第21話 ワインを飲む

 夜中、突然息苦しさを覚え飛び起きた。

 冷や汗をかき、心臓の鼓動は速い。

「くそっ、何だってんだ……」

 右手に、ディープサハギンを斬った時の感触が蘇る。

 今更になって、恐怖で身体が震え始めた。

 ベッドに入るまでは、他に人が居たし、自分自身気を張り詰めていたのだろう。

 だが、いざ一人になり、気が緩んだ事により遅れて恐怖が忍び寄って来たのだ。

 傷はリアのおかけで完全に癒えたはずだが、負傷した左腕と背中が疼いている様に感じる。

 怖い。

 船から転覆した時は一瞬の出来事だったから、恐怖を覚える暇さえなかった。しかし、今回は違う。実際魔物と対峙したのだ。

 死を恐れていないあの目、鋭い牙、分厚い爪。瞳を閉じると、瞼の裏にディープサハギンの恐ろしい姿が浮かび上がる。

 俺は、その恐怖に耐えるため、ベッドの上で身体を丸め座り込んだ。

 震える身体を必死に押さえ込む。死への恐怖を改めて認識した。

 確かにこの世界ならば、リアの魔法で蘇ることができる。実際イタズラで二回ほど死んでいるし。

 だが、それとはまた話が違う。

 もし、もう一度あんな魔物と出会ったなら。そう考えると怖くて仕方がない。

「ははっ、こんな情けない姿、セラには見せられないな」

 両ひざに顔をうずめる。

 すると、ドアを軽くノックする音が聞こえて来た。こんな夜中に誰だろうか。

 薄っすらと開いたカーテンの隙間から差し込む月明りを頼りに、部屋のランプを点ける。

 そして、ドアを開けるとそこにはリアが立っていた。

「ど、どうしたんだ? こんな夜中に」

 俺の部屋をたずねて来るとしたら、リアかセラのどちらかぐらいしかいないが、こんな夜中に来ると思っていなかったので少しだけ驚いた。

「いや、その、きちんと姫様を守ってもらったお礼を言っていなかったと思ってな」

 そう言うリアの手には、ボトルとワイングラスが握られていた。金属製のが2つ。

「入っても、良いか?」

 俺が突然の訪問に固まっていると、遠慮がちに言ってきた。一応こういう所は礼儀正しい。

「あ、ああ……」

 だが、俺が入室の許可を出すと、躊躇なく部屋に入って来た。そして、テーブルにボトルとワイングラスを置くと、ドカッと椅子に腰かける。

 その動作に呆気に取られていると、向かい側の椅子を指さし「いつまでもそんな所に突っ立ってないで座れ」と言い放った。

 ドアを閉めると、言われたままに椅子に腰かける。今更こんな事でいちいち腹を立てたりはしない。

 俺が椅子に座ると、リアは持ってきたボトルを開け、グラスに中身を注いだ。濃い紫がかった赤色の液体。赤ワインだろうか。

「おい、どうしたんだ? ワインなんて。まさか厨房から持って来たんじゃないだろうな」

 いくらリアと言えど、そこまでの権限は無いはずだ。賓客である俺に振舞うため、という名目なら許されるかも知れないが、グラスは2つある。自分も飲む事前提に持ち出せば大問題だろう。

「何を言っている。私がそんな事するわけないだろう」

「じゃ、じゃあ――」

「細かい事は気にするな。とにかく飲め」

 そう言われ、グラスをこちらにグイッと差し出して来た。

 素直にそれを受け取る。

 そして、リアは自分のグラスにもワインを注ぐと、持ち上げながら「姫様の無事と、貴様の初討伐を記念して、乾杯」そう言ってグラスを重ねてきた。

「か、乾杯」

 遅れて俺もそう言葉にし、ワインに口を付けた。

 口に含むと、程よい果実の甘みが口いっぱいに広がった。渋みと酸味のバランスが良く、とても飲みやすい。味わい的にミディアムボディといった所か。

「うん、美味い。鼻に抜けるこの風味、チーズが欲しくなるな」

「ふん。そう思って持ってきた」

 リアが小さいキューブ型のチーズをいくつか取り出し、テーブルの上に置いた。

 お酒が弱いとはいえ、分かってるじゃないか。

「おっ、いいねぇ。じゃあ、早速頂きます」

 一つだけつまみ、口に放りこむ。

 堅い質感に強い酸味とコク。チェダーチーズの味に近い。

「うんうん。いいね」

 そして、グラスに入ったワインを一気に飲み干す。

「くぅ~! 最高だな」

「そ、そうか。……良かった」

 空になったグラスをテーブルに置くと、再びリアが注いでくれた。

 俺はその行動に少し違和感を覚える。俺の知っている今までのリアであればこんなことはしないはずだ。

 もしかして既に酔っているのだろうか。しかし、リアはまだグラスの半分も飲んでいない。

「あれは私が12歳の時だった……」

 グラスの中の液体を見つめながら、リアが突然語りだした。俺は静かに耳を傾ける。

「近衛兵長だった父の指導の影響もあり、城の兵士の中で私に敵うものはほぼいなかった。そんなある日、ディープサハギンの群れが突如として港町を襲った。父は私に城で待機していろと言ったが、私は自分の力を示すチャンスだと思い、父の言う事を聞かずこっそり後を付いていった」

 リアがワイングラスをグイッと呷る。

「だが、それは間違いだった。始めて魔物と対峙した瞬間、私はその恐怖から足がすくみ、動けなくなってしまった。そして、気が付いたらディープサハギンに囲まれていた。始めて死を意識したよ。けど、父が身体を張って私を守ってくれた。その時の怪我が原因で、後に町を襲ったシーサーペントによって命を落としてしまったがな……」

 テーブルに置かれた手を強く握りしめ、俯くリア。俺はなんて声をかければいいのだろうか。

「だから、貴様が恐怖を覚えるのは当たり前だ。何も恥ずかしい事ではない」

 その言葉に、合点がいった。リアは俺を励ましに来たんだと。

 確かにリアが来てくれたおかげで、恐怖が少し和らいだ気がする。

「あぁ、ありがとう。今思い出しても魔物は怖い。それに今回はまぐれで倒せたけど、次は多分、無理だ」

 リアがゆっくりと立ち上がると、俺の横に来た。そして、グイッと体を抱き寄せられた。顔がリアの胸にうずまる。とても柔らかくて、とても暖かい。

「貴様は無理に戦わなくていい。姫様のためにも、私が守る」

 その言葉にとても安心する。酒が入ったことによる酔いもあるのか、とても心地いい。何もかも忘れ、このままずっとこうしていたい。

 そう思うと、全身の力が抜けていき、意識が遠のいていった。


 翌朝、目を覚ますと俺はベッドに横になっていた。

 体を起こし、めいっぱい伸びをする。とても良く寝れた気がする。

 部屋を見回すと、リアの姿は無かった。もしかしても夢だったのだろうか。

 しかし、テーブルの上には、中身が残っているワインボトルとチーズ、そしてグラスが1つだけ残されていた。

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