第17話 初心者向けのあの魚を釣る
翌朝、昼食用のサンドイッチを作っていると、厨房にひょっこりとセラが顔を出した。
「あらヒロト、何をしているの?」
「ああ、お早うセラ。昼食用のサンドイッチを作ってるんだよ」
パンにバターを塗り、レタスやハムなどを挟む。
「そんなに沢山作って、どうするの?」
目の前には3人分の材料が並んでいる。勿論、これを全部ひとりで食べるわけではない。
「ヒロト1人で食べるには多いわよね。――っもしかして!?」
セラは天真爛漫で天然な所が有るが、決して頭が悪いわけではない。自分の立場や身の振り方は理解しているし、時折このような鋭さを見せる。
「その通り。今日はセラと釣りに行こうと思ってね」
俺のその一言に、セラの瞳がキラキラと輝いた。
「やったやった! ねぇねぇヒロト、今日は何を釣るの? トラッチュ? サルディン?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねた後、俺の腕にくっついてきた。もし包丁を握っていたら、たとえ相手がセラだったとしても本気で怒っていた所だが、幸いにも握っていたのはバターナイフだ。
「まぁまぁ、それは釣ってからのお楽しみって事で」
「えぇ~~。ヒロトの意地悪~~」
少し離れたところからリアの殺気を感じなくは無いが、気にしないことにした。
「知らない方が、ワクワクするだろう?」
とは言ったものの、果たしてお目当ての魚がいるかどうかは分からない。だが、ミミズを餌にすれば、何かしらの魚は釣れるだろう。
「確かにそうね。知らない方が楽しめる事もあるものね」
セラがうんうんと大きく頷いている。
「あの……セラ?」
「ん?」
セラが腕に巻きついたまま小首をかしげる。
「そろそろ、離れてくれないか?」
ずっとくっつかれる事に悪い気はしないが、このままでは調理が進まない。
「もしかして……嫌だったかしら?」
悲し気な声を出して、セラの瞳がウルウルとする。そして、再び感じる殺気。
「ち、違う違う。嫌だって訳じゃなくて、こ、このままだとサンドイッチが作れないからさ」
「あら、私ったら。えへへ」
どうやら誤解は解けた様で、照れ笑いを浮かべながらセラがやっと腕から離れてくれた。
だが、揺れる髪から香った甘い香りが、心臓の鼓動を早くさせる。
「もう少しで完成するから、さっきからこっちを睨んでいる人を連れて、準備して待っててくれ」
「分かったわ。それじゃリア、あなたの眉間の皺が取れなくなる前に行きましょ?」
「御意」
セラはスキップをしながら、リアを伴って厨房から出て行った。
「やれやれ」
リアの殺気から開放された俺は、手早く残りのサンドイッチを作り終えると、バスケットに入れて自室へ戻った。
昨夜の内に事前準備をしていたため、特に改めて準備する物は無い。
事前準備も、釣りの醍醐味だ。
今回使用する道具一式が入っているタイガ社製のタックルボックスとロッドを手に取ると、城門へ向かった。恐らく2人はもう待っているだろう。
城門が見えると、やはり既に待っている2人の姿が見えた。俺は2人と合流し、釣場へと向かった。
◆◆◆
今回の釣り場は、城にほど近い湖だ。
ネルス湖と言うらしいが、実際の大きさは湖というほど大きくは無い。日本で言えば池、または沼と呼ばれてもおかしくない大きさだ。恐らくは文化の違いだろう。
地図で確認したところ、河口にほど近い場所にあるため、満潮時には潮水が逆流して汽水湖となっているだろうと予想出来る。
「今回はネルス湖で釣りをするのね。懐かしいわ」
セラが湖を見つめながら目を細める。
「昔はよく来ておりましたからね」
リアも懐かしそうに呟いた。
「湖に飛び込んで、よくお父様に叱られていたわね」
「怒られていたのは私です。『お前が付いていながら、何故なんだ』と」
「フフフ、そうだったわね」
好奇心旺盛な名残は今でも残っているが、昔のセラはもっと旺盛だったに違いない。
「よし、じゃあこの辺りでやろうか」
俺は足場の安定したところに持ってきた荷物一式をおろす。タックルボックスから必要な仕掛けを取り出し、釣りの準備を始める。
セラには前回サビキ釣りの時に使った、1.8mの振り出しの万能ロッドを使ってもらう。
