第140話 摩訶般若波羅蜜その十一 阿耨多羅三藐三菩提
「また一枚の般若波羅蜜、
また1つの智慧の完成が、今ここに現れている。阿耨多羅三藐三菩提、
本来この世界は、あるいは人間は均衡のとれた、バランスのとれた美しい真実の姿なのだ。
けれど人間は欲望やら思想(妄想といってよい)に囚われ本来のバランスを破壊しまくってしまう。
ロシアにしろ、北朝鮮にしろ、中国にしろ独り善がりの妄想に憑りつかれている。それに対する欧米諸国も五十歩百歩だ。あまり変わらない。
「自分が正しい」と頑なに考えていることが事実を見る眼を曇らせる。事実が見えなくなる。事実が見えないので考え方の偏りはより一層ひどくなり歯止めが利かない。
人間本来の姿、大宇宙の一部として正しい均衡の取れた姿を取り戻さねばならない。
それは特殊なことではない。ごく普通の当たり前の姿になるだけのことだ。その姿がその身心の状態が阿耨多羅三藐三菩提なのだ。
多額の寄付をしなきゃいけないとか、難行苦行をしなきゃいけないなんていう普通じゃないことを要求するものは宗教ではない。そう思っている。釈尊は難行苦行の末、難行苦行では真実・真理を実現・実証することはできないことをはっきりとさせ、坐禅を教えられたのだと思っている。
真実・真理を実現・実証するために必要なことだけをする、そのことを徹底すると「難行苦行」に見えることもあるだろう。しかしそれはただ普通にしているだけのことだと思う。私はそこまで徹底できていない。しかし次第に不要なことはしなくてよいというようになってきているとは思う。
阿耨多羅三藐三菩提、それは坐禅した瞬間に現成するのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます