第191話 仏性その三十四 六つの神通力

 「六神通ろくじんづうはただ阿笈摩教あぎゅうまきょうにいふ六神通にあらず。六といふは、前三々後三々ぜんさんざんごさんざんを六神通ハラ蜜といふ。しかあれば、六神通は明々百草頭はくそうとう、明々仏祖意なりと参究することなかれ。六神通に滞累たいるいせしむといへども、仏性海の朝宗ちょうそう罣礙けいげするものなり。」

 六神通は阿含経に書かれている六神通のことではない。六というのは「前三々後三々」と表現するように非常にたくさんのあり方であってこれを六波羅蜜というのである。ということであるから六神通をたくさんの草があるのは明々白々でありそのことが仏祖の意とするところであると考えて究めようとしてはいけない。すべての存在は六神通としてここに存在しているのだけれどもすべて仏性の海に川が流れ込むように仏性と一体となっているのである。

 仏教は観念論、抽象論ではない。この現実をどう生きるか、この現実の中で真実・真理をいかに実現・実証するかを求めるものだ。

 現実は様々なあり様があって、六というような具体的な数で表現できるものではない。六つの神通力があるなどと薄っぺらく考えてはいけない。

 繰り返すけれど坐禅した身心でなければ正法眼蔵はわからない。ここのところも坐禅した身心であれば体得、感得することができる。

 真実・真理は言葉で文字で表現することはできない。正法眼蔵はその真実・真理を何とか表現しようとされた道元禅師の苦心惨憺の著作だと思っている。

 その言葉は坐禅した身心で読んではじめて息づき輝くのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る