第121話 現成公安その二十 今この時この場所で一生懸命に生きる

 「うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。ただ用大ようだいのときは使大しだいなり。要小ようしょうのときは使小ししょうなり。かくのごとくして、頭々とうとう辺際へんざいをつくさずといふ事なく、処々に踏翻とうほんせずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。」

 魚が水の中を泳いでいくが行けども水に際限はなく、鳥が空を飛ぶのにどこまで飛んでも空に際限はない。そうではあるけれども魚も鳥も昔から今に至るまで水や空を離れることはない。ただ水や空で大きく広く行動するとき水や空を大きく使うのである。狭い範囲で行動するときは小さく使うのである。このようにしてそれぞれ色々なあり様があるけれどもその時にやれる限りのことをし尽くさないということはなく、色々な場所を一生懸命に踏みしめてないということはないけれど、鳥は空から外れてしまえばたちまちに死んでしまう、魚は水から出てしまえばたちまちに死んでしまう。

 当たり前のことだけれど、人間は今この瞬間この場所でしか生きられない。今この瞬間この場所でどう生きるか以外に人間が生きるということはない。

 どのように行動するか、生きるかが場所の大きさが決まる。物理的な場所の大きさではない「何をしているか」という行動の大きさだ。

 坐禅するのに広い場所は要らない。しかし坐禅の持つ大きさは大宇宙そのものだ。

 オリンピックを巡って何百万円、何千万円という金が動いたというが、欲に眼が眩んだ末の人間として実にみみっちい、さもしい行動だ。この人たちの世界は目の前の損得という実に実に狭い世界だ。

 人間がどう行動するか、どう生きるかで、生きている時間、生きている場所の価値も決まる。

 今この瞬間、この場所以外に生きるということはない。この時この場所を離れる時は死の時だ。

 人間は時間と場所と一体となって不可分な状態で生きているのだ。時間場所自分自身は独立して存在するものではない。

 そのことは坐禅すればはっきりと体感、体得できる。

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