12.芸術はお好き?



嵐のような熊さんは、森(部屋)へと帰って行きました。


あの熊さんには白い貝殻の小さなイヤリングを拾ってもらってもお礼に歌って踊れる気がしない。




というかお礼に歌おうぜって言っちゃう森のくまさんのお嬢さん、シンプルにメンタル強すぎん?


熊さんも「え、ワイも歌うん??」てなるじゃん??


熊さん♂♀わかんないけど。






午後の作業を終えると、外はもう赤く色付いていた。


湿り気の帯びた風に乗って、金木犀の甘い香りが鼻腔を撫でる。


山では紅葉が色付き、赤トンボが飛び交い、静かな秋を迎えていた。




「芸術の秋」




ぽつり、送られていく車の中で呟く。


赤から紫へとグラデーションを描く空、コントラストの美しい雲と陰。


そういえば雨林さんだろうか……私が貼った空のグラデーショントーンで、鮮やかな夕焼けの雲を削っていたのは。


漫画は白黒なのに、それが鮮やかな夕焼け空なのだと、不思議なことに解るのだ。


濃淡でしか表されていないのに、その奥には確かに色付いた景色が広がっている。




漫画というは芸術というのか、文学というのか、何とも表し難い位置づけにあるような気がするけれど。


新しいジャンルの扉を開いたという意味では、私も芸術に手を加えられたのかもしれない。




「琥珀ちゃんは、この秋、作品を描くの?」




尋ねられる言葉に、すぐには口を開けなかった。


口を開こうとして、言葉が出てこないことに気付く。


私の中では、たくさんの糸と糸がぐちゃぐちゃに絡まったような状態で、何とか糸を手繰り寄せて糸の先っぽを探そうと藻掻くけれど、見つけることが出来なくて。




「……わかりません」




当然のように、絵を描く人だと、思われている気がしていた。


沢山の画材を抱えて、何時間も絵のお手伝いをして、ある程度の用語は知っていて。


暇さえあれば筆を握るような、テストやノートの端っこには落書きを常に描いているような。




そんな、理想。


私の中の、絵を描く人の理想。




鞄の中に入った薄い封筒が、やけに重いもののように感じた。




「絵は、好きなんです」




絵が好きだ、大好きだ。


大好きなはずなのだ。


だって私は、物心ついていた時から筆を握っていた。


絵のことを忘れる瞬間なんて片時もないほどに、絵が好きなんだ。




絵が、好きだと……。




「嘘です……わからなく、なっています」


「……うん」


「絵が……私に応えてくれなくなっているんです」




親友のように、ずっとそばにいたのに。


それは突然、本当に突然のように、その時は訪れて。




氷柱つららの凍った滝を描きながら、ふと『私は本当に絵が好きなのだろうか?』疑問が浮かんで。


そしたらどんどん、絵の鮮やかさが、曇っていって。


冷めていく熱。




それはどこにでもあるような画用紙で、元から熱なんて持っていなかったけれど、私には熱が急激に冷めていくのを感じた。


色が急激に、冷めていく。




何が起きているのか、最初はわからなかった。


そのまま春が来て、夏が過ぎ、秋が始まる。


筆を握っても、こぼれ落ちて拾いきれない、『描きたさ』の気持ち。


ジャンルを変えて幅を広げてみても、失くした何かを見つけることは叶わなかった。




「絵が応えてくれるから、好きだったのか。それとも好きという熱はみんな、絵に奪われてしまったのか」




ぱくりぱくりと、食べられてしまったかのように。


丸く丸く、真っ黒に空いた、心の中の風穴。




それを埋めるように、これ以上消えていっちゃわないように、画材や資料集を買い込む。


あの頃の熱や色が戻ってくるのかもわからないまま、それでも捨てきれない。




「私はただ、人並み以上に絵の描ける人って、それだけになってしまいました」




描けなくなってから最初に、琥珀を描こうとしました。


私の名前、琥珀という名前のくせに、『琥珀』を描いたことはなかったから。




でももう、それも色あせて見えて、透明感が納得できるように表現出来なくて。


くすむ琥珀色に、完成させることを拒否した。




「絵を描き続けることって、難しいんです。言葉には出来ない難しさがあるのです」




