第271話 仏性その八十 自由自在

 「是作車運載因果。処於生不被生之所留、処於不被死之所礙、処於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難。若能恁麼、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麼、尽是浄妙国土、不可思議。」

 仏は車となって因果を積んで運ぶ。生きるに於いて生に邪魔されることはなく、死に於いて死に邪魔されることはなく、五陰ごおんに於いて門が開いているようなものである。五陰に邪魔されることはなく、去るのも往くのも自由であり、出たり入ったりするのも難しいことではない。もしこのようであるならば、階級だとか優れている劣っているとかは問題にならず、蟻のような身であっても、このようであるならば、悉く美しく素晴らしい国土であり、考えることもできないようなものである。

 五陰とは五蘊ごうんと同じだそうだ。四大五蘊しだいごうんで宇宙の構成要素を表す。地下火風が四大、色受想業識が五蘊。

 仏、仮に大宇宙の真実・真理とすれば、それは大きな車のようなもので、大宇宙そのもので全てを載せているようなものだ。この大宇宙の運行の中では、生きること死ぬこともありのままであって、生き死ににうろうろおろおろすることはない。生きる、死ぬはその時ありのままに受け止めていればいい。執着したり、忌避したりする必要はない。

 五蘊、色=物質、肉体、受=感覚器官が捉えるもの、想=頭の中に浮かんでくるもの、思い、考え、行=行動、識=精神作用。人間の有り様と言っていいかもしれない。この五蘊が開放され自由であり、五蘊が妨げになることはない。自由自在であり、人間の作る階級だとか評価など超越してしまう。

 これは坐禅の境地である。坐禅した身心は大宇宙そのものであり、大宇宙の真実・真理と一体となって自由自在に行動できるようになるのだ。

 

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