第3章 正法眼蔵 現成公案

第102話 現成公案その一 主観的観念論

 現成公案げんじょうこうあんとは、この世界がどのように成り立っているかというような意味だと考えている。公安は「公府の案牘あんどく」の略で、公府は中国の役所の名、案牘は公文書の意だそうだ。つまり公式の規則、ルール。

 「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、しょうあり、死あり、諸仏あり、衆生しゅじょうあり。」

 この世界のすべての存在、森羅万象を自分の頭の中で仏法に照らして考えようとするならば、そこには迷いがあり、わかったと思う時があり、修行するということもあるだろうし、生きる、死ぬということがり、仏と言われる人々もおられるだろうし、普通の人々もいる。

 私は西嶋和夫氏の考え方が一番すんなり理解できる。氏の解釈ではここは主観、観念論、理想論つまり頭の中で考えた場合に世の中がどう見えるかを記述されているということになる(私はそう受け取っているだけで、正確に理解しているかどうかは保証の限りではない)。

 今の世の中の大きな勢力としてこの主観的観念論があるように思える。自らを正しいと無邪気に信じてあーだこーだ騒いでいる。しかしその結果として何が生まれているのだろうか。ただ単に言葉が溢れ有象無象が入り乱れて好き勝手に言い散らしているだけに見える。

 けれど人間はこの主観的観念論、理想論が大好きだ。これを言っている自分が大好きだ。

 しかしそれだけでは何も始まらない。

 次に道元禅師は別な立場でのこの世界の見方を提示される。

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