描きたい時に、好きなように筆が乗っていた頃には、考えもしなかった。


簡単とか難しいとか、そんなものはなくて。


『楽しい』か、『美しい』か、『熱中できる』か。


そうやって一点集中してきた私に『描けない』が訪れるようになるなんて、思ったこともなかった。




気付いたら私の手の中に残っているものは、ごっそりと無くなっていて。


それが酷く怖くなって、そんな現実は見ていたくなくて。




「ここ三日、琥珀ちゃんはずっと考えていました」




ちゃらんぽらんな、すっかすかな頭の中で。


普段は何も考えていないような、ぽわぽわとした頭の中で。


それでも、私の『好き』を取り戻す為に、何か出来るのだろうか?って。




「咲くんが、どう思って私のことをアシスタントとして迎えてくれたのかは、わかりません」


「うん」


「でも、でも私は、ここで『好き』を集めて行ったら、また自由に楽しんで描けるようになるんじゃないかと……期待してしまっています」




初めての画材に触れた。


初めての技術に触れた。


初めての『共同制作』に携わった。




そこに琥珀は、強い高揚感を覚えました。




使い放題と言ってくれた画材たち、まだ使い方もわからないものばかり。


それは私の知らなかった世界で。


私の初めて見る世界で……。




「勝手ながら、期待に胸がるんるんとしてしまうんです」




初日、恐怖と喜びを交えて、布団の中で涙を零しながら眠った。


少し寝不足になってしまった。


倒れた青髪くんの心配もして、ラベンダーのアイマスクを引っ張り出してきた。




けれどやっぱり、私はちゃんと絵が好きなんじゃないかと、黒曜に行って希望が持てたのだ。


だってあの空間は静かなのに、みんなの熱意が強く伝わって来ていたから。




ほろりと落ちていく雫を、咲くんが指先で拭ってくれる。


面倒をかけて申し訳ない。ずずっ。


話すつもりなんてなかったのに、話し始めてしまえば止まらなかった。




小さな小さな琥珀ちゃんの、大きく大きく穴の空いた悩み事。


両親も腫れ物を扱うかのように触れてこなくて。


こんなこと、話せる人なんていなかった。




「琥珀ちゃんは、絵が好きでいたいんだね」


「ずずっ……はい」




運転手さんが赤信号の隙に渡してくれたティッシュで、ずびびと鼻をかむ。


乙女を名乗って申し訳ない、琥珀は今は乙女をやめます。


じゅびびびびっ!!ちーん!!




ぶふっと咲くんが笑いを堪えきれなかったように笑う。


運転手さんからも「ごふン、ん"ん"っ」と聞こえてきた。




けれど今は乙女をやめている琥珀ちゃんなので、我慢するのだ。


でも恥ずかしいから穴掘ってモグラさんになりたいな。




「琥珀ちゃんはさ、ふっ……………ごめん、はぁ。これまでに『スランプ』にはなったこと、あるの?」


「すらんぷ……?」




笑いをこらえながら、咲くんが聞いてくれた『すらんぷ』。


それは、聞いたことはあるけれど、自分に当てはまるとは考えたこともなかった言葉だった。




「私……すらんぷ、なんでしょうか?」


「そうなんじゃないかなって、聞いた方の俺は思うけど。俺たちも身近にあるものだからね」




すらんぷ……なら、本当は私は絵が好きなまま、描けなくなっているということなんだろうか……?


でも、もうすぐ描けなくなってから一年が経ちそうなのに……?




「芸術……っていうか、感覚的にことを進められちゃう人って、脳の機嫌に弱いんだよ」


「脳の機嫌?」


「疲れていたり、頑張りすぎていたり、眠れなかったりすると、正しく認識するのに使う力が足りなくなっちゃうの。でも無自覚だから、気付かないままそれが作品や表現に響いちゃう」




脳のご機嫌なんて、考えたことも無かった。


私は元気なつもりでいても、脳がご機嫌ナナメで反抗期してることがあるってこと……!?




「え、どうしましょう!?ご機嫌て直ります??」




そんなサイレントな不機嫌を訴えられても、ニブニブちんな琥珀ちゃんにはわからないんですよっ!!?


咲くんが教えてくれなかったらずっと気付かないままだったのかと思うと、気が遠くなりそうだ。


咲くんも脳がご機嫌ナナメになることがあるのだろうか?




