紀昌、異世界に渡り、天下一の弓の達人を目指す
咲春藤華
第1話 紀昌、異世界に渡る
某日、『不射の射』を習得するために愚者となった紀昌は、この世から静かに息を引き取った。
紀昌は、師のもとを去ってから、あらゆる物のことを思い出すことができなくなっていった。
自分が追い求めていた『弓』のことも。
世から『弓の名人』と呼ばれている紀昌がだ。
紀昌は正確には『不射の射』を習得してはいなかった。
なにか物を狙う、と言うこと自体を忘れてしまったのだ。
確かめることができないのだから、それでは奥義を極めたとは言い難い。
師、甘蠅のもとから帰った紀昌は深い深い虚無の中に身を置くことで、心の揺らぐことがない、凪のような平穏を手に入れたが、本人にはその幸せを理解することができない。今、己がどのように過ごしているのか理解してすらなかった。
その状態で息を引き取った。
紀昌は自分が死んだことにすら、気づいていなかった。
しかし、死の淵に立つことで、少しばかり鮮明な意識を取り戻した。
自分が『不射の射』を習得したことにより愚者となったことを思い出し嘆き、最後に一つ願った。
(私は弓を極めるために、弓のことを忘れていたのか……、なんと愚かな……。願うわくば、もう一度生を受けたい……。この世でなくとも良い。今一度、天下を目指したい……。『不射の射』をも超える、弓の頂を! 師をも超える、我が一射を! 射らずして射る、究極を超える究極を! 我にはまだ先が見える! 神よ! 仏よ! この世全て、万物に宣言す! 我は! 頂に立つ! 万物を射る力を手に入れる! 弓を極める刻を我に与えたまえ! 今一度生を……!)
返答はない。
愚者に落ちた我は、神に見放されたか……。
紀昌はまた一つ思い出した。
昔、師に出会う前のこと。
友との何気ない会話だ。
「神はな、日々退屈してるんだよ。この世、また万物を作ったのは神だ。それから、ずっとこの世を見ている。人は退屈なら、別のことをしだすだろ? なら退屈した神はどうすると思う? ……この世を壊して、また一から世を作り出すんだよ。そして、また観察する。自分を楽しませてくれる者を探すために……」
神は日々退屈している……。
……そうか!
(神よ! そのつまらぬ日々は我が射らせてもらおう! 究極たる我が力をもって楽しませてくれよう! 神よ! 我は愚者なり! 神に布告する愚者なり! 我が手に入れる力に刮目せよ! 究極たる力を手にするまでの刻を我に与えたまえ! 今一度、我に生を!)
『ふふっ、そこまで言うなら、楽しませてくれよ? 神に仇なす愚者よ』
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