合しちゃっている中、私だけが呼ばれる。




紛れもなく、この教室に琥珀ちゃんは一人、私しかいない。




「ちょっと来い」


「?は、はい」




変に静まった空気の中、私だけが動き、三人の元へと辿り着くと、咲くんの両手が広げられ、視界が真っ暗になった。


ふわりと突然の温もりに包まれた琥珀の全身がビクッと大きく跳ねる。


背中には大きな手が回り、ドクドクドクドク、胸が大きく高鳴って止まない。


え、なに?何が起きたの?目の前は真っ暗であたたかい。




初めて感じるその力強い腕に、広がる香りに、胸の広さに、温もりに、心臓が大きく騒ぎ出す。


女の子とは違う、男の人の体格。




思わず大きく息を吸い込んでしまうと、鼻腔いっぱいに咲くんの香りが通り抜けていった。


咲、くん……だよね?




頭にはポスッと大きな手が置かれ、グリグリと雑に撫で付けられる。


これはいおりさんの手だ、きっと。




横からひらりと私の手を取る冷たい両手は……未夜くんかな。




身体中が熱くなっていくワニワニパニック琥珀ちゃんの事など気にもしていないような、トクトクとゆったりとした心音が耳から響いてくる。


なんで咲くんはそんなに平気そうなの……!!?


琥珀の頭の中では今、ワニさん達をピコピコハンマーで片っ端から叩いて平静を取り戻そうとしているよ!!!




「ミツハも来とく?」


「……なんでそうなるのよ」


「じゃあ俺が行ってやるよ」


「来んなバカっ!クソヤンキー!!」




とは言うものの、いおりさんの気配が離れていってからみっちょんの声は静かになった。


頭から抱きしめられて目の前が真っ暗の私には、何も見えない。




ふと、咲くんの喉元が動き、低い声が直に響く。


あ……喉仏って動くんだ……。




「彼女と……その友達に、害の及ぶようなことをしたら」




静かに響く、いつもとは違う凛とした声色。




「すぐにわかるから。俺たちのこと、怒らせないように、ね」




そう言うと、ゆっくりと距離を開く咲くんにようやく解放された頭で、不安げに見上げる。


なにか、怒っているのかな……?そう思って。




ふと、額に触れる柔らかな温もりに、再び琥珀ちゃんの頭の中は真っ白になった。


完全に気を抜いていたので、一瞬なにがそこに当たったのかよくわからなくて。


額から離れていく顔に、ようやく事態の重大性に気付いた。






おでこチュウ!!!!?????




教室と廊下中から注目を浴びている、この中心で!!???






「というわけで、よろしく」

















「よろしくと言われましても!!!!」




先程のことを思い出しながら、両手に肉まんとピザまんを持って叫ぶ琥珀ちゃんwithみっちょん。


学校帰りのコンビニで、肉まんとピザまんを買って二人で仲良く分けていた。




これぞ高校生の醍醐味だよね!!うましうまし。


じっとりとしたみっちょんからの視線を浴びつつ、誤魔化すようにもぐもぐを再開する。


まだ顔が熱いような気がするんだ。




「……アンタさ、本当にあの中に彼氏いないの?」


「いません!!ていうか出会って四日だよ!!?」


「なのよね、うん。琥珀が言うなら……」




えっへん!と琥珀ちゃんは両手を腰に当てる。


訝し気なその視線が痛いぜっ!!




「アイツら、どうせ昼休みの件と噂も聞き付けて釘を刺しに来たんだろうけど……インパクト強すぎ。何あれ怖っ。本当にアシしかしてないのよね?」


「琥珀ちゃんはしがないアシスタント要員ですよっ」


「つまり、働いてるだけなのにいらぬ嫉妬心を受けて噂されていると?」


「……うん?つまり今日聞いてたことって琥珀ちゃんが噂されてたってこと?あんなに声筒抜けで??」


「嫌味も含めてんじゃない?」


「…………いやみですって!!?」




数秒考えてからようやく理解したその意味に、ガガガガーーーン!!と琥珀は衝撃を受ける。


嫌味を!言われていたのか!!


え、今日一日ずっと??




え、本当に??嘘ついてない?


琥珀ちゃんは人の話はあんまり覚えてないので、嫌味っぽい所を思い出そうとするけれど……うぅん、お昼の怖い顔した三人の印象しか残ってなぁい。ぷぇ。(思考放棄)




そんな、ぷぇ。の顔をしている琥珀ちゃんを、呆れたような苦笑いで眺めるみっちょん。




「本人が気付かないんだから、嫌味程度なら無駄な労力なのによくやるわ。無駄骨乙」


「でもみっちょんは気付くんでしょう?」


「……っ」




琥珀が嫌がらせに気付いていなくても、みっちょんが気付いてて嫌な思いをさせちゃうのは、私も嫌だよっ!




「その分は後で報復するからいいの。琥珀は黙ってアイツらと、私にも守られてなさい」


「ずっきゅん!!!はぅ!みっちょん惚れる!!」


「セコム扱いした奴全員ぶっ潰す。アイツらも守りきれなかったら、どことは言わないけど潰す」


「怖かっこいいよ、みっちょん!!!」




美術部に所属しているみっちょんであるけれど、子供の頃は合気道を習っていて。


それはそれはもう、並の男ならねじ伏せてしまえる程にお強いセコ……ん"ん"ッッ!!逞しい子なのだ!

