黒曜の戦場
RIM
1章 はじまり
1.王道かと思うじゃん?
その日、高校の制服に身を包んでいた私は、大きな画材を抱えて歩いていた。
それにしても、買い過ぎた。
水彩画、パステル画、切り絵などをよく楽しむ私は、つい欲望に駆られるままに、買い過ぎて自分の首を絞めていたのである。
新しいスケッチブックにアナログイラスト用の画用紙(種類の違うものを各種)、さらに絵具、カラーの筆ペン、イラスト資料用に分厚いカラー本を、悩んだ末に三冊、イラスト保存用のファイルまで。
買いすぎ、た。
これだから文房具屋さんの誘惑には毎度負けてしまう。
アナログで絵を描く人の欲深さは終わりが見えないのだ。
なんてったって、消耗品だし、紙の種類ってだけでたくさんあるのだから。
それに不定期に行われているセール、セールはヤバい、買わなければいけないという使命感。
ゆえに、ばかでかい買い物袋を下げている私はきっと、誰よりも目立っていたことだろう。
「あァ?ねーちゃん、ちっと待ちな」
「え……なん、ですか」
どうやらその画材たち(主にスケブが)そのガラの悪い人に当たったのか、それとも道を塞いでしまっていたのか、画材たちにまで神経は通ってないから真相はわからないけれど、怖い顔の人に絡まれてしまった。
とりあえず、首にジャラジャラと重そうなアクセサリーを付けて鼻ピアスをしたタンクトップのゴツい男に絡まれた私は、実は今ピンチなのかもしれない。
その顔が今度は、ニタリと笑う。
「あァん!?」
「すみません」
私は足がすくんで動けなくなってしまっていた。
こういう時、誰か助けてくれるもんなのだろうか。
しかしポツリポツリと道行く人は、トラブルがあると気付いていてもこちらをチラリと見ることもなく、私は早々に他人からの助けを諦めなければならないかもしれないと察知する。
あれだ、きっと誰かが助けるだろうとかいう集団心理。
巡回のお巡りさんでいいから来てくれないだろうか……。
こういう時、この後自分に起こり得る事態はなんだろうかと、パニックでありながらもどこか冷静な頭は考え始める。
1.殴られる
2.連れ攫われる
3.リンチ
4.微かな希望にかけて助けを求める
そこまで考えたところで、その男は急にガシッと私のでかでかとした買い物袋をひっ掴むから、ビクリと肩が揺れる。
さすがに私も少しは怖いという気持ちがあるのだ。
「詫び、させてやるから付いてこいよ」
「ひっ……いや、ごめんなさい」
「謝ってるだけじゃ足んねぇだろ?」
そもそもなにを謝ることがあったのか自体わかっていないのに、謝っただけじゃ足りないとはなぜなのか。
金!?金か!!?
「わぁ、謝ってる女の子をゴーインに連れて行こうとしてるクズがいる」
その時、背後からかけられたその声は妙に軽くて、この状況からは似つかわしくない楽しそうな声に、この場の時が止まった。
というか、腕を掴んでいる男の人が、その人を見て固まっていた。
誰、いつの間にか私の後ろにいた人は。
私のすぐ横に並ぶその人と視線が交わると、顔を覗き込むように近付けられて、一歩足を引く。
何、近い。
黒に紫を滲ませたような艶やかな髪が、目の前で揺れた。
「キミ、絵描く人?」
「……え?」
つい、そう言葉が零れ落ちていた。
いや、決してギャグで言おうとしたわけではなくて。
「絵、描ける人?」
画材の入った袋をちらりと確認されて、その意味を理解する。
「……は、はい、描いてます、いっぱい描いてます」
「じゃあ、この手も大事なお手手だね」
なんだなんだなんだなんだ、この展開の読めないパターン5は!?
助けて貰えてるのかちょっとよく分からない場面だけれど恐らく助けてくれている。
今日だけで一万円近く散財してきた画材たちの重みが、ずしりと重みを増した気がした。
(そもそも重い)
私の腕を掴んでいたゴツい男の人の手が、ぽろりと落とされる。
思いの他あっさりと開放された腕に、拍子抜けしてしまった。
この助けてくれている人(?)は、この人の知り合いなのだろうか?
「ねぇ、たくさん買ってるみたいだけど、絵、そんなに描くの?幅広く出来たりする?」
「え……っと、でも水彩とか切り絵とかそんなもんですけど……」
「切り絵?」
「はい」
切り絵に多大な反応を示され、急にその人に両手で頬を掴まれ、顔を上げさせられた。
それはもう甘く誘惑的なご尊顔が視界いっぱいに広がる。
肌ツヤ良っっっ!!
