万物は陰を負いて陽を抱き、沖気もって和を為す。

 もっさり男、酒井理人がちらちらとこっちを見てくる。


 前の席で休み時間の度に後ろを向いて話しかけてくる森明菜、通称あーちゃんが「何、こっち見てんのよ。」と睨みをきかせれば、彼はあたふたと目を逸らした。

 寝癖でもついていただろうかと、ポニーテールの先っぽを手で軽く整えながら、そんな言い方しなくても…と思うが、あーちゃんににそれを言う勇気は、晶子には無い。


 朝、駅で見かけたという、隣の高校の男子生徒がメチャクチャ格好良かったと、いつも以上にキラキラしながらあーちゃんがキャーキャー言っている。その話に頷きながら、晶子は推しのカイリ様のことを考えていた。

 高校生で、地味に裏作業ばかりしている推しのあの人は、きっとこんな感じなのだろうと、斜め後ろで何も言い返さないもっさり男をちらりと見る。今日はあのパーカーではないらしい。それにちょっとホッとする。


 イケメンでキラキラしている人が、夜な夜な参加型のゲームをして、しかも自分をアピールすることなく黙々と作業なんてするわけがない。きっと彼は、こちら側の人間だ。

 昨日の帰り、晶子がそう熱く語ったら、幼馴染の松井由多=ユタ氏は「同意。」と言って楽しそうに笑ってくれた。


 もう一度もっさり男をちらりと見れば、彼は下を向いて何かをいじっているようだった。



(携帯電話かな?)


「ねえ、聞いてる?」

「え?あ、何だっけ?」



 あーちゃんが、呆れたような顔をして、「まあ、良いけどさ。」と言った。



「ごめん、ごめん。ちょっとボーッとしちゃって。」

「ケンチャナよ。で、今日さ、王子の帰り、待ち伏せするの付き合ってよ。」



 言っている意味がわからなくて晶子が固まると、「だーかーらー、隣の高校のイケてるメンズを見に行くの付き合ってって。」と、あーちゃんが言葉の意味を説明した。



「え?なんで?」

「へ?」



 不思議なものを見るような目で、あーちゃんが晶子を見る。やってしまったのだと、気が付いたが、時既に遅し。



「まあ、良いや。それよりさ、」



 再びキラキラを取り戻したあーちゃんは、今度は昨日のドラマについて話し始めた。追及されなくて良かったと思う反面、何かもやもやとしたものが心に残る。それが何なのかわからないまま、ポケットの中で携帯電話が揺れた。

 さすがに今それを取る勇気は無く、あーちゃんの話を笑って聞く。今ここでそれを取れば、あーちゃんの目が不思議なものを見るそれから、困ったものを見るそれに変わる気がした。



 先ほどの携帯電話の揺れが、カイリ様の尊いお言葉だとわかったのは帰りの時で、それに気が付いた晶子は足を止め、「くーっ!」と一人悶えた。





 ――――――――――



「減点された気持ちになるわけですな。」



 いつもの電車、いつもの車両に乗り込んできたユタ氏の姿に晶子はホッとする。今日のもやもやについて説明をすれば、目から鱗の説明が返って来た。



「陽キャの方々は、満点を目指しておられるからの。」

「陰キャは?」

「最初からマイナスで、まずはゼロを目指しておる。だから何かあればすぐBATに入る。」

「はあ。」



 なんとなくわかったような気がして返事をしてはみたが、ユタ氏には実はよくわかっていないということが伝わったようだ。



「満点を目指しているから、普段しんどい。ただ何かあっても、点数は残っているからもやるぐらいで済む。」

「ほお。」



 晶子のために、ユタ氏はゆっくり説明してくれる。それが心底ありがたいと、今更ながら晶子は思う。



「逆に私たちの場合、マイナスが当たり前だから、普段はあまり辛くない。でも何かあればかなり凹む。」

「ほほお。」



「私たち」ということは、晶子もこちら側だと言っているのだと気づく。そう言ってくれたことが、妙に嬉しい。



「師匠、減点されたような気持ちになったということは、我は向こう側に近づいてきたということでしょうか?」

「そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。後で思い出してBATに入らなければ、そうと言えるかもしれぬな。うむ。」


(なるほど。)



 晶子はユタ氏の話に納得して、さっきのあーちゃんとの会話を思い出す。あの後のあーちゃんは、気にしているようにも怒っているようにも見えなかった。



(大丈夫、だよね?)



 少しづつ不安になってくる。やばい、BAT入るかも。―――と晶子が思っていたところを、「陽キャの方々は、拙者達ほど引きずらない。気になさらぬよう。」とユタ氏が言った。



「さすが師匠。どこまでもお見通しで。」

「自分と重ねているだけでござる。」

「先ほどの分析はお見事でした。」

「あれは、ちょうど昨日読んだ小説の受け売りだ。」



 ユタ氏も晶子も、小説投稿サイトで読む小説が大好物だ。ラブコメも悪役令嬢物も、なんなら、戦闘系のファンタジーもホラーも、人気があるものを片っ端から読んでいる。登下校の時間で、ユタ氏といない時間は、SNSよりももっぱらそっちにお世話になっており、二人にとってその情報交換は欠かせない。



「え?今、何読んでるの?」

「リア充JK、悪役令嬢に転生してオタクな王子に凸る。なぜ逃げられるのか、意味わからないんですけど!」

「題名、長すぎ!」

「そして、あらすじも第一話並みに長い。」

「斬新!」



 くくくと二人揃って口を押さえて静かに笑う。ここは電車の中だから声量は気を付けなければならない。何なら教室でだって、あーちゃんの笑い声がたまに気になるのだ。―――そんなことは口が裂けてもあーちゃんには言えないけれど。



「オタク王子の心理描写が秀逸すぎて、まさかのそちらに感情移入して読んでおる。」

「え?じゃあ、悪役令嬢は?」

「あの悪役令嬢は我らにとって、悪ぞ。」

「そのまんま!」



 思ったより大きな声が出て、再び口を押える。誰もこちらを気にしてはいないようでホッとした。



「万物は陰を負いて陽を抱き、沖気もって和を為すじゃ。」

「それ、意味わかって言ってる?」

「まあ、なんとなく。」



 電車がスピードを落とし、笑いが止まらない二人が下りる駅が近づいたことに気が付く。



「ユタ氏といると時間があっという間でござる。」

「わしもじゃ。」



 そう言って、二人は駅に下りた。










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