第8章 行仏威儀

第374話 行仏威儀その一 何をするかが問題だ

 「諸仏かならず威儀ゐいぎ行足ぎょうそくす、これ行仏ぎょうぶつなり。行仏それ報仏にあらず、化仏けぶつにあらず、自性身仏にあらず、他性身仏にあらず。始覚本覚しかくほんがくにあらず、性覚無覚しょうかくむかくにあらず。如是等仏にょぜとうぶつ、たえて行仏に斉肩することうべからず。」

 仏と言われる方々は必ず仏としての威儀をその行いによって十分に身につけている。これが行仏である。行仏というのは過去の因縁によって仏になるという報仏ではなく、仮に姿を現す化仏ではなく、本来自分自身の中にある仏という自性身仏ではなく、自分以外の中にある仏という他性身仏ではない。修行によって初めてわかるとか本来備わっているものであるとかいうものではなく、本来のものだとかそのようなものは無いとかいうものではない。これらの仏は絶対に行仏に肩を並べることはできない。

 正直に言って報仏などここに出てくる仏教用語のことはよくわからない。ただ間違いないと思っているのは、行いつまり身心を使って行ずることこそが仏なのだということだ。行いは坐禅と坐禅した身心での行動と考えていいだろうと思う。

 仏教は観念的精神論ではない。この身心でこの瞬間をどう生きるかを示すものだ。何をするかが問題だ。どんな立派なことを言っていてもやっていることが駄目ならその人間は駄目なのだ。行動するというのは動き回ることだけではない。黙ってじっとしていることが正しいこともある。黙ってじっとしているのも行動だ。だから行仏なのだと思う。そして行仏、坐禅した身心には威儀が備わるのだ。そう思っている。

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