もう怖い状況とか、得体の知れない人だとか、どこに反応するのか意味が解らないことだらけで、頭の中がさすがにパニックだ。
「切り絵ってカッター使うよね?」
「……は、はい、デザインカッターを……」
ちなみにそのカッターの刃なら、この買い物袋の中にも入っているけれど……ちょっと武器にしては弱すぎる。
いや、刺さったら切れ味は凄いけれども。
「よし」
なにが。
「助けてあげるかわりについておいで」
一瞬その意味を理解出来なくて、私は思考を止めたけれど。
その人は私の返事なんて待つこともなく、ガラの悪い男を冷たくひと睨みすると、今度はにこやかにバイバイと手を振っていた。
あれ、一瞬人を殺ってそうな顔した気がするのは気のせいなのかな?見間違えかな?
背筋がゾクゾクと痺れるように震えたけれど、気のせいかな?
ガラ悪男はコクコクコクと無言で頷くとあっさりと逃げていき……今度は私の肩に、その助けてくれた人の腕が回され、導かれていく。
え……助けてくれた、ん、だよね……??
なんだか向かっている先には、どでんとした大きな真っ黒くて怪しい車があるような気がして。
「今日中に帰してあげるから、ちょっと付き合って」
「……はい」
爽やかな笑みを向けられれば、抵抗するのもどうなのかと思ってしまう。
気のせいなんかではなく、その真っ黒な車の後部席のドアを開かれると、私は速やかに攫われていった。
「荷物重いでしょう?後ろ乗せようか?」
「あ、いえ、結構です。持たせてください」
その時私は、ようやく微かな希望に気付いた。
もったいないけれど、いざとなれば画材のその重さは武器になったり盾になったりしてくれるのではないか、と。
着いた先は、運転手のゴツいお兄さんから微かに想像していたけれど、倉庫だった。
え、この人こんなに爽やかで物腰丁寧に見えて不良なの?
海の近くのその倉庫の外壁にはたくさんの落書きがされていて、明らかに治安なんてクソくらえというような見た目をしていて。
外にも何人かバイクを乗り回している人がいて、その人たちもガラの悪い人たちばかりで恐怖しか湧かなかった。
そんな狭い所で乗り回さないで怖い。
あのバイクで引きずられたりしないよね??
そんな外の連中に気付かれて挨拶されるも爽やかな彼はスルーしていき、倉庫の中へと導かれる。
そういえばさっきのごつい人やここにいる人たちの反応を見る限り、この人、お偉いさんか?
そんな風には全然見えない見た目と、ここの人達からの羨望の眼差しからのギャップで、一層不気味に、怖く見えてくる。
倉庫の中にもたくさんの人が集まっていて、奥の方には雑に置かれているソファーや机があり……え、机あるの?
大人数いる割には小ぢんまりとしたその一角は、せいぜい2人分の席しかない。
その机の上に置いてあったのは、印刷面いっぱいに水着のお姉さんが微笑んでいる分厚い雑誌……。
まって、そういう雑誌にしては分厚すぎないか?
背表紙の幅三センチくらいない?
今は誰も読んでいないようだ……え、こんだけ人がいて『そういう本』を誰も読んでないって、ある?
偏見だろうか?
それとも偉い人の私物か?
私は奇異の目に晒されつつ、けれど文句を誰からも言われることもなく、倉庫の奥にある階段へと導かれていた。
二階にドアがあるのは、遠目から見えていたけれど。
私はもしかして、もしかしなくても、この階段を上るのだろうか?
そのドアの向こう側に招待されてしまったりするんだろうか?
え、待って、おなじみの少女漫画やケータイ小説のよくあると聞いていた展開だと、こういう所の奥の部屋ってちょっとお偉い人しか入れないとかいうのない?偏見?
でも、でも待って、大丈夫きっと。
私はここまで無事だった、し。
今日中に帰してくれるって約束、して……いや、無事に帰してくれるなんてことは一言も言われていないけれど。
私は本当に、今日中にお家に帰れるのでしょうか?
ていうかどうしてここに連れてこられたのか、そもそもの理由もわからない。
お決まりの展開なら、偉い人の中にすごく優しい人が一人くらいはいて、助けてくれるっていう展開もあるじゃない!?
この人も優しそうには見えるけど……なんか周りの人の反応からしてきっと怖い人なんじゃないか。
それなら私はその優しそうな人を、ここに入ったらすぐに見つけて、全力で媚びるしか希望はない。
階段を登って二階の扉の前。
彼は、私に顔を向けて「しー」と人差し指を口に当てる。
この中では静かにしないといけないらしい。
それにこくこく、私は頷く。
なんの前触れもなしに勝手に扉を開けた彼に、肩がビクリと上がる。
大丈夫勝手に入っちゃって!?
怒られない!?怒鳴られない!!?