(危ない、琥珀までぶっ潰される所だった!!)




でもみっちょんでもガチの不良や武器を持ってる人は危ないのを知ってる。


だから琥珀も出会ったら全力で逃げろって教えこまれてて……あ。




ごめんみっちょん、琥珀は不良から逃げなかったから約束破っちゃってたね!!


でも今日メンバーと会ってきたし、安心してほしいなぁ……。




「ところでみっちょん、琥珀が咲くんの大きな胸の中に包まれていた時、みっちょんはいおりさんとどうしてたの?」


「お黙り、蒸し返すんじゃない」


「ひぇっ」




教えてくれないの!!?


気になっていたのに!!


琥珀ちゃんには何も見えていなかったのに!!!




「あの咲さんがいて、いおもいるなら……まぁ、仕事するだけなら大丈夫かしら……」


「ここ三日のアシスタントでは何にも危ないことはありませんでしたよっ!!」




そんなにみっちょんといおりさんが仲良しだとは思っていなかったから、琥珀はるんるんと嬉しい気持ちになってしまっています!!


知り合い同士がお友達(?)だったってわかると、なんだかるんるんしちゃうね!!




「琥珀アンタ、今日は私が一緒に帰ってるからいいけど、私が部活の時どうすんの?しばらく周りがウザそうだけど。ウチの部活来て一緒に帰る?」


「いかないよー。咲くんがたぶん、迎えに来てくれる、かなぁ?送り迎え付きなの」


「あぁ、アンタあくまでアシだからね……ってまさか金貰ってんの?」


「バイトのようなもんなのかなぁ?ちゃんと三日分くれたよっ¥¥¥」




お金のジェスチャーをすると手をペシッとはたかれてしまった。ちぇっ。


それにこれからビシビシと道具の指導もしてもらうし、黒曜での画材は使い放題試し放題だし……むふふ。


入り浸っちゃいそうな予感がするのだ。




「学校の奴らもどんな逆ハーパラダイスを妄想して妬み恨み連ねてんだか知らないけど、現実は不良のたまり場に働きに行ってるだけなのよね」


「安全と9時-5時は先に確保されていますっ!」


「応援はしておくわ」



もぐもぐ、ゆっくり食べていたのに、もう肉まんたちはお腹の中にはいってしまった。


美味しい物食べた後ってちょっと寂しくなるよね。


あー終わっちゃったぁ……って。




「琥珀」




サラリと揺れる、みっちょんの内巻きにカールした長い髪。


前髪の奥にある瞳は真っ直ぐと私の瞳を貫く。




「アンタが、あそこで探したいと言うなら、私は止められないけど。正直、反対したい気持ちもある」


「……みっちょん」




私が絵を描けなくなってすぐ、みっちょんは気付いた。


私の様子がおかしいと、問い詰められて。


私の中にあった芯となるものがふと消えたと、泣きべそをかいていた私の背中を摩って話を聞いてくれたのは、みっちょんだった。




『気まぐれなもんなのよ。琥珀が悪いわけでも無ければ、他の誰かが悪い訳でもない。スッと家出してはいつの間にか戻ってくるような、そんなものなのよ、感性って』


『だから、いつ家出娘が帰ってきてもいいように、琥珀が地盤整えて待っててあげな』




みっちょんも絵を描く人だから、本当によく聞く話だと知っているようで。


短期的に描けたり描けなかったりする人ならよく見かけるらしい。




そんなみっちょんからのアドバイスもあり、一応画材を買ったり使ったり、新しく切り絵を始めてみたり、アクセサリー制作をしてみたり。


手を出してはみるけれど、やっぱり気付けば手元に筆がある状態が一番安心してしまっていて。


漫画という新しいジャンルに手を付け始めた私は、最近専ら漫画のキャラクターを落描きし始めた。




ノートの端っこに描いたまま提出しちゃったけれど、怒られると思っていたのに花丸とハートを添えられて返ってきてしまった。


どうやら先生が、その描いたキャラのファンだったらしい。


やはり今は刀が流行っておるのだな。




「危ないところに行かせるのは反対したい気持ちもあるけど、少なくとも、アンタの近くにいおがいるなら大丈夫だと思ってる」




それは、二人の間のなかに、少なくとも信頼関係があるようで。


腐れ縁といっても、それだけ一緒の時間を過ごしてきたのだとわかる。


みっちょんのおかげで、またひとつ、いおりさんへの印象が変わった。




「どうせ周りに怖がられてるクソヤンキーやってんでしょう?」


「くそやんきぃ……」


「……アイツはだらしないけど、嫌がることを無理やりするような奴ではないから。貞操は咲さんに守ってもらいつつ、身の安全はいおに守ってもらいな」


「貞操はいおりさんだと守れないの……?」


「守備範囲がわからんけどどうせ女子高生は喰う」




そんな……雑食みたいな………………ぅん??




その時、聞き覚えのある単語が聴こえたそれに反応する記憶。


『喰う』


『女子高生は喰う』





「……いおりさんてやっぱりカニバなの!?」


「違うわよ!女として喰われるっつってんの!やっぱりって何!?」


「おんなっ…………って、どうやって食べるの……?」


「は……?」




みっちょんと分かれる道はすぐそこまで来ていて。


夕日に照らされる中、みっちょんの信じられなさそうなまん丸に見開かれた目が、琥珀ちゃんを覗き込んでいた。




「義務教育の敗北だわ」と。

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