手軽にちょい投げするのにもってこいだ。穂先も柔らかめだし、魚をはじくことも少ないだろう。
道糸の先をチチワ結びしサルカンを付ける。そしてサルカンに、10cmほどの弓型をした天秤をつけ、まっすぐ伸びている先に5号の重りを付ける。枝分かれし、湾曲した方の先に6号針が2本付いた仕掛けを取り付け、完成だ。
「ねぇ、ヒロト。この間やった釣りとはどう違うの?」
「ああ、今回はこの天秤仕掛けを使った釣りだよ。前は仕掛けを下に垂らして、上下させてやったけど、今度はチョット遠くに投げるんだ」
「へぇ~、面白い形をした仕掛けね」
「そう。この弓型の部分が天秤みたいな形でしょ? 仕掛けを飛ばした時に糸が絡みにくいんだ」
「でも、このままで釣れるの? この間みたいにアミエビも無いし、針にも何も付いてないし」
「それはこれからつけるんだよ。ほら」
そう言って、袋を取り出す。
「その中に餌が入っているのね?」
セラがワクワクとした様子で、餌の入った袋を覗き込んだ。
「きゃぁ! 気持ち悪いわ!」
驚いた声をあげ、尻もちをついた。袋の中では無数のミミズが蠢いている。確かにミミズが平気な俺でも気持ち悪く感じる。
「ジャ、ジャイアントデスワームの子供じゃない。! わ、私絶対に触らないから!」
俺が勝手にミミズと言っているが、実際はジャイアントデスワームの子供であるとリアにも教えてもらった。その証拠に、時折無数の牙で噛みつこうとしてくる。実際噛みつかれたとしても、痛いだけで無害だそうだが。
「セラ、釣りでは時にこういう生餌を使わなきゃならないんだ」
「嫌よ! 素手で触ったらヌルヌルするし、噛まれたら痛いもの!」
まぁ、確かに青イソメに噛まれると少しイラっとは俺もするけど、ここまで嫌がるのには訳があるのだろうか。チラリとリアを見る。
俺のその視線で察したのか、リアはセラがジャイアントデスワームが何故苦手なのか語りだした。
「姫は昔、ジャイアントデスワームの群れに襲われてな。それがトラウマになっているんだ」
「襲われた? でも、無事だったんだろう?」
「ああ、私がすぐに駆けつけたからな。ただ、身体に巻き付かれ、飲み込まれる寸前だったんだ」
確かにそりゃトラウマになる。
「襲われた原因はなんだ? リアはずっと傍に居たんだろう?」
「私が一瞬目を離した、というのも原因だが、姫がジャイアントデスワームの子供で遊んでいたんだ」
「なるほど、それでその親が怒ったと」
「まぁ、そんな所だ」
だが、釣りを楽しんでもらうためには頑張って餌を付けてもらうしかない。
「仕方ない、あれを出すか」
俺はタックルボックスから、【つまみ殿2世】を取り出す。プラスチックで出来たピンセットの様な形をした餌掴みだ。つまむ部分の反対側は餌を切れる様な仕様になっていて、針に付けた後の余分な部分を切ることができる。
「ほら、これなら素手で触らなくても大丈夫だろう?」
試しに一匹だけミミズを取り、針に付ける。釣る魚によっては、垂らしをそのままにすることも有るが、今回釣る魚は短い方が食いつきが良かったり、餌だけ持っていかれる心配が無いので、2㎝ほど残しカットする。
「た、確かにそれなら素手で触らなくても大丈夫そうね」
「でしょ? そしたらこれをチョットだけ遠くに飛ばすんだ」
足下でも釣れるかも知れないが、先ずは少し遠くに投げて、手前に巻きながら様子を見た方が釣れるかも知れない。
「どうやるの?」
「これから説明するのはオーバースローって言って、まぁ基本的な投げ方になるんだけど、先ずは穂先から20センチぐらい糸を垂らすのね。そして、糸を人差し指の先っちょに引っかけてベールを起こす。周囲、特に後ろに人が居なかよく確認して、糸が絡まないように後ろへ仕掛けを回す。リールを上に向けたまま、もう片方の手で竿のお尻を握って、まっすぐ振りながら大体45度ぐらいの位置で糸を離す。仕掛けが水に落ちたら、糸が出なくなるまで少しだけ待つ。出なくなったら仕掛けが底に付いた証拠だから、ベールを戻してリールを巻いて糸のたるみを取る。これが一連の流れ。いい?」
「う、う~ん?」
セラの頭の上にはハテナが沢山浮かんでいる。確かに言葉で言っただけではなかなか伝わりづらいだろう。
