ひだりちゃんの一番
@kan3296
第1話
ひだりちゃんの一番仲のいいお友達は私じゃない。
2番目か3番目でもないだろう。
多分お友達ではあると思う。
たまたま家が近所だから、集団下校で一緒に登校しているし、塾のクラスが一緒とか、共通点はいくらかあるし。
だから辛うじて認識はされているけれど、ひだりちゃんのお友達の中ではきっと目立った存在感はないだろう。
私はひだりちゃんを想って泣いた。
ひだりちゃんと同じシャンプーを使ってるし、ひだりちゃんの好きな男の子のタイプだって知ってる。興味のあるモノや人には一直線だけど、それ以外は、小学五年生らしく、お世辞も上辺も取り繕わず、平気で無関心を外に出すこと。
だけど、それは単にいやな奴というわけじゃなくて、興味や関心をうまく細分化できないひだりちゃんの個性であるということも勿論わかっている。
ひだりちゃんの一番のお友達になりたい。
私が何かあって最初に相談するのは、もちろんひだりちゃん。
だけど、ひだりちゃんの一番は私じゃない。
私が好きなほど、ひだりちゃんは私を好きじゃない。
お友達でもみんな同じ“好き”ではないということを、もう小学五年生の私は知っている。
私の“一番好き”はひだりちゃんにあげている。
ひだりちゃんの“一番好き”は、美術の東郷先生だ。たぶん、だけど。
東郷先生は大人だから太刀打ちできないとして、2番や3番に選んでくれてもいいものだけれど、ひだりちゃんのそこは空白だった。
4番や5番に、私やクラスメイトのれんちゃんやしいか、塾で一緒のひるまくんやしゅうすけ辺りが同列で並ぶ。
ひだりちゃんは可愛くて、男子からもモテて、頭もよくて、私の最強のヒーローだ。
私は女だから結婚できないけれど、男だったら結婚できたのかなあ。
いや、海外では女同士でも結婚できる国があるらしい…。
じゃあ、海外に行けば、ひだりちゃんとずっと一緒にいられるのかな。
と夢想したけれど、こういうのは双方の同意が必要なんだ、と習ったばかりの、格別に頭が良く聞こえそうな単語を呟いた。
塾はちょうど、小学校から10分過ぎた駅近にある。
武蔵境駅はなんとものんびりした雰囲気を醸し、学生や人、時間の流れまでスローモーションで動いているかのようだった。
今日は土曜日、午前からみっちり塾がある日だ。
中学受験が来年を迫り、親や塾の先生たちが切羽詰まった様子で、私たちにはっぱをかけてくる。
そんな大人たちの焦りに応えるように、理科、社会の暗記科目を特訓する「暗記会」なるイベントが、本日開講されているのだ。
早く席に着きすぎてしまい、周りをうろうろ見渡していると、ぞろぞろ生徒たちが入室し始め、その大群の中に、同じく理系科目が苦手なしいかを発見した。
「しいか、こっち」
手を振ってこちらを知らせる。
しいかは一旦こちらを無視し、前のホワイトボードに貼ってある座席表で自分の席を確認した。自分の席で荷物を降ろすと、そのまま公民のテキストを開き、こちらをちらりと見やり合図した。
私はそのまま、しいかの机へ移動した。
「ひだりちゃんは?」
着いてそうそう、みんなひだりちゃんのことが気になるようだった。
「まだ来てないっぽいよ。まあ、朝早いし、これから来るんじゃない?」
「でも、ひだりちゃん、いつも早いじゃん」
「……だね」
私は、これ以上の返答にあぐねていた。
「今日、自信ある?」長い沈黙の後、しいかが堰を切る。
「こんな一日で詰め込んでも、すぐ忘れるでしょ」
「暗記会、模試より時間長いから面倒なんだよね。そんな仲いい子いないし」
仲いい子には入っていなかったのか、私。
しいかをよく見ていたつもりが、自惚れていたのかもしれない。
「ひだりちゃん、来るといいね」
「ね」
これがしいかと私の今日1日分の会話だった。
暗記会が終わると、もう17時30分を回っていた。
しいかは急いでその場を去るし、れんちゃんは別の教室で会えなかったしで、暗記会の愚痴を誰にも共有できることなく、なんとなくモヤモヤした頭で、塾を出た。
結局、ひだりちゃんは来なかった。
お母さんとは、1階にカフェが併設されているお洒落な図書館の前で待ち合わせをしていた。武蔵境の駅ビル「エミオ」で買ったいつものトップスのチョコレートケーキを携えて。
これを生きがいに今日を乗り越えたといっても過言ではない。
頭はケーキで一色で、図書館まで走って向かったところ、遠くから見えたのは、お母さんと…背の高い女の子?
目を凝らして、もっと近づいてみると、それはひだりちゃんだった。
声も出ない。一番大好きなひだりちゃん。憧れのひだりちゃん。なんでうちのお母さんと一緒に…?