そんな不安から下を向いてギュッと目を瞑る私は、買い物袋をぎゅっと掴む。
今の安心材料は新入りのこの子たち(画材)しかいない。
そして一歩、手を引かれて中へと足を踏み入れた時、部屋の中から微かな音が耳を通りぬけて来た。
それは、かりかり、シャッシャッ、鉛筆と紙が擦れるような音。
外でバイクを乗り回していたような人たちとは縁の無さそうな……その音。
静かな空気の中で聴き慣れた微かな音に、私は俯いたまま瞼を開く。
「え?」
文字を書くような短い音じゃない。
短い、線を重ねるような音だ。
想定外に静かな環境音に顔を上げれば、広い部屋の中、目の前にいたのは机と真剣に向き合っている人が、四人程。
彼らもピアスをしていたり、髪色が赤かったり金っぽかったり青かったり……あ、信号カラーだ。
そしてもう一人はアッシュグレーの髪色。
ド派手なメンツが真面目に作業している。
なんて口に出したらぶっ殺されるだろうけど。
集中しているのか、一切こちらには目を向けもしない信号たち。
私の慣れているその音のおかげか、少しだけだけれど、ここに来て初めて安心感が芽生えて来る。
まぁ、その真剣に机に向かっている顔が怖いと言えば怖いのだけれど。
何をしているんだろうか、机の上の台の上で作業している。
手前から奥に向かって緩やかに高くなる台――見覚えのあるそれに、私の頭はまた一瞬、思考を止める。
あれ、もしかしなくてもトレース────
肩をトントンと指先で叩かれ、再びここに連れてきた彼と視線を合わせると、更に奥まで導かれる。
そんなに奥まで入って行ってしまっていいの?
私はただその辺にいる女子高生なのだけれど。
お偉い人とかいない??
奥の扉を前にして、また勝手に扉に手をかけて開けてしまう自由すぎるその人に、私はもう腹を決めるしか無かった。
お約束では部屋の更に向こう側って一番偉い人専用のお部屋だったりしないんだろうか……!!
けれど、奥の部屋の扉を開いてすぐに私の視界に飛び込んできたのは、上の服を脱いだ厳つい男二人が……いや、正確に言うと、仁王立ちしている男の腰元に縋るように抱き着いている男がいた、というべきか。
どういう状況?
そしてその男たちは二人揃ってこちらを向く。
「あ」
「あ」
「……」
「……オイ、動くんじゃねぇよ」
その二人の奥から、低く機嫌の悪そうな声も聞こえてきて、私の肩が跳ねる。
コワソウナ ヒト イル……!!!
気まずさと怖さで緊張が振り切ってもう感情が付いていかなかったけれど、手前にいる二人は綺麗な上腕二頭筋や大胸筋だな、なんて呆然と思ってしまっていた。(現実逃避)
「ごめんごめーん、一瞬顔貸して?」
「あ?なに、女?」
女――ここの厳つい人たちの中でもさらに厳つそうな人に私は認識されたのだという緊張感やら恐怖感が再び湧き出して来る。
やだ、こっち見ないで、顔とかいいから!!
「〆切前はナシだろ」
「いやぁそっちじゃなくてね、この袋見てよ。戦力だから」
「あ?」
その怖そうな男の人の手元に、見覚えのある厚みのある紙が見えて、私の思考は一気にそちらに向いていた。
「……クロッキー帳」
それは、一般的なコピー用紙などの紙の裁断の対比よりも長さが短めで、独特な長方形の……いわゆる、スケッチブックに近いもの。
その紙の厚さは薄く、短時間に簡単に、何枚もスケッチするのに向いている画材。
スケッチブックは分厚い画用紙で出来ていて、じっくりと時間をかけて描くように学校でも使われるけれど、クロッキー帳はスケッチブック程一般の学校では使われない。
それは、描く対象を数分で、正確に描くという技術は、じっくり描くデッサンとはまた違うから。
クロッキー帳と、恐らく
顔も声も、怖いけれど。
ということは、さっきの部屋でカリカリ作業をしていた人たちも、まさか――同類!?
「おい女」
「え、は、はい」
ただしこの人口わっる。
「お前、背景描けんの?」
「…………はい??」
その人の視線は、私の大量に入った新入りちゃんたち(画材)を見つめていて、恐らく私と同じように、この一瞬で私も美術系の人間なのだと察したのだろう。
状況は……使われている画材たちと、あの雑誌の厚みのおかげで大体は読めていた。
なぜこんな場所で、なぜごつい人たちが集まって、下から光を当てられるトレース台の上で、何人もが同じような作業をしていたのか。
あの厚みのある雑誌は何だったのか。
「漫画、ですか」
不良が集まって、漫画を描いている……だと?
しかも〆切とか言ってたから、結構ガチで。
「話が速ぇ。指示は原稿に資料と一緒にまとめてある。描け」
「あの、技術的なテストみたいなものは……」
「あっちの部屋にもう一人描ける奴がいる。そいつに聞け」
そんなに切羽詰まってんの???
私はこの日、初めて不良の溜まり場とやらに足を踏み入れ──
なぜかそこで、いつの間にやらたくさんの小物を描いていた。
⬇Twitterにて用語・道具の解説⬇
https://twitter.com/rim_creator/status/1440897330534760450?s=19
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