「琥珀ちゃんは、考えていた通りのことをしてごらん」


「はぇ?」


「ここで、黒曜で『好き』を集めていく。それでいいと思うよ」




『好き』を集めたい……確かにそう言ったのは私。


けれどそんなことで本当に元のようになれるのかという不安もある。




「俺の話も、聞いてくれる?」


「も、もちろん」




琥珀が先にたくさん聞いてもらったんだから、次は咲くんの話を聞く番なのだと、張り切って身構えていると、またくすっと綺麗に笑われてしまった。


咲くんは私を見てよく笑うなぁ。




「俺もお話をつくる人で、商業用にも創ってるでしょう?たまにおもしろいかつまらないかわからなくなることがある」


「……それも、すらんぷ、です?」


「んー……いや、同じ表現を読み直していると、最初はいいと思っていた表現が、読み返しを重ねる毎に慣れてくるんだよ」


「うむ?」


「すごく泣ける映画も10回20回と見てると展開に慣れて、泣かなくなる。それに近いようなことが起きてて」


「表現に慣れると……面白みがわからなくなっていくってことですか?」


「そういうこと」




あんな……クラスの男子が腹抱えて笑うような漫画でも……!!?




「人ってすぐに慣れるものなんだよ。適応能力ないと生きていけないから。でもそれが芸術となると裏目に出ちゃうんだけど」


「えぇ!!なんかすごくもったいない気がします!!」


「そういう時、どうすればいいと思う?」




きょとん、と私はあほ面で、目を丸くして見つめ返していたと思う。


自分の感覚に頼れなくなったら、ということだろうか。




初めて読む人がどう思うかを知りたいなら。


それなら、そのストーリーをまだ読んでいない第三者に──。




「他の人に、読んでもらう」


「そうだね。編集さんにも見せるし、その前に雨林やいおりにも読んでもらって、初見の人の意見を頼る」




そうか……創っているものがいいものかわからなくなっていっちゃうことも、あるのか。 




私はどうだろう……?


絵でも、そうかもしれない。




完成させた時はすごく満足感に浸れるけれど、描いている最中は、ここの細さ頑張ったのに目立たないなぁとか、遠目から見て潰れるなぁとか、ここはぺたっと塗りすぎているかな、とか。


美しい絵として描いたその作品は、本当に美しく描けているのだろうか、とか。


込めた熱量と、作品の完成度は、必ずしも釣り合うわけではない。




絵は、大きく描いて遠目から全体を眺められるものだ。


縮小したら潰れる部分がどうしても出てくる。


その距離感を活かして作品として創り上げる人もいる。




他人の目があって、初めてわかることも、あるのだろうか。




「咲くんは……私が創ったものも見てくれますか……?」




芸術とは、見る人感じる人によって、評価が大きく変わるものだ。


例えば幼児が描いた歪な丸が集まった顔も、親から見れば本心から上手に描けたと思えるように。


美しいオブジェも、道行く人の視界にすら入らないように。


文章の集まりでしかないものが、壮大な物語を描くように。




見る人によって、その価値が天と地ほど変わるのが芸術だ。


興味のない人には、いくら思い入れのある作品でも、退屈に感じてしまう。




それを私は、痛いほど知っている。




「もちろん俺も見たいし、いおり辺りならすごく興味持ってくれるんじゃないかな」


「いおりさん、にも……?」


「アイツも俺も、クリエイター側だからね。作品創りの難しさや力を入れた所なんかにも興味深々になるよ」




緩やかにブレーキをかけられる車、見慣れた家の近く。


もう、家に着いてしまったようだ。




「だから、今度一緒に見よう」


「……ちょっと、まだ怖いです」


「俺がいるから大丈夫でしょ」




そう言い切ってしまう咲くんには、本当に大丈夫のように思わされる力があると思う。


根拠なんてわからないし、自分の認められない作品を他人に見てもらうなんて、申し訳なさも湧いてしまう。




けれど、きっと。


この人になら本当に、大丈夫な気がしてきてしまう。




「じゃあ……今度は絵を持ってお邪魔しますっ」


「楽しみにしてるよ」




鞄の中には、三日分のアシスタント代。


もうちょっと技術を身に付けたら、時給アップもしてくれると言われた。


これで、この前散財した画材代もチャラである。


それは嬉しい、嬉しいのだけれど。




黒曜の一員として、みんなと共同作業出来る新しい環境の仲間に入れたという事実が、一番嬉しい琥珀ちゃんでした。むふふっ。


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