「ひだりちゃん、さっきここで偶然会ったの。せっかくだし、うちで一緒にご飯でもどうって話になってね。こよみも嬉しいでしょ?」
嬉しくないはずがあるか、と前ならば思っていただろうけど、久しぶりのひだりちゃんを目の前にすると緊張してしまう。
ひだりちゃんは、ここのところ、塾も学校も来ていなかったからだ。
しかし、そんなこと気にする風もなく、ひだりちゃんはいつものように堂々とその場に立っていた。
「よろしくね。こよみちゃん」
ひだりちゃんはにっこり言う。
「こっちも、よろしく、だよ」
私は片言でこう返答するのが精いっぱいだった。
その後、家でご飯を食べた後、私の部屋でひだりちゃんと遊ぶことになった。
正直、夕食のときは、外面の良いお母さんがあれやこれや話題を振ってくれたし、TVもついていたしで、会話に困ることはまったくなかった。
2人きりだとどうだろう。
こういう度胸がないところ、ひだりちゃんはきっと嫌いなんだろうな。
「私、両親が離婚するの」
突然のひだりちゃんの告白は、ドラマのセリフみたいだった。
「え?」
「っていっても、本当の両親じゃないけど」
ひだりちゃんは淡々とした口調で続ける。表情が読めない。
「どういうこと?」
「うち、幼い頃に両親が亡くなってて、代わりにお母さん方の祖父母が育ててくれてたのね。そんで、そのおじいちゃんとおばあちゃんが熟年離婚ってわけ」
「じゃあ、ひだりちゃんは、どうなるの?」
「はなから育てたくなかったみたいだし、離婚を機に、どっちに押し付けるかで裁判中ってとこ」
あまりにも飄々としたひだりちゃんに、面食らってしまう。急な話に、何度も嘘じゃないかと思ったが、ひだりちゃんはこんな質の悪い嘘をつく子ではない。
「引っ越しとかしちゃうの?」
だめだ。これは私がひだりちゃんと一緒にいたいがための質問だ。もっとひだりちゃんの淡々とした口調のもっと奥の本当の表情に寄り添わなきゃいけないんじゃないか。
ここで迂闊なことを言えば、きっと私たちの関係も取返しがつかなくなる。
「わかんない。おばあちゃんは再婚するそうだし、おばあちゃんに引き取られれば、広島かな。おじいちゃんだったら、多分ここ、武蔵境」
「広島って遠いの?」
「東京から新幹線で4時間くらいかな」
何の気なしに、ひだりちゃんは答える。
「嫌だ。ひだりちゃん、どっか行くの」
「だから、おばあちゃんに付いていくことになったらの話。おじいちゃんだったら、ずっとここだし、何も変わんないよ」
また私は私の欲のための心配しかしていなかった。
ひだりちゃんはおじいちゃんとおばあちゃん、どっちに付くのが幸せなのかが問題なはずだ。ここにいてほしいから、おじいちゃん側についてほしいだなんて、私の傲慢だ。
「どっちに付くのが、ひだりちゃんの幸せ?」
「どっちも幸せじゃない。どっちもどっちだから、環境が変わらない、おじいちゃんのほうに付きたいかな。でも、決めるのは私じゃないから」
こんなときでも感情の色を見せないひだりちゃん。いつも通り大人びているひだりちゃん。
「なんで? なんでひだりちゃんが」
「決められないの、子どもだから。仕方ないじゃない」
仕方ないの言葉にやるせなくて、どうしようもないことが腹立たしくて、思わず泣き叫んだ。
「おかしいよ⁉ ひだりちゃん、みんなの一番なのに。私もずっと一番好きなのに。ひだりちゃんは凄い女の子なのに。仕方ないとか言わせちゃダメなのに。こんな凄い子は、絶対絶対幸せじゃないとおかしいのに」
「何その支離滅裂な感じ…。一番でもダメなんだよ。どんだけ頑張っても、境遇は変えられない。ただ、いつかこういう日があったって、思い出話として過ごせる日がきっと来るって、月並みな言葉だけど本当なんだって。ある人が言ってた」
「それって、東郷先生?」
「…なんでわかるの?」
「ひだりちゃんの一番は、見てたらわかるよ」
「ふーん。こよみちゃん、私のなんなの?」
「ねえ、ひだりちゃん、私と結婚して。東郷先生に断られたらでいいから」
「は? 何言ってんの? 東郷先生? しかも、こよみちゃんと結婚?」
「みんなひだりちゃんのこと大好きだからね。しいかもれんちゃんも。東郷先生だって絶対そうだよ。ひだりちゃんのためなら結婚できるってぐらいに。今日この話をしてくれたのは私だからじゃないってのもわかってるよ、それは仕方ない。ひだりちゃんの一番じゃないから。たまたま話したくなったときにいたのが、私だっただけなんてことも、わかってるから。それでも、でも、私の一番はひだりちゃんだし、ひだりちゃんの一番は私でなくても、もうどうだっていい」
一気にまくしたて、呼吸も絶え絶えになってきた。
きょとんと目を丸くしたひだりちゃんは、意味が分かっているのか、それとも分かっていないのか。
これが友情でも恋でもなんでもいい。
私はひだりちゃんが一番好きだ。
でもひだりちゃんの一番でなくていい。
ひだりちゃんが、本当は悲しいことを、悲しいまま表現できる相手に出会えればいい。
それが東郷先生だろうが、しいかだろうが、れんちゃんだろうが、誰でもいいから。
誰でもいいです。神様。
ひだりちゃんの一番 @kan3296
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