「じゃあ、実際にやってみるからよく見ててね」
「ええ」
そして、もう一度簡単に説明しながら仕掛けを軽くキャストする。放物線を描いた天秤が数十メートル飛んでいき、ポチャンと水面に落ちた。
3秒ほどで着底したので、そこまで深くは無い様だ。
「こんな感じで投げるんだ」
リールを高速で巻き、仕掛けを回収する。
「さぁ、やってごらん」
竿をセラに渡す。
「ちょ、チョット緊張するわね」
竿を受け取ったリアは、ブツブツと俺から教わった言葉を一つ一つ繰り返しながら確認している。
「えっと、まずは指を引っかけて。それからそれから、これを起こして、後ろにもって行って――えい!」
勢いよく竿を振ったセラ。しかし、糸を離すタイミングが遅すぎたため仕掛けが手前の水面に強く叩きつけられた。
「きゃあ!?」
その自分の失敗に、驚きの声をセラはあげた。
「あはは、誰だって最初はそんなもんだよ」
「ちょっと~、笑わないでよ、恥ずかしい」
むくれる様に怒ったセラは可愛い。しかし、あまりからかい過ぎると誰かさんに後ろから刺されかねない。
「よし! もう1回」
「あまり力まないでやってごらん」
こくりと頷いたセラは、真剣な表情で竿を構えた。指を引っかけ、ベールを起こし、竿を振りかぶる。
そして、力みの無いスイング。まだぎこちなさはあるけれど、先ほどとは違いきちんと仕掛けは飛んで行った。
着水し、糸が出なくなったところでベールを戻し、たるみを取る。
「ふふん。出来たわ!」
セラがドヤ顔でこちらを見てきた。
「流石セリオラ様です」
リアも調子づける様な事を言う。その言葉に気を良くしたのか、更に胸を張りドヤって来る。これは俺も褒めた方が良いのか。
「うんうん、上出来」
まぁ、ここは素直に褒めてあげた方が良いだろう。釣りの楽しさを覚えて貰いたからな。
俺のその言葉に「えへへ~」とにやけたセラだが、唐突に何かに気が付いた表情をした。
「ねぇヒロト。さっきから、ツンツン突かれる様な感じがするんだけど……」
魚食ってんじゃん。
「良し、セラ。軽く竿を引っ張ってごらん」
「う、うん――わわっ。ブルブル来た!」
どうやらきちんと魚が乗ったようだ。
「よしよし。そのままゆっくり、慌てずにリールを巻いて」
緊張した面持ちでリールを巻いてくセラ。その動きはとてもぎこちない。
「よし、充分巻いたからもう竿を立てて良いよ」
そのまま放っておいたら、穂先に仕掛けが当たるまで巻き続けそうな勢いだった。仕掛けはもう、すぐ近くまで来ていた。
「こ、こう?」
セラが勢いよく竿を立てると、予想していた通りの魚が水面から姿を現した。
「やった! 釣れたわ! ねぇ、ヒロト。この魚はなんて名前なの?」
「これはハゼだね。マハゼっていう魚さ」
やはり多少ヒレの形は俺の知っているマハゼのそれとは違うが、細長い円筒形の胴体、そしてチョット間の抜けた顔。マハゼとみて問題ないだろう。大きさは15㎝ぐらいだろうか。充分な大きさだ。
「へぇ~、マハゼかぁ。ふふっ。とっても愛らしい顔をしているのね」
セラがハゼの顔をまじまじと見ながら笑った。
大きな口に、顔の上部に目が付いている。実際正面から見ると可愛い。
「どうしよう、ヒロト」
ハゼを微笑ましく見ていたセラが困惑した声をあげた。
「ん? どうした?」
「この子、針を外せないわ」
確かに、よくよく見ると針を飲み込んでしまっていた。アタリがあった瞬間に合わせればこんな事にはならないが、タイミングが遅いと針を餌ごと飲み込んでしまう事もある。
「あぁ、それなら大丈夫だよ」
俺は針外しを取り出す。【C・Y型】と呼ばれる最もポピュラーなやつだ。
糸をピンと張り、針外しのCとなっている部分の切り込み口に糸を通す。そしてそのまま針に当たるまで押し込み、針に当たったらまた更に押し込む。そうする事によって、飲み込んで刺さってしまった針も簡単に外すことが出来る。
「ほら、取れたよ」
「すごいすごい! 便利な道具があるものね」
ハゼを水汲みバケツの中に入れると、口とエラをパクパクとしながら呼吸を始めた。
その様子を、セラはしゃがみ、頬杖をつきながらじっと見